8番ライクとリミナルスペース風ゲームが提示する恐怖
前提
2023年8月頃に突如と現れた「8番出口」、その画期的なスタイルはホラーアクションパズルを大きく超えて新たな形のゲームを用意した。そして同時期に活況を呈していたリミナルスペースも、新たなホラーの形を提示した。
ただし流行り物の性が如く、2024年12月には「出尽くした感」という曖昧な空気の中、「Indie Live Expo 2024」にて日本インディー開発者の始祖と呼べるZUN氏が正鵠を射るが如く「(8番出口の時点で8番出口系は)もうアレで完成したのかもしれない」と表現した。
概要
本稿では8番出口ライクとリミナルスペースが提供させたい「恐怖」の本質を解説していきつつ、それが如何に「ホラーゲーム」というジャンルに押し込めた時に慟哭が発生するのかを説明する。左記説明後に、その上で考えうるインディーゲームの可能性もとい私の願いを記載する。
昨今のホラーゲームと演出される恐怖
どの年もホラーゲームが作成される昨今、当たり前のように流行り廃りがある中、流行るゲームの中から如実に新しい形の恐怖が提示されていった。
この項目では8番ライクの軽い説明とホラーゲームとしての特徴と、同じ説明をリミナルスペースにも行う。そこから2種のゲームが求める恐怖の種類の説明を行う。
8番ライク
2023年8月に発売された「8番出口」を始祖とし、同じ空間を行き来するゲーム。最初に見た景色をベースに、異なる要素が有った場合もあり、それを異変と呼ぶ。異変が有ったら回れ右、無い場合は突き進むことで数字が増えていき、8番目に到達することで脱出できる。間違えた場合に8までのカウントがリセットされる。
以降開発された8番ライクも似たゲームルールに則っており、それぞれの尺度に合わせた個性を追加している。中には舞台や新しい演出を用意するだけでなく「Route8」のようにプレイヤーを車にぶち込ませたり、異変の有無を自分でコントロールする「ヴィクトルズ・テスト・ナイト」、複数人でプレイできる「Hospital 666」。また中にはテーマがしっかりしてる物として、和ホラー風を含めつつも全異変を悪く扱ってはいけない「霊迷の湯」、異変とストーリーがしっかりしてる「偽夢」、圧倒的量と存在が面白い「8バニ出口」。
8番ライク系統の圧倒的特徴は、唐突にやってくる異変の異質さに一切の説明が必要ない点である。極論ではあるが、今のステージで小物が一個変わるだけになり次のステージで鹿の群れに追われる形という脈絡の無さが当たり前のように繰り広げられる。なのでこのシステム的利点を最大限生かして、ゲーム開発者が切に感じ取ったそのゲーム内の雰囲気とマッチしてる謎の異変を無理やり組み込むという現代アートにも劣らない表現解釈が許される。
同時にゲームの難度を気にする必要が無く且つ逃げる以外の操作も用意させる必要が無く、全異変を集めるつもりが無ければ解決する必要もない。
また逆転の発想として、全異変を集めるのがかなり容易なので、用意された異変全て見るというコンプ要素も自力で出来る楽しさもある。
リミナルスペース系
こちらは始祖と呼べるゲームは無く「Backrooms」の始祖といえる存在が、とあるオフィスの一面の投稿写真から「これ永遠に続きそうで怖い」という連想から爆発的ブームになった。SCPに馴染み深い日本文化としては分類できなくはないが、様々な超空間を展開する要素として「Backrooms」の世界が繰り広げられていった。
また初代の投稿写真からファン動画が作成され、後にゲームとなったのが「Backrooms系統」のゲーム。最初のステージを延々と彷徨い続けストーリーに沿わせるタイプのゲームもあれば、明確に「Backrooms世界」を意識したステージ転換もあれば逆に最初のステージだけに留めるタイプのゲームも存在する。さらに、プールレベルに該当するLevel37から派生して「POOLS」を始めとした、Backroomsのスピンオフのようなゲームも存在する。
いずれにせよ、超空間から感じ取れる如実に間違っているハズだがどこか馴染み深さもある空間を使ってホラーを表現するため、私は総じてリミナルスペース系と呼称している。
