ゲーム配信とコメントの限界
注釈:可能な限り「お気持ち表明」のように感情含めずに、淡々と幾つかの事実を並べた上で話しを展開していくが、自身の闇を覗く以上に、他者の影を多く言語化する記事となっておりますので、読み進めるに堪えない内容になり得ますので、上記内容を承知の上で読み進めてください。
概要
まず前提として昨今の配信とコメントのトレンドについて記載する。次に視聴者側のインセンティブが自環境の構築であることを提示する。そしてゲーム内容に応じてコメントのしやすさを幾つかの評価軸を提示した上で説明しつつも、それらの脆弱性を説明する。そして配信コメントが物理・通信的な限界を提示しつつコメントが潜在的に携える能力と、今までの弱点を織り合わせてコメントの難しさについて統括する。
前提
配信をする上にあたって、コメントは視聴者のエンゲージメントを示すだけでなく一部コメントにあたっては大喜利を大きく超えて、その反応内容がYouTubeのShortsとして大いにバズる可能性を秘めてる。
特にスタンプが充実している配信に置いては、あるのとないのとで、予めコメントを分類でき、注意深く読む必要があるコメントとそうでないコメントを簡単に整頓でき、それを理解している視聴者がより固まった意見をまとめやすいことも示す。
それ以前の問題として、視聴者が配信を楽しんでいるという安心感もコメント量で左右されているように思わされるので、配信者が「コメントいっぱいしてね!」と言うのは一種の必然性がある。
しかし、昨今の「取り上げられている開示請求問題」等を抜きにし且つ、ミュートやBAN等の部分的なルール外行為を抜きにしても、コメントをするのは相も変わらず難しい。それをこれから説明していく。
視聴者のインセンティブ
視聴者はゲーム配信を見る上にあたって、ただ視聴する(ROM)か否かを毎度決めている。理由は幾つかにわたってある。それらの理由を複数の段階で説明していく。
表層
コメントをすることで配信者への認知度を上げる。コメント数によるコメント表示期間の問題だけでなく、目を泳がせるのが得意な配信者は付与されてるバッジ、特異な名前、特異なコメントをすることで簡単に認識される。
プラットフォームによってはスパチャもとい投げ銭を行う以外にも、アーカイブ化された配信にコメントするだけでも多いに違うし、また自分のメッセージを読まれる機会は特段高くなる。
そこでさらに配信者が反応されれば、視聴者への迎合の証となる。認識され迎合されるということは、放送された配信の一部になり且つ将来的にはよりその配信の一部になる機会を得ることも示唆される。
中層
配信の一部ではなく、配信者の活動から享受される恩恵や日常の一部に含まれることになる。
コンビニで新しく販売されたスナックを食べたという話しは、自分の投資こと投げ銭が如実に配信者の血肉となった証左でもあるし、ファンレター等を送った場合には配信者自身が「額縁に飾っている」と報告する場合もあり、そう考えれば額縁の前を通る度に意識するため、真なる意味で生活に関与しているのが伺える。
また配信者側が提供するグッズがあった場合には、配信者の分社という扱いで自身の生活に組み込むこともできる。中にはレアグッズと共に、そのグッズを入手するまでの経緯やイベントをしっかりと覚えることができるし、これらをさらに配信者に対して報告する、もしくは配信者自身が「買ってくれてありがとう」と言いさえすれば、紛れもなく自身を示してることを実感できる。
深層
視聴者並びに昨今の「オタク寄りコンテンツ」に寄り添っている存在は、自身の価値観から織りなす好きな物を手繰り寄せた居城に佇んでいる、という詩的表現もできるが「デジタルヤドカリ」と揶揄することもできるし、自身のデジタルアイデンティティを流行と自身のステータスに合わせて再構築を繰り返している、というように哲学的に表現もできる。
好きなのを選べばいい。
なので配信を視聴し、どこまでコミュニティに入り込むかは、個々が最も距離感的に保ちやすい形で活動へと移す。そこに対して配信者側が反応を示すことによって自分が寄り構築しやすい環境を徐々に整える。
単に反応が欲しい人、応援してる気持ちを言葉ではなく絵で表現する人、活動するプラットフォームが違う人、SNSの数字的に有利になり易いことを利用または貢献する人、金銭感覚が高めな人、喋り上手な人。
「配信」という環境でのみ視聴者の「好きな物」が配られるが、それが各々どう選り好んでいるかは、個々にスポットライト当てない限り判らないし、同時に個々が構築する環境の規模も違うのも想像に難くない。
コミュニティの制限下
