扇動者ピヤマラドゥ ヒッタイトとミケーネ文明の対立を煽った梟雄
現在「歴史としてのトロイア戦争」として、何冊かの参考図書を読んでいたのですが、その中でちょっと気になる人物が出てきたので、メモ代わりに分かる範囲で書いてみます。
その人物はピヤマラドゥ。参考にした書籍「トロイア戦争 歴史・文学・考古学」(白水社、エリック・H・クライン)では、トロイアと同一とされるウィルサという都市を巡るヒッタイトの書簡に何度か登場する「ヒッタイト人反逆者」として名前があがっており、彼がアヒヤワ(ミケーネ文明時代のギリシャ)と通じてヒッタイトを害していたこと、ミラワタ(後のミレトス)に関心を持っていたことなどが文書から読み取れることが書かれています。
ここで俄然興味が湧くのは、ミレトスとギリシャが結んでヒッタイトに害を成すという構図が、後のペルシア戦争の発端と同じということです。アナトリアを支配する大陸勢力(ヒッタイト/ペルシャ)は海を隔てたギリシャまで手を伸ばせないが陸続きのアナトリア半島は全て勢力圏と考える、一方海洋勢力であるギリシャはエーゲ海を「我が海」としてそれを取り巻く沿岸を勢力圏と考える。故にアナトリア半島のエーゲ海岸、古典ギリシャ時代でいうイオニア地方は大陸勢力と海洋勢力の争奪の舞台となる。ペルシア戦争の時のこの構図が、実はヒッタイトとミュケナイの間でも起こっていて、史実としてのトロイア戦争は実は数百年前に行われたもう一つのペルシア戦争なのではないかというアイデアはなかなかにエキサイティングです。まあ今のところは素人の思い付き、以上のものではないのですが。
で発端となったピヤマラドゥについてなんですが、日本語では検索してもほとんど出てこないんです。そして英語だと、どれが信用できる学術的なサイトか、どれがあんまり学術的には信用できないメディアのサイトか、あるいは全くの個人サイトか区別がつかないんですよね。
英語のWikipediaを読んだ感じだと、松永久秀的な梟雄、あるいは斎藤竜興みたいなずっと客将のままレジスタンスしている武将、みたいなイメージですね。で、プリアモスの原型と推測とか書かれると、ずいぶんイメージが違うなぁ、と。
で、せっかく記事を立ち上げたんですが、英語から日本語にする意味はあるとしても、語学力のない自分がブラウザの翻訳機能だけ使ってWikipediaまとめて自分の記事でございって出すのも違うと思うので、ここはまあ名前のご紹介だけで。ご興味のある方は、英語サイトを翻訳して読んでみてください。いつか良い参考資料に巡り合ったら、またちゃんと記事にするぞと夢見てここで筆を置きます。
ちょっとタイトル詐欺みたいになっちゃった記事で申し訳ないですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。
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