リミナルスペースは従来ホラーの暗闇やタヒを連想させるようなテーマを取り扱っていないので真新しい不気味さが強みになる。特に海外展開がかなり行き届いているテーマの一つでもあり、インスピレーションを得やすい形になっている。また上記で触れたSCPと根本的に異なる点として、元々の意図に明確な創作性が無いためか様々なアレンジや別解釈が許されている。
共通する恐怖
8番ライクもリミナルスペースも両方ともジャンル的には「ホラー」に該当する。それが旧来のホラゲーにあるゲームオーバー・超常的な存在・ジャンプスケアがあるとは限らず且つあったとしてもゲーム自体はそれ以外の要素をメインにしている。
なので着目すべき点はストーリーが主導ではないため主人公の生成も不要とするだけでなく、あるがままの世界で且つ接点を持たせる必要が無いのがホラーゲーム業界として新たな視点を用意させた。よって新しい形の恐怖を表現させていく上に当たって、演出する恐怖が世界観を優先する。
総じて世界観に大部分の恐怖を委任していると言っても過言ではないがその世界観を深堀させて人間が判る範囲で意味を持たせる必要も無い、何故ならば形容し難い範囲の未知をストーリー性との関連性を排して導入させることが両種類のゲームの本質だからだ。
そのためゲームが用意したキャラクターが存在しないため、フィルター・ルールを介して恐怖を体験するのではなく、ゲームの演出全てがプレイヤーに直接恐怖を与えている。
個人的な意見を含めると、私はこの両種類のゲームはホラーゲームにコペルニクス的転回を与えたと思っている。
ホラーとジャンルの限界
ただこれら両種類のゲームには限界が迎えつつあるのは、これらゲームをその他「ホラー」と認識させ、そのジャンル内に押し留めようとする抑止力が発生する。だが同時にジャンルとして培われた恐怖と、これら新しいゲームが提供する恐怖が一致する部分が少ないことを説明する。
ホラーゲームの抑止力
ホラーゲームたるもの恐怖を体験させる必要があり、心配や不安と違い、ディスプレイ越しでユーザーが体験しうる恐怖を選別し他ゲーム種類と分け隔てる必要があった。
ただしそれはゲーム進化の歴史と並行される形となる。故に恐怖の本質に対する研究が掘り下げられたゲームが台頭する前に、ホラーゲームの終着点として超常的な現象に巻き込まれ追われることを主流としてきた。
掘り下げられなかった理由としては、ホラーゲームはゲームとしてのプレイ性能を確保させることを意識していたため、金額に対して体験を計測する必要があった。端的に大部分のゲームは5000円以上を超え、その5000円の価値に見合う時間をプレイさせる必要があった。またこの価値を提供させるためだけにホラーと強いアクション性を融合させて、長期間のストーリーを付与させつつも数多なアクションベースのホラーを展開させたこともある。
※1
Steamの黎明期、またはコンソールゲーム以外の選択肢が選ばれやすくなった時代、5000円以上しないホラーゲームが選択肢としてある、あるいは大衆へのインディーゲームの露出度が飛躍的に上がったタイミングを「2020年」と仮定した場合、上記の5000円以上のホラーゲームを甘く換算して20年超になるため子供と大人ぐらい歴史の積み重ねの違いがある。
そして本稿ではこの「歴史の積み重ね」自体が、漠然とホラーゲームらしさを定義するだけでなく「ゲームから得られる恐怖体験」を象ってきたことも含まれる。特に我が日本国では数多の著名ホラーゲームを輩出してしまったが故に、ホラーゲームに纏わるコミュニケーションはとりあえず有名タイトルの列挙を行うだけで完遂できてしまえる。
私はこの積み重なった歴史と、その歴史を踏まえるとホラーゲームとは何かを定義する必要性が無いと思ってしまう点と、恐怖体験を追い求めるのではなくホラーゲーム体験を求める可能性を踏まえて、超常現象的な存在に追われるゲームでなければホラーではないという意見があることを「ホラーゲームの抑止力」と呼称する。
※1:一応弁明として、極少数の無料または1000円以下のホラーゲーム(ゆめにっきやIb)もきちんとホラーの方向性を見出そうと試みている様子は伺えたが、これらゲームを追従する形のゲームが作成されなかったため特例と認識している。
