
人よ、もっともーっと恋のはなしをしよう 2024/2/11
なんばと大国町の間のような場にある、大阪中華学校でナオさんと待ち合わせた。すぐそこに太平の湯(スーパー銭湯)や市場があり何度か来たことのあるエリアだ。学校では春節祭が催されているとナオさんに教えてもらって、お昼ごはんを食べがてらやってきた。ものすごい人出で、会場となっているグラウンドは移動するのも大変だ。奥には出し物のステージ、囲む壁に沿って飲食物を販売するブースが並ぶ。
ふるまい酒の紹興酒をいただいて飲みつつ(ひとり2杯が上限と親切)人の間を縫う移動に苦労しつつもひと回りし、食べたいものをゲットして楽しむ。特に肉まんがびっくらうまかった。なんだありゃ。ヤバイ食いもんだぜ。

筍餅と「健康スープ」という名前の汁物も買う(正体はよく分からない)。どれも日本人に媚びないソウルを感じる味つけ。塩味は香りの次にやってくる、風味を楽しむ構成だ。合間にラーメン的なものも食べる。これももちろんびっくりおいしい。旅情をくすぐられるー台湾行きてぇーー。


ステージでは中華人形(というのかなんというのか)が三体出てきてショーーがはじまる。ほんのり怖いビジュアルだ。アッパーな音楽と派手派手しい装飾に対して、踊りは単純で素朴な動きしかしない。動きにくいんだろうな。そのバランスがなんとも可笑しい。ステージが狭く、動くのも退場も窮屈で大変そう。愛嬌にあふれた出し物だ。


春節祭の目玉は抽選会らしい。もちろん参加しようと発表時間に合わせて行動するも、抽選券は即売り切れ、我々の番まで回ってこず。景品が豪華で当選率の高い抽選だったよう、残念だが来年また来よう。最後にお詣りをして学校を後にした。学校の外では、去年淡路島のふろ屋の横っちょで会ったお姉さんと再会した。興味の方向が揃うね。

近くのたい焼き屋でひとつ購入し、食べながら歩いてなんばへ向かった。カスタードクリームを頼んだはずがチョコレートクリームだった。食べ進めると後半はさつまいもあんだった。サプライズだらけのたい焼き。
なんばのショッピングモールを冷やかしてから自宅へ戻る。ひと休みして家事や着替えを済ませたら(食べ歩きで汚した)あっという間に夜だ。再度出かける。しっかりした雨が降っていた。
近鉄の鶴橋駅から電車で目当ての駅で降り、歩いて目的地へ向かう。歩いている最中に乗る電車も、降りる駅も間違えていたことに気づき、疲れ果てて本屋さんのシカクに着いた。なんとか開始時間に間に合う。
イベントは最近2冊同時刊行された古賀さんのトーク。ナオさん、たけしげさんがお相手を務める。イベントタイトルは「人よ、もっと恋のはなしをしよう」というもの。いわゆる恋バナ的エピソードトークや実質的な相談ではなく、恋そのものの存在についてがテーマだ。大人になってしなくなったこの話題、今こそ、恋について語ろうぞ、と。
ここから先はイベント中にとったメモである。省略や意訳が入っており、ご本人たちの発言ではないものも含まれる。むしろわたしの感想が多い。
わたしの席からは柱のかげでナオさんのことはほぼ見えなくて面白い
お客さん、スカート派が多いな
古賀さんはエッセーの依頼をうけ、カルチャーセンターのエッセー講座を受講したらしい
最近わたしもカルチャーセンターの講座にいくつか行ったことがあり、おもしろいなと思っている
ユア・アンチョコ
体操の着地ポーズ、良いな
つまり「今日ラーメンがおいしかった」というような、大したことない報告行為は人生や生活において何か大きな役割を担っているのだろうか?
失恋休暇、導入している会社は一定あるよね
古賀さんは、あっけらかんさと感受性の豊かさが両立している人なのだな
好きな人のことが呪いめく、と言う話。前々から日記でも触れているかもしれないが、そういうテーマをわたしもいくつか持っている。パンダが好きという印象づけはもう一種の呪いでもあると思っている。
休憩時間に隣の席にいたヤマコさんに「コイバナしないんすか?」と聞いてみたら「しないですねぇ……」と言っていた。しないのか。
トークの最中ずっと、右肩のうしろ側がピクピクとプチ痙攣していた。痛みはないが、ほそい筋がぴくっと弾けるような刺激が連続するのだ。たまになるこれ、なんなのだろう?すごく気が散ったな。メモを見返しても、話に没頭せず思考が散漫としているのがよくわかる。
イベント終了後顔の分かる方にご挨拶して、たんまり本を買って帰る。欲しかったもの、次のZINEづくりに必要なもの、読みたくなったもの。

もちろん古賀さんの本もゲットし、サインをいただきハピ泡を贈呈させていただく。シカク店主のたけしげさんにお願いしたいこともあり、少しお話しさせていただいて店を後にした。早く本も読みたいし、飲みたい。(イベントはノンアルコールだった)千鳥橋駅前のココスに入ってすぐさまビールとポテトの盛り合わせを注文。本も、これまたすぐさま開く。読む。
感動的に面白い。イベント中、ナオさんが「ちょっと落ち込むぐらいすごかった」と、古賀さんの筆力に打ちひしがれた様子で話していたな。(正確にはわたしには声しか聞こえなかったのだけど)
確かに、文章を書く人にはこんなものを見せられたらちょっと太刀打ちのできなさにダメージを受けるのかもしれない。ナオさんは距離も近い。なおのことだろう。(ナオにちなんだだじゃれではない)
しかしだ、わたしはこれに、まったく打ちのめされない。ぜんぜんない。
ステージが違うのだ。ステージではなく世界かもしれない。なんでもいいけど違う。嫉妬したりはまだまだできない。複雑な気もちだ。わたしは商業的ライターをしているけど、結局物書きとしての自覚は結構薄いのかもしれない。まだまだ線を引いてしまっているのだろう。わたしのプロ意識よ。

しっかり食べて店を出る。
帰り道に乗った近鉄奈良線は空いていて座れた。座面の下にはふくらはぎに温風を送る装置がついており、ああこういう温め方をする電車に久しぶりに乗ったなぁとすぐ眠くなり我が町鶴橋に着く。
今日のそうなのかしら
わたしはまだ割と友人と恋バナをする方だ。
でもそれは、友人たちと私の間にはライフステージや環境の違いによる距離や溝の分量がどんどん増え、共通項として語れる話題が減少しているということなのでは?というただの結果なのではないか?と思って一瞬さみしくなった。遠い。友人が遠い。
しかし、恋というおもくそ内側でパーソナルで恥ずかしくって青臭いことを30代後半になっても語れるというのもまた良い話だ。うん。そうだよね。
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