上記の表層・中層・深層を踏まえた上で、視聴者は日本国内での常識も持ち合わせている。一番判り易い常識は「インターネット個人主義」になる。
難しい単語を並べているが、以下の要件さえカバーできていれば暫定的に履修または存続されていると認識していい。
A. 好きな物を好きと言える環境並びに好きな物が否定されないこと
B. 必要に応じて手助けし、同調圧力を避け、最低限の注意喚起に留めること
C. 自己実現をできること
ただ上記内容には罠がある。厳密には配信者コミュニティ内では担保されない物が幾つかある。
まず配信には(配信者・視聴者共々)肉体的な限界があり、それが自分が好きな物で埋め尽くされないだけでなく嫌いなものが突如現れる可能性がある。嫌いとは言わずとも、長年聞いてきた同じトピックを延々と聞かされる等も、結末が判り切っているコミュニケーションも不和の兆候になる。
次に配信の雰囲気・テンポ・コメ欄・盛り上がり等配信者でさえコントロールできないもので覆いつくされてるので同調圧力と似た何かを、誰かが主導的に与えているのか、はたまた全員が受動的なのかすら判らないものを、清濁併せて呑む必要がある。
最後に配信という短く且つ限られた環境で自己実現なんてできやしないし、自己実現をしたいことが、配信中なのか配信者の精神世界の中なのか、はたまた自分の中の配信者と共にある精神世界の自己実現なのかすら判らない。
だからこそコメントを始めとして様々な反応があると、配信者と視聴者共々抱える環境が着実に積みあがっていき、実績を得ている安心感がある。
ゲーム配信に関して
ゲームには様々な要素があり(同じクリエイターとして判り易い評価軸だけで語りたくないのだが)今回は「ゲーム配信」であることを主眼とし、暫定的に幾つかの評価軸を紹介していく。後に上記で記載した視聴者の性質と共に関連性を述べていく。
評価軸:話題性
皆がコンテンツを深く知っているもしくは名前のみ知っているゲーム。去年の夏ごろから爆発的に人気を得た「スイカゲーム」「8番出口」も含まれれば、数年間に及んで大会が開かれているもしくは海外で既に名前が挙がっていたコンテンツの「Valorant」や「LOL」とか。そして現実の広告とかがある任天堂やSONYゲームも含まれる。
これらは既にコンテンツとして知っていることにより、自身の知識資源を配信にて披露することで判り易くコミュニケーションが取れるためコメントを残しやすい。また知らないのであればこそ「話題があるから見ておきたい」というインセンティブも発生し配信者含め各々が「流行のチェックリスト」に記入することができる。
評価軸:特異性
ゲーム内容がユニークまたはインパクトのある内容の場合、サムネイルまたは配信タイトルから惹きつけることができる。今回の着眼点は「配信初見」ではなく、如何にコメントを残す予定の候補者がこの特異性に対してよりコメントを残す可能性が高くなるかを示唆する。
マイナーではありつつも理想的な雰囲気のモデルを提供するタイプの「Coffee Talk」や「ファミレスを享受せよ」等のビジュアルノベル、「Thronefall」や「Balatro」等の先鋭的なゲームジャンル、体験自体がそもそも特殊な「Lethal Company」や「Content Warning」等。
この場合にはゲーム配信内容がそもそも型破りのため、配信者自身が今まで培っていた雰囲気ではなくゲームに委ねる割合が強いため、ゲームが全面的に押し出している雰囲気を、配信者と視聴者共々同じように汲み取ってゲームに沿ったコメントを残しやすい。
評価軸:反復性
配信者が取り上げる内容自体は新しいコンテンツとも限らないが、ある程度画面に表示される内容に類似性がある、もしくはゲーム側で複数回インターバルを経た上で同じラウンドを提示するパターン。
一番判り易いのは大まかな知識と動きが目立つが1ゲーム然り1ラウンド然り対戦回数単位でカウントされる「Valorant」「Street Fighter VI」、ゲームの区切りが明確な「Slay the Spire」「Buckshot Roulette」、コンテンツ自体は長いが成長要素が含まれ同一の名前で管理する「ポケモン」「牧場物語」。
配信者や視聴者側の知識量に関係なく、1回のゲーム内の対戦で推測できることもあれば、複数回のプレイ実績でコメントできることも可能で且つ配信者側自身がゲームのテンポを理解しているのでコメントを読み上げやすい。
全ての評価軸に置いて
コメントを読み上げやすい理由は幾らでも取り上げられるが、同時に弱点も明文化されている。以下の内容を私の体験を主軸に起きつつ、明確にその弱点を記載していく。
