『訂正可能性の哲学』東浩紀|人は”間違える”ことができるけど、AIは”間違える”ことができない。

目次はこんな感じ。
第1部 家族と訂正可能性
 第1章 家族的なものとその敵
 第2章 訂正可能性の共同体
 第3章 家族と観光客
 第4章 持続する公共性へ
第2部 一般意志再考
 第5章 人工知能民主主義の誕生
 第6章 一般意志という謎
 第7章 ビッグデータと「私」の問題
 第8章 自然と訂正可能性
 第9章 対話、結社、民主主義

東浩紀の本の好きなところを3つ、今作に出てくる記述をつまみながら紹介します。

①   論理展開がカッコいい!
ルソーの『社会契約論』と『新エロイーズ』の間に矛盾を見つけて、その矛盾にこそルソーの本質があるんだ!って言ってる。勝手に問題を見つけて、何を言ってるんだと思うこともできるんだけど、読んでると「確かにルソーの本質は矛盾にこそあるのに、皆その矛盾を忘れてしまってるんだ!」と開眼させられる。哲学や思想って、こういう風に”使って”いいんだ、というか、こういう風に”使う”ものなんだと思わせてくれる稀有な書き手だと思う。
大衆向けの分かりやすさに迎合したという東浩紀への批判を目にしたことある。哲学研究をしてるわけじゃなく、哲学を使って大衆にも届く新しい概念を作ってるということを見落としているように僕には思われる。
哲学や思想を勉強して何になるんだ。という批判はいつだってある程度正当な批判だと思う。特に変化の速い時代に対して、過去の思想なんか役に立たない気もする。

読書していて、シニフィエ/シニフィアン、差延、パノプティコンみたいなキーワードが出てきて、哲学者の名前を思い浮かべられた時にほくそ笑む。自分って結構教養があるじゃないか。ニヤリ。そんな感じで思想書とかを読んでいた。
そういう読み方だと、確かに思想・哲学は役に立たないよな。ということを東浩紀は教えてくれた。どういうことか。(問いを立てて直後に「どういうことか。」で文章をつなぐのは東浩紀の必殺技である。)

いやぁなんか民主主義って行き詰ってる感があるよなぁ。。。という時代の空気に対し、じゃあ民主主義の起源に戻る必要あるよな。とルソーを召喚する。そして、ルソーの小説と思想書の矛盾を見つけ、民主主義の行き詰まりの根本は、民主主義が生まれた当初にルソーが抱えていた矛盾と共通するよね。みたいなことを言う。
東浩紀が思想を援用する時には必ず、東浩紀が言いたいことがある。そして、過去の思想が直接は言っていないようなことを使って援用できる。すごい。
昔の人はAと言っててね、、じゃない。昔の人はAとは言ってない。でも、あの発言とその発言を並べると矛盾しているのは、実はAと考えていたからに他ならない。みたいに援用する。
東浩紀の本はいつも、思想や哲学を”使って”考える、自分の考えていることを展開するというのはどういうことなのか、という具体例になってる。そこに痺れる憧れる。

②書き手としての誠実さ
「ルソー27歳の頃(この年齢表記は出版年から生年を引いたものである。以下同じ。)」みたいな注釈。他の本であんまりみたことない。普通なのかもしれないけど、誠実だと思った。脚注でも「本文でも触れたかったんだけど、様々な事情で注に書かざる負えなかったんだよね。無念。」みたいな記述があって、書き手としての逡巡も見て取れる。これを誠実ととるかは人によると思うけど、僕は誠実だと思った。
ゲラを真っ赤にして返して、脱稿まで修正し続ける様子も、書き手としての誠実さを感じさせる。
(著者のことを褒めてばかりだと信者だと思われて意図するところが伝わらない懸念があるので著者ディスをすると、)読み手としては大変ありがたいが『ゲンロン戦記』などを読むと、自社校正の質など、質を高める為に労働強度も当然に高めるタイプのように思われるので、憧れはするものの一緒に働きたいとは思わない。一緒に働いているゲンロン社員の皆様にも尊敬の念を抱く。

③結論が突飛でないけど新しい
誤配・観光客っていう言葉もそうだったけど、訂正可能性って言葉も使いたくなる。「AIには訂正可能性はないけど、人間には訂正可能性がある。」みたいな台詞はカッコいい。普通の人間が普通に抱く感覚を、過去の思想を経由して、守ってくれる。今までそうだと思っていたことを、より深い理解を伴って信じることが出来る。「複雑そうに・難しそうにいってるけど言ってることは普通のことじゃないか」という批判も目にしたことがある。
でも、普通のことを普通に言ったって伝わらないから、僕らは自分に出来る限りの工夫を持って表現するんじゃないのか?詩なんか作ってないで愛してると言え!と言われればそんな気もするけど、でもそれは身を削って詩を作ってる人に言う言葉じゃないと僕は思う。

①を書いてて疲れちゃったのでここまで。
アクロバティックな論理展開で普通の結論に辿りつくんだけど、「訂正可能性」って言葉を知る前と知った後で、考え方や物の見方が少し変わると思う。そんな新しい概念を自前で作ってしまうのが、この本の本当にすごいところだと思います。

問題を設定し、解説する。ということを繰り返している本なので、エンターテイメントとしてすごく読みやすいし、哲学を知らない人でも読める哲学の紹介書にもなっているので、万人におすすめ。みんな読んでくれよな!

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