新しい恐怖との親和性
では「ホラーゲームの抑止力」と8番ライクとリミナルスペース系が提示したい恐怖の内容は、絶望的に親和性が無い。
まず8番ライクとリミナルスペース系はアクション要素が少な目な点と対抗策を用意することがほとんど無いため基本的に逃げることが推奨される。追いかけてきた超常的存在を退治することも無い。プレイ内容の経験にストーリーというユーザーへのガイドが無い。プレイ体験する時間がかなり限られており、持ったとしても4時間しかプレイできないケースがほとんど。
一方で5000円超のホラーゲームはその金額に見合ったプレイ時間と、プレイ時間を維持させるためのストーリーとアクションを用意させる。超常的な存在は逃げ切るが、意味がある物であり主人公を主軸としていた相対する必要がある。
ゲーム要素として比較すると、同じホラーゲームと名乗ると、まるで詐欺まがいの違いに驚きを隠せない。だがこれが成立する理由としては、同じホラーゲームでも目指す恐怖の本質が違うためだ。
同時に本質が違うだけで、同じホラーゲームのハズが、互いが大きく食い違う様子から「絶望的に親和性が無い」と判断するのは一理を大きく通り越して納得が行く意見ではある。従って8番ライクとリミナルスペースを「怖くないからホラーゲームではない」という結論も付けるのも、新しい恐怖をゲームが望む形で体験できなかった故の意見だと認識できる。
ホラーゲームの可能性
現時点の市場
そもそも8番ライクとリミナルスペースはまごうこと無きインディーゲームだっため、これをホラーゲーム界のコペルニクス的転回と称した時点で、私の両種類のゲームに対する文化的資本はかなり高いことは伺えよう。
ただし私の評価は空しくも、現に8番ライクとリミナルスペースは要素を開拓されきった感があり、真新しさ以外で両ジャンルを掘り起こすのが難しい程たくさんのゲームが作成されてきた。もし「ホラーゲームの歴史」なるものがあるなら必ず記載される内容と思われるが、このジャンルが確立するためには年数が足りない印象もある。同時に両種類のゲームを現在進行形で開発しているならば、ハードルが無情にも高くなっていく。
この現象から「出尽くした」感が漂うのは、単純な「バズが無い」というメディア露出以外にも、後続になるハズのゲームが新しい要素を展開していないだけでなく、同じIP・タイトル内でのバージョンアップデートだけで、似たゲームすら排出されていないからだ(2024年12月現)。
無意識のうちに歴史が重なったスタイルのホラーゲームだけが市場価値あると見なされ、ホラーゲームの抑止力がその効力を遺憾なく発揮しているのが大きな要因ではないかと推測している。
解決策は闇の中
だからと言って「ストーリー性のある8番ライク」を開発しようとしてもストーリーが8番ライクの性質と大きく相反する形のため、チェックポイント上での会話があるのみという形式になってしまう。
だからと言って「和風リミナルスペース」何ぞは左記言葉が日本語で浸透していない様子からノウハウが全くない状態なので、開発者のセンスを大きく問われる形でしか再現できない。
そしてこれらにアクションを追加しない理由がほとんど無いと思えるのは、8番ライクとリミナルスペース以外で日本開発のホラーゲームが続々と排出され一定量のメディア露出に成功しているからだ。
なので、8番出口やリミナルスペースの始祖がそうだったように、どこからともなく出てきた誰かの創作力を持ってでしか解決できないのではないかと思ってしまう。
だからこそ追い求めて欲しい。今までのホラーゲーム、上記の新しいホラーゲームが提示した恐怖だけが恐怖ではないハズだからだ。今までのホラーゲームで表現しきれなかった恐怖体験の数だけ可能性がある。
最後に
出尽くした何て思わないで欲しい。インディーという枠組みが出来たのは真新しく、専用の市場が出来たのもここ数年の出来事だが、同時に幾千のゲームが開発され続けるここはレッドオーシャンのように思えるが、創作力というのは往々にして別の可能性を見出すことから始まるからだ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。