「流行リスト」に敏感な人は他配信者ですぐに見かけた上でネタバレの有無関係なくゲーム自体が面白いと思わなかった場合には配信を見ない。「Buckshot Roulette」が流行った時には、製品版でアイテムは追加されていたが、そもそもベータ版の時に海外配信者を腐る程見た上で、追加要素も面白いと思わなかったので、日本で製品版が流行しても、ごく少数の人の配信・動画のみ閲覧した私が居る。
ストーリー重視のノベルゲーをやっても、私自身が販売日付近に全実績を解除していたり、そもそもノベルゲーのテンポが遅く、小説を読む時と同じく、絶妙なノリの悪さや言葉選びのセンスの無さが目立ち、以降見ない場合もある。
一瞬脱線するが、数年ぶりに聞いた自分の好きな曲が意外とBPMが低かったり、情熱的な曲(例えばGipsy Kingsカバー版のHotel California)を何も考えずに1.15倍速で聞いてみるとドハマりしたり。
端的に自分ですら認識していないテンポや雰囲気がマッチしない特異なゲームなんて幾らでもある。
最後に反復性の問題点は如実にプレイが下手な点が目立つし、俗に言う「指示コメ」らしき兆候が芽生えやすい。また仮に上手かったとしても「上手い」と感じるまでのゲーム側の盛り上がりだけでなく、その配信とゲームの構成が固まり過ぎて、より俯瞰的に配信を見た際に視聴を続ける理由を見失う人も居る、何故ならば(極論になり得るが)先週と今週と同じゲームをプレイした場合に、それら配信の差別化ができないからだ。
また私は10年来のLOLプレイヤーではあるのだが、LOL映像は全部2倍速で見ないと気が済まない性格になってしまったため、相当な理由が無い限りLOL配信には赴かない。
こんなネガティブな意見の集合体でなくとも、評価軸内でのマイナス感だけでなく「プラスを得られていない」という絶妙な歯がゆさだけで違和感と認識する人も居る。
構造とコメントの限界
物理・通信的限度
YouTubeとTwitch関係なく「ライブの最新状態」だとしても、他の視聴者の方が数秒早めに閲覧している場合がある。単純に「ライブの最新状態」が実はプラスマイナス5秒ぐらい含まれている。なので「ライブの最新状態」でも実は視聴者間で10秒ぐらいの差があったりする。それに踏まえてコメント入力されてからのOBS並びにYouTubeStudio側への反映にも時間かかるし、逆もまた然り(こちらも大体同じ秒数)。
さらに加えて使用する媒体によっては入力速度に差異もあるし、極めつけに「プログラマー・ライター」とその他職ではタイピング速度は段違いだったりする。
例えばノベルゲームの1場面の活字量が50文字だとして(多め)、それを配信者が読み上げるのに7秒かかるとして、配信者が「え~これどうしよう」とか呟くとする。先ほどのラグを考慮すると、一部の視聴者は配信者が現実で「え~これどうしよう」と口から発音した後に、配信側でのノベルゲームの読み上げが発生し、このラグのまま意見を述べようとコメントを打ち込もうとする。そしてコメントの内容を入力中に、配信者の画面では次の場面に映っていたりノベルゲームの次の会話に移るし、場合によっては既にゲーム内キャラが代わりに意見を述べていたりする。
アクションゲームだからこの問題が寄り酷くなるとは限らないし、むしろアクションゲームは意図的にポーズを用意できる場合もあり戦闘が発生しない期間があることを把握している配信者は、脳内でこのラグを処理する。
ただコメントラグが酷い場合は1分弱、良い場合は30秒弱だとしても、そんな1Shortでも見れそうな時間を拘束する要素を踏まえた上で、配信者は意見を募りコメントは一生懸命入力する。
しかもこの秒数は「すぐに入力できる」ことを前提にしている。
要求能力
なので視聴者側が徹底的に配信者が組みたい意志、ゲームから発信される強いメッセージにきちんと対を成す誠実な意見、はたまた評価軸に基づいて自分が予め用意した体裁が整っていないレビュー、目くるめく変わる場面をきちんと言語化するための画面解析能力、あるいはそれら全てを予知した上で事前にコメントを入力する判断力。
そして全てを統括する能力として、これら内容を全て言語化する読解力と、最終的にコメントする文字列が配信内のコミュニティ並びに個々が抱える環境をぶっ壊さないための空気把握能力。これらが場合によって必要になる。
ストレートに「無理だろ」。
と否定したくとも意外と平然と出来てる人も居るし、配信者側がそれを気遣ってペース配分を行う場合もある。
また名指しになってしまうが、遊戯王コミュニティの場合だと、初心者の遊戯王配信に群がってしまった場合に、慎重にコメントすることと配信者がきちんと楽しさを把握できることと、自分らのコメントだけで覆いつくさないようにと一部視聴者界隈で互いに軽く注意喚起を促している。ただ注意喚起自体が「インターネット個人主義」に軽く抵触してることを踏まえると、この注意喚起がかなり強い意志を持っていることは想像に難くない。
