イエネコの外飼いを巡る意識の変化 ー自分の目で見た歴史ー

 今月、奄美大島のマングースに根絶が宣言されたとのニュースが大きく報道されました。5年以上にわたり捕獲が無く、根絶されたと判断されたものです。
 面積の限られた島であるとはいえ充分に広いエリアで、一度定着した外来種が根絶されるのは極めて稀であるとのことで、関係者の努力には頭が下がりますが、一方で人為的に導入されながら駆除されることになってしまったマングースたちに感情移入してしまいそうになるのもまた確かです。

 さて奄美大島で捕獲が進められている動物には、他にノネコがいます。ですがイエネコであるノネコの駆除には、マングース以上に心理的抵抗を覚える人がいるのが予想されます。
 実際、Xで「マングースの次はノネコ」という内容のポストに嚙みついているポストを目にしました。

 考えてみるとこの数十年でネコの飼育についての考え方は大きく変わったと思います。それこそパラダイムシフトと言ってもいいほどの価値観の変化が、自分が個人で観測できるほどの短期間で起きたかと思うと不思議な気すらします。
 約40年前、僕が子どもの頃にはネコは外飼いが当たり前、家から出さずに飼えばむしろ「可哀そう」と言われたものでした。ネコは気ままに町を歩き回り、複数の人間からエサをもらい、それぞれの家でそれぞれの名前で呼ばれる。オスネコであれば他所のネコと命がけのケンカをし、飼いネコであってもある日突然姿を見せなくなる。いなくなったネコが若いネコなら人は「あの子は自分の居場所を求めて旅立ったのだ」と言い、老いたネコなら「ネコは自分の死ぬところを飼い主に見られたくないのだ」と言って自分を納得させる。ネコとはそういう存在でした。
 しかし交通事故の増加やネコエイズの蔓延、あるいは人間のコントロールを離れて繁殖するノラネコによる様々な被害などで次第にネコを家の外に出さない飼い方が主流となっていきました。避妊の上で町に戻す地域猫の活動などもありますが、これも全てのノラネコを飼育下に移行できないための苦肉の策であるように思います。

 僕個人としては、まだまだネコを家の中に閉じ込めて(主観の入った表現ですが)飼うことには違和感を感じています。子どもの頃に町中を自由に歩き回るネコに親しんだ記憶。野良猫に餌付けして自分の家のネコにしたけれど結局出て行って帰らなかったネコたちの記憶。あるいはノラネコとも共存できないで、何が野生動物保護だと思っていた時期もありました。またコンラート・ローレンツの著書でネコは完全な家畜ではないとあった影響も大きいと思います(イヌについて、他の家畜は捕虜だけど、イヌだけは人類の同盟者として隣にいる、という内容の文章の後に補足のように書かれていました)。そういう記憶が新しい価値観を受け入れる邪魔になります。
 それでも、これは本当に頭の中をアップデートしていかねばならない内容なのです。思い入れを排して客観的に考えれば、イエネコは小さくとも優秀なハンターであり、スティーブンイワサザイの例が典型ですが、野に放たれた時の影響は計り知れません。「世界の侵略的外来種ワースト100」にも数えられていますが、ひょっとすると人類自身と人類が世界の隅々にまで拡散してしまったイエネズミと並んで、いわゆる「第6の大絶滅」の主犯とさえ言えるかもしれません。

 自分の中のざわざわとした葛藤を他所に、なんだか世の中は驚くほどスムーズに、イエネコの外飼いについての価値観の転換を受け入れたように見えます。集合住宅で「ネコに餌を与えるな」などと書かれた張り紙を見かけることもあるので、切り替えることのできない人も多いのでしょうが。

 とにかくイエネコの外飼いを巡って、自分自身の体感したささやかだけれど明確なパラダイムシフトについて、付随する情報とともにここに記録しておくものであります。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


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びぶ
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