【無料記事】不老不死のうちに永遠を生きるベンチャー企業について - BiblioTALK de KINOKO Vol.1
あたらしいサービスだ。当面無料でやる。そして今回はうでパスタが書く。
少しまえのBibliothèque de KINOKO Weekly Magazineでキノコさんが「うでさんがしばしば言う、モダーンな生活を支えるための過剰さ」というようなことを言っているのを読んで、「あ、このひとは俺の書いてるのもちゃんと読んでるんだな」という素直な感動があった。
もちろん私だって彼の書いたものを読んでいるが別に読まなくたっていいわけで、一緒にビジネスをやるときにはこういう基本的なこと、シンプルなことというのが意外に大切だ。
どんなに高度なことをやっていても信頼関係というか、「ここはレスペクトしていますよ」ということが相手に伝わっているといないとではだいぶん違う。具体的には最終的に金で揉める怖れが結構減る。
「いいかうでさん、ビジネスってのは儲からなければ揉める、儲かっても揉める、とにかくひととやる限り最後は絶対揉めるんだよ」と真顔で教えてくれた老練な事業家がいた。そういうことだ。いま私はこの事業家にタダで使われている。つまりこのひとにとって私は一緒にやる「ひと」にも入っていないということだ。こういうのが非常に勉強になる。
とまれその「モダーンな生活を支えるための過剰さ」だが、いつも読んでいただいている方はご存知の通り、私はこれに対して異をとなえる立場で一貫している。しかしその一方で七十平米の賃貸マンションにエアコンを三台入れて、ビルトインの食洗機とウォシュレット、三面採光を決め手としていまの家を契約した私(契約電流四十アンペア)は扇動者を目指しはするも実行においてはきわめて未熟な一個の人間なのだ。
だがみんなそうだろう?
カトリックの聖職者たちを見ろ。“How dare you!”と世界を罵った少女がジェット機で帰国したって、環境大臣がステーキを食べたって私は悪いとは思わない。本音の話し合いが人類を高みへ導いてくれると本気で信じているのか?そうではなく建前が大切なのだ。だからドナルド・トランプはダメなんじゃなかったのか?あいつは建前をバカにしている。人類がよりよくなれるという可能性を愚弄しているのだ。
西暦二〇〇〇年に上梓された私の卒業論文は、柴田元幸が「リヴァイアサン」のあとがきに寄せた以下のような言葉で始まっている。
現実と理想との隔たりに人間の悲惨があり、現実から理想に向かおうとする意思に人間の栄光がある。
「リヴァイアサン」(ポール・オースター/新潮社)
だから私はトランプを憎んでいるのだが、皆さんはどうだろうか。単に愚かな人間を憎むというのであれば、皆さんの立場は私のそれとはまた少しちがう。
そんなわけで九段下図書室・Bibliothèque de KINOKOはただ安いというだけの理由で選んだ輸入物の書棚、引っ越すときには捨てると決まっている消耗品のソファ、フロアスタンド、間接照明、泉佐野市からきたビール、サンノゼから帰った私のパートナー(高卒)が買ってきたワインなどまさに過剰なモダーンさを象徴するあれやこれやにあふれかえって、ついに営業を開始しようとしている。罪悪感とかも特にない。
ところで「営業」というのは何かというと、限られたひとからまぁまぁな月会費をとって、この図書室へサボりにきたり、「とにかく本について話しましょう」といって開催されるサロンへ遊びに来ていいですよというこういう会費制サービスを始めるということだ。なお「図書室」と言ってはいるが本は貸さない。キノコさんはちょっとでも本を汚されたりすると記憶をなくすぐらい激怒するひとなので、貸すのはやめた方がいいと私が判断してそう言ったのだ。自分の娘が本の帯を捨てただけでも洒落にならないぐらい怒っているらしい。まぁ分かるけど児童書のカバーや帯ほど無駄なものもないと私は思いますよ。あと、私の蔵書は貸してもいいのですが、このへんはまた会員には説明します。
それからうちの顧問弁護士が先日のミーティングで「ちょっと待ってください、図書館法と著作権法の関係ってどうなってるんでしたっけ?」と言い出した。「それはおまえが教えてくれよ」と言ったらそのまま帰ってしまったので、これもどうなるかはまだ分からない。
さて前置きが長くなったが、会員制サービスの開始に先立ちかねてより相談していた「BiblioTALK de KINOKO」というシリーズを始めることにした。何かというと、私(うでパスタ)とキノコさんの仲がいいひとを実際に九段下の図書室へお招きして、そこでいろいろ聞いたインタビューを記事にするということだ。
我々は本を読まない人間に関心を抱かない。招かれるのはだいたい本を読むひとだからしてBibliothèque de KINOKOとの関連性は大丈夫だと思ってほしい。「フォロワーの多い人間を取り上げて拡散を狙っている」という指摘はまぁ、浅いと言っていいだろう。
