学校や会社で認められることにこだわらなくてもいいんじゃないかと思った
多くの人は子どもの頃から学校で評価されるよう頑張りなさいと言われて頑張り、会社に入ったら今度は給料を増やすために評価されるよう頑張ると思います。
私はそういう生き方に疑問を抱きつつも、そういう生き方をしないといけないのかなと思ったり、認められないと嫌だと思ったりしてきました。
でも学校や会社で認められることは難しいです。どうしても優秀な人がいるからです。
今回は学校や会社で認められることについて書いてみます。
本当は学校や会社に認められないとまずい
本当は学校や会社で認められないとまずいです。
まず学校で認められないと進学でも就職でも選べる先が限られたり、ランクダウンしなければいけなくなったりします。
ましてや日本は転職が増えたといえど、まだまだ新卒至上主義なのは変わりそうにないです。
新卒でしか入れない会社と、中途でも入れる会社との間には大きな給与水準の差がありますし、研修や福利厚生も大きく違います。
こう考えると学校で認められないと一生のキャリアに大きな影響を与えてしまいます。
また会社で認められないと給料が低くなるとか、会社の業績が悪化したときに真っ先に切られるという問題もあります。
そうでなくても出来の悪い人として悪い目で見られて居づらくなりますし、後輩の方が先に上に上がるのも苦しいものです。
こう考えると学校や会社では認められるに越したことはないですね。
学校や会社を程々にプライベートを楽しくでもいいと思う
とはいっても学校や会社で認められるには、優秀な人との競争に勝たなければいけません。これはとても難易度が高いです。
となるとひたすら頑張って上を目指すのは非効率とも言えます。
さりとて下の方だと立場上の問題が多いので、真ん中ぐらいのポジションを目指したいところです。
そして真ん中ぐらいのポジションにいれば、居づらい心配も、出来が悪いと文句を言われる心配も少ないでしょう。業績悪化時にリストラ対象に挙げられる心配も減るかもしれません。
学校や会社に認められるためだけに頑張って生きるのは苦痛かもしれません。それが楽しい人はそれでいいと思いますし、優等生などはそういうものなのでしょう。
しかし優等生は一握りですので、多くの人は学校や会社ではそこそこのポジションで頑張って、プライベートを楽しく生きるでも良さそうに思います。
学業や仕事よりプライベートなんて言うと怠け者っぽいですが、優等生になるような無理なことは無理と割り切って、プライベートを楽しく生きた方がQOLが高くなるのなら、それもありだと思います。
少なくとも残業だらけで趣味を楽しめない人がストレス漬けで愚痴ばかり言ってるのを見ると、プライベートも大事だなと思えてきます。
学校や会社は割り切って個人で好きなように生きるのもあり
学校や会社で優秀と認められるといいことは多いです。
偏差値の高い学校へ進学できたり、給与水準や知名度の高い会社に入れたりします。
しかしそのためにプライベートを犠牲にして勉強や仕事に励む必要があります。
もし個人で仕事にせよ趣味にせよ、やりたいことができるなら、学校や会社は割り切れそうです。
例えば個人で仕事を取れるなら、会社に無理して認められずとも、個人の仕事を大きくしていけばいずれは独立の可能性も高まります。
趣味だって夢中になれることがあるとか、個人で人を集めてイベントを開催できるなら、学校や会社に精神的に依存しなくてよくなります。
実は学校や会社に精神的に依存しないことが大事かもしれませんね。
学校は卒業すればそこまでだし、会社も辞めればそこまででしょう。もう他人だからとあれこれやってくれなくなります。
また学校や会社に認められることのメリットが大きいとはいえ、認められるために自分がやりたいことを犠牲にして生きるのは辛いものです。
そう考えると学校や会社に精神的に依存しないことは大事に思えてきます。
色々なコミュニティに所属して自分の居場所を増やすことで、人生を楽しくしつつも精神的な安定性を保てるかもしれません。
終わりに
色々と考えてみましたが、学校や会社に認めてもらうことのメリットが大きいとはいえ、認めてもらうために生きるのは依存なので止めた方がよさそうです。
学校や会社に精神的に依存しなくて済むよう、自分の居場所や大事にしたい楽しみを見つけていきましょう。