見出し画像

パラリンピックの時期に思い出す「差別」の授業。

パラリンピックが近づくと、思い出す授業があります。小学五年生の時、担任の先生がしてくれた話です。その先生は、授業の初めにいきなりこう言いました。

「実は先生、障がいを持ってるんだ」

教室は一瞬、静かになりました。続けて先生は言いました。

「歯並びがすごく悪いんだ」

教室はなーんだ、そんなことか、みたいな空気に変わりました。そんな空気を見て、先生はもう一言。

「実は先生、ハーフでもあるんだ」

今度は騒然。え、どこの国!?日本人じゃないの!?という声が飛び交いました。

「先生のお母さんは鳥取県、お父さんは群馬県出身なんだ。だから先生は鳥取と群馬のハーフだよ」

またまた教室から起こる笑い。それはハーフって言わないでしょ〜!とからかうクラスメイト。そこで、先生のトーンが真剣になります。

「同じだよ。障がいというのは、大なり小なりみんな持ってるものなんだ。歯並びが悪い、滑舌がよくない、目が悪い、これは全部障がいで、特別なものじゃない。ハーフだって、違う土地で育った人の血が混ざってる、という意味では鳥取と群馬のハーフもアメリカと日本のハーフも同じ。」

当時はまったくピンと来ませんでした。他の子たちもぽかんとしていたので、同じ気持ちだったと思います。でも今になってみると、あれは小学生に伝わるレベルで「差別」の授業をしてくれたんだと、そうわかります。

障がいがある人とない人、ではなく、すべての人に障がいはある、と考える。そうなるとパラリンピックの見方も変わってきそうですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?