父から子へ語る、大雑把すぎるアルゼンチン経済史
先日、上の子が「アルゼンチンって何が有名?」と聞いてきました。僕は一瞬「アルゼンチンの主要な産業・・・」と考えて、「牛肉」と答えました。
「牛肉?」
「そう牛肉。アルゼンチンはパンパという広大な草原が広がっていてね。西洋人が南米にやってきた後にそこに牛を放すと、ほとんど世話をしなくてもどんどん育って、どんどん増えたんだ。それでガウチョという人たち、南米のカウボーイだね、その人たちは勝手に増える牛を捕まえるだけで食料を手にいれることができたんだ。
「でも長い間、それは自分たちで食べたり、街へ売りに行く程度で大きな産業にはならなかった(後で思い出したけれど、干し肉や塩漬け肉は輸出していた筈)。それが19世紀の後半頃かな、大きな冷蔵庫を積んだ船が作れるようになると、牛肉を世界中に輸出することができるようになった。これでアルゼンチンは物凄く豊かになった。ヨーロッパからたくさんの人が出稼ぎや移民にやって来て、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれる大都市に成長したんだ。『母をたずねて三千里』というお話があるけれど、主人公のお母さんは仕事を求めてイタリアからアルゼンチンに渡っている(ここで「つまりこの時点で、アルゼンチンはイタリアより豊かな国だった。出稼ぎは基本、貧しい地域から、高い給料の仕事が見つかりやすい豊かな地域に行くもので、逆はない」ということをもうちょっと説明した方が良かったかもしれない)。
「アルゼンチンのある地域は昔から人口が少なかった。西洋人が来る前も、スペイン人が来てからも南米で人口の多いのは太平洋側のアンデス山脈の方。港町のブエノスアイレス以外はあまり人が住んでいなかった。先住民も西洋人も、勿論全くいなかった訳じゃないけれど。ここにヨーロッパからの移民がやって来た。だからアルゼンチンは南米の中では白人の割合が高いんだ(つい白人という言葉を使ってしまったけれど、ヨーロッパ系と言った方が良かったと少し反省中)。ブラジルは隣の国だけど、サッカー国際試合を見るとわかるけど、こっちは黒人が多い(こちらもアフリカ系と〈以下略〉)。ブラジルはアフリカから奴隷として連れてこられた人の子孫が多いけれど、アルゼンチンの人口が増えたのは奴隷貿易が行われなくなった後の時代だからそうなったわけだ(アンデス地域の国々ではインディオとメスティソが多数派になることは、説明し忘れた)。でも少ないと言っても先住民や混血もいるのに「アルゼンチンは自分たちを白人の国だと思ってる」って、周囲の国の人からからかわれることもあるみたいだ。まあ人種については繊細な問題なので、軽はずみに話題にしない方がいいけどね。
「それで世界でも指折りの豊かな国だったアルゼンチンだけど、せっかく稼いだお金で工業化とか新しい産業を発展させるのに失敗したんだ。1950年代か60年代頃までは豊かだったのに、そのあとだんだん経済が悪くなっていく。今ではアルゼンチンを経済大国と言う人はいないし、先進国の中に含めることもあまりない。でも今でも牛肉の大生産国で大輸出国なのはかわらないよ」
さて、ここまで興味深そうに話を聞いていてくれた上の子なんですが、ここで衝撃の一言。
「アルゼンチンってサッカーは有名?」
虚を突かれました。そりゃアルゼンチンはサッカーで有名です。ワールドカップ優勝で世界一に輝いたこと2回(この後、2022年大会で3回目の優勝を飾りました)。古くはマラドーナ、最近ならメッシというスーパースターがおりますし、僕個人はバティストゥータやシメオネが印象深いです。
「にゃんこ大戦争のアルゼンチンで出てきたキャラがサッカーボール持ってたから、有名なのかなー?って」
そうだよね。アルゼンチンと言って、まず出てくるのはサッカーだよね。あまりに当たり前すぎて、意識から抜けてたよ。敢えてサッカー外しても、アルゼンチンタンゴとかあるよね。なんだ、牛肉って!なぜ、経済縛りで発想してしまったのだ!?
という訳で、一人で勝手に暴走して、恥ずかしかったという話でした。
アルゼンチンに対して悪感情は全くないのですが、経済難に陥ったことを書いたりすると、申し訳ない気分になったりします。ずっと古代の話ばかり書いていたのですが、これから近現代史の分野に入っていく時に意外な障害になったりするのでしょうか。
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