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栃木県立博物館「死者と生者の古墳時代」

東京国立博物館の特別展「はにわ」は行けなかった。現地へ行き、チケット売り場の長蛇の列に並ぶ気になれず。。。ところが、残念な気持ちは吹っ飛んだ。栃木県立博物館で開催されている「死者と生者の古墳時代」という「はにわ」に会える企画展を地元紙で見つけた!!北関東は古墳とはにわが多く出土している素晴らしい場所。ワクワクしながら現地へ。

栃木県立博物館で2025年2月2日まで開催しており、中学生以下無料、高校生・大学生120円、一般260円

結論から言って、260円なら何度も見に行きたくなる贅沢な内容。プロローグとエピローグは省略して第1章から第4章までを紹介。簡単な図録は800円。

第1章 埴輪が語る葬送儀礼

1.いろいろな埴輪

下野地域(栃木県)の埴輪群像(古墳に集中的に並べられた様々な形をかたどった形象埴輪)

人物埴輪の次に紹介されていた「馬形埴輪」宇都宮で出土。死者の生前の権力を誇示するためだと考えられているが、それにしても可愛い表情。
器財埴輪。市貝町市塙横塚古墳で出土。槍形埴輪は北関東を中心に分布し、類例が少ない。
家形埴輪。壬生町富士山古墳で出土。屋根には現在の神社建築に似た構造が表現されている。(複製品)
同じく家形埴輪。壬生町富士山古墳で出土。高さ168cmと、東日本最大。(複製品)

2.埴輪群像の世界

埴輪群像(古墳に形象埴輪がまとまって並び、なんらかの場面や情景を表していると考えられるもの)には謎があり、さまざまな説が存在する。この章では下野地域の古墳から、埴輪の並びを検証するなどし、埴輪群像の役割を考える。

行基平山頂古墳(足利市5世紀末から6世紀初め)で発掘された小像・ミニチュア埴輪。形象埴輪は人々にみせるためのものだが、このようにみせる目的ではないと考えられる埴輪もある。
甲塚古墳(下野市 6世紀後半)で発掘された「農具を担ぐ男子」。最も石室に近い場所に配列され、死者にとって農業も重要な要素だったと推測される。この古墳では、全国的にも珍しい機織形埴輪が出土している。女性埴輪の比率も高く、被葬者は女性の織物に関係する人物だったのではとも考えられる。

図録によると、埴輪群像は、生者が死者の生前の功績を称えたり、一族の祖先の物語を視覚的に表現したりするために立てられた可能性がある。

第2章 ものを食べる死者と生者

1.古墳で開かれる大宴会

現在のお葬式のように、死者の縁者が集まって故人の思い出を語り合ったのか?下野市の甲塚古墳(6世紀後半)で大量の土器がまとまって出土した。

2.「墓前」の登場

小山市の飯塚42号墳(6世紀中頃)で出土。
図録より「古墳の各所に、少数の土器が置かれている場合がある。特に、横穴式石室の前面にあたる墓前域に土器が供えられることが多くみられ、死者の埋葬や別れの儀礼と深く関係している。」

3.モガリと土器儀礼

図録より、
モガリとは、人間の死後、埋葬するまでの間に行われる様々な儀礼のこと。歌舞飲食や「誄」と呼ばれる各氏族の故事来歴が語られる儀礼が含まれ、死者を追悼し、死者の最終的な死を確認する意味がある。

第3章 横穴式石室と死者の埋葬

1.死者をとりまく副葬品

6・7世紀には、横穴式石室という横から入る方法が採用され、遺体の周りに副葬品が置かれた。

試しに横になって体験して下さいというコーナーも。「石室フォトスポット」。
狼塚古墳 鹿沼市(6世紀後半)で出土。きれいだな。

2.死者との再会

図録より、
横穴式石室では、時間をおいて何度も埋葬する「追葬」が行われ、追葬や石室の再利用の際には、先葬者の人骨を一か所に集め置いている。この時も儀礼を行った痕跡があり、生者は、過去の死者を自分たちの祖先として意識していると言える。

第4章 古墳の終焉と葬送儀礼

図録より、
7世紀の飛鳥時代に入ると、全国的には古墳が造られなくなる。下野地域では7世紀にも大きな古墳を造り、須恵器大甕を並べる儀礼が行われた。関東地方の各地の最後の首長墓には、仏教的な影響がみられ、理由は定かではないが、埋葬時に直刀や鉄鏃などを破壊した行為が確認される。古墳が終焉を迎えるこの時期、先の埋葬を「否定」する行為だったのか。7世紀後半になると急速に副葬品が少なくなり、古墳が小さくなっていく「薄葬化」と呼ばれるようすがみられる。

この章も3項目に分け、それぞれの古墳を例に挙げながら、細かい研究結果を紹介している。

最後の章を省略して書いてしまうほど、充実した内容。多くを学ばせてもらったし、古墳への興味が深まった。

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