構造とコメントの関連性
まず第一に配信者が自身の姿を含めた上で想定している理想的な構造が、その配信者の内部のみに潜在する。左記のように断言している理由としては、先進国でアクセスできる法律や常識だけでも国家アイデンティティを維持できるとは限らないし、スコープを配信者に戻しても、配信者がルールをまとめ自分の理想像を箇条書きだけで明文化できている人を見たことが無いため、全ての存在は理想的な構造を現実へと顕現させる際には、部分的な補間を「空気」で補っている箇所がある。
これが何を意味するのかというと、配信者側が幾ら明文化されたルールを口頭で伝えたとしても、配信者自身が普段覆っている空気や言葉の端々にある声の特徴や、取り扱っているゲーム内容だけでなく、その節々のコメントの背景にある蓄えているであろう知識等、誰も明文化していない要素を直感的に感じ取った上で個々の中に人物像が出来上がる。この人物像を個々が捉える環境に応じて、この人物像を包括する構造が個々の中で出来上がる。
なので明文化されていようが居まいが、それを要望として複数回御願いしていたとしても、その人物像と構造がゲームによって変化しているという確かな感覚が無い限り、または視聴者側が配信者への貢献意欲のためにゲーム関連の知識を予め蓄えていなければ、「ゲームではない配信」のようなコメントしか残せない。
最後に(冷静に考えて欲しい)
昨今になってようやく1対多の情報伝達が出来る環境が用意された。ただそれらは正しく法整備されることも無ければ、乱雑にコメントが下から上へ流れつつ少量の課金要素で一定時間のみ強調される。しかもこれが文字列だけで行われているという狂騒。
私は歌で感情表現したい欲で満たされており、大切な場面で大切な人それぞれに歌を送っている。これを絵で行う人も居れば、金銭で外注させる人も居るし、音だけで空間を作り上げ自分の空想世界を完璧に練り上げる人も居るし、ミームを喋り過ぎてミームしか喋れない人も居る。彼らが配信のコメントだけで真に報われることは無いだろう。
誰も完璧なコミュニケーションが出来てる気がしないし、実は視聴者と配信者のコミュニケーションは配信内のコメントだけに収まらない。
幾つかの視聴者は、その配信外の活動内容が覚えられ、その視聴者のコメントだけまったくもって良い意味で特色されるし、より長期的にコメントを分析される。この関係性を打ち破る程の失態は中々発生しないが、保守的というより安全を意識したコメントだけで義理を果たしたことになり得る。
なのでどれだけ良い配信者・ゲームだとしても、良いコメントとして昇華されるには飽くなき鍛錬の果てと、度重なる挑戦と、高度な関係性による間合い管理と、各々の理想的な環境の天秤掛けが必要になる。
Relax and just let it go
幸いにも私はこれらの配信者と視聴者の関係性と、各々が精神的に抱えている環境の存在を言語化しても「相手はそれを意識しきれないだろう」というアドバンテージを効かせた上で積極的にコミュニケーションを図っているし「相手もそれを知っている場合」には完璧なコミュニケーションができない前提で互いに狂騒を共に踊り切ろうと、言葉のダンスに誘う。
また私に至っては「シナモンロールを語ろう!」等の配信があった場合に「オタク特有の語り癖」と「日本人が好きそうな可愛い」と「シナモンロールの見た目」のみで大体の配信内容を予測した上でそれっぽいコメントを脳内である程度整頓させて、いざ配信の時にはその場の雰囲気だけでコメントしている。全然本気なんて出していないし、シナモンロールを好きになる気も毛頭無いが、それっぽいコメントを幾らでも残せる。
私のコメント何かよりも「えーすごーい!」と単純にまとめた人のコメントの方が実は熱意があったかもしれないし本当にそう思ってるかもしれない。
一方で私はゲームしながら半目で配信を見つつゲームの合間にのみコメントを残す。私と同じ頻度のコメントの人でも実は画面に付きっ切りで、ゲーム慣れしていない人が一生懸命ゲームコンテンツを理解しようと試みた末でのコメントなのかもしれない。
落ち着いていこう、コメントも配信も熱意が拾い上げられなかった偶然はあったが逆説的に言えば世界線さえ異なれば拾われた可能性は多いにあるのでコメントの法則性は担保されているとも言える。
これらを諸々踏まえた上で、いずれの立場に立たずとも、より俯瞰してコメントの意味を踏まえつつ理想的なコミュニケーションに没頭しよう。
ここまで読んで頂きありがとうございました。