第一回目のゲストには、この方をお招きした。
“起業家。"IT×福祉"企業COO/ 沖縄8、九州14、海外2拠点、300人の壁/学生起業→リクルート→渋谷でバー創業→IT企業COO(🇰🇷5年🇻🇳5年)→福祉スタートアップ創業/ 組織開発/ メンタルヘルス/ 居場所/ 拡張家族/ 地方創生/ 高齢化社会/ 幸福経営/ 多国籍経営/トライアスロン”
こんな暑苦しいbioでよくもツイッターをやっていけるなという感じだが、私は雲井さんのことが結構好きだ。
いろいろあって私は沖縄へ行くと雲井さんが丸一日割いて「最高の沖縄ガイド」をやってくれるということになっている、そういう権利を持っているのだが、彼と沖縄を一日中走り回るとかはあまりにもしんどそうなのでその権利をもう三年ぐらい延々と寝かせている。
許可をいただいているのでご尊顔をご覧いただこう。初めて会ってから六年ぐらいのあいだまったく変わっていない。
bioにもあるが「韓国、ベトナムを経て十二年ぶりに東京で生活を始めたんですよ」という彼は、こともあろうに都内某所のシェアハウスに住んでいるという。もうそろそろ四十にも手が届くという歳だ。
「シェアハウス、大丈夫なんですか」
「いや、それがもうリアル『テラハ』なんですよ」
「『テラハ』」
「男女がひとつ屋根に暮らしていろいろとドロドロするっていう番組があるんですけど、それが僕のところだと四十人ぐらいが住んでるんで、それは男も女も、若いのもちょっと歳上のもいたりして本当にそれが展開するんです」
「最悪ですね。ひとりあたりどれぐらいのスペースなんですか」
「一応そこはちょっとしたビルを改装してやってるんで、ひとりあたり十平米の部屋があるんですよ」
「個室あるんだ」
「個室ですね」
「消防法とか大丈夫ですか」
「そこはちゃんとやってると思うんですけど…ちょっと分かりません」
「火事とか出てみんな死んでほしいですね」
「はは」
雲井さんはこの二年ほど、あたらしい事業の立ち上げをやっていたため住所不定であった。
具体的には、ベトナム・ホーチミンシティにあったアパートを二年前に引き払ったあとは沖縄をはじめとする日本の各所を飛び回って仕事をしていたため、ずっとホテル暮らしが続いていたのだ。どこで税金を納めていたとかは訊いていない。
とはいえ落ち着いた先が四十人の住まうテラハであるというのをもって「非常に楽しい」と語る人間に私はほとんど猟奇的なものを感じるが、十年以上にわたり日本へくるのはたまの出張だけだった雲井さんが、旧知のひとに毎晩のように会える久方ぶりの東京ライフを楽しんでいるのは確かなようだ。
雲井さんの会社がホーチミンシティへやってきたのはたしか二〇一一年のことで、そのころ僕たちはレタントンという日本人街のオフィスビルにある「テンポラリー・オフィス」(短期貸しオフィス)で仕事をしていた。
なぜ短期貸しだったかというと、その下のフロアにあった会社をある日いきなりベトナム人に乗っ取られたからなのだが、この事情についてはまたいつか別の機会に話すことになるだろう。
「ベトナムで仕事を始めたいから当面の場所を貸してくれ」と最初に乗り込んできたのは雲井さんではなかった。彼がCOOを務めるグレイトフルデイズ株式会社の社長とCTOとがやってきて、いきなりすごいペースで採用面接を始めたのだ。
すごいというのは、ふたりでホーチミンシティへやってきて通訳を雇い、プレゼン用のテレビを買ってきたかと思うと朝の八時から夕方の五時まで、一時間刻みで十人ずつのグループ面接をぶっ続けでやり始めたわけだ。
しかもすごいのはそれだけではなくて、このふたりは五時に最後の面接を終えるとどこかへ飲みにいき、朝方まで飲んでいた。僕が一緒のときにも夜中の三時ぐらいまで延々と飲み続けたあげく、えらくガタイのいいCTOが最後に必ず濃厚なフレンチ・キスで僕の唇を奪ってタクシーに乗り込んだものだ。一度や二度ではない。だが翌朝僕がフラフラでオフィスへ上がると、彼らはまた十人の応募者を相手に一時間刻みのプレゼンをやっているのだった。
人材募集に応じてやってきたベトナム人の若者たちの多くはゲームクリエイターだった。
彼らをまえに繰り広げられるプレゼンテーションは非常にビジョナリーなもので、グレイトフルデイズが展開するオンラインゲームの世界、そのスピリット、それを護る会社のもとめる人物像、そんなことを語りかけ、応募者のコミットメントを問うていた。「面接」が終わったあとの会議室から出てくる若者たちの表情が感動と畏怖にあふれていたのをいまも鮮明におぼえている。
そんな「ひとつ屋根の下」で過ごした日々のなかで、グレイトフルデイズは僕のいちばん好きな会社のひとつになったのだ。
リクルート出身だということもあって、雲井さんは若いひとのいまと将来について話を聞くのが好きだ。彼は言葉を選びながら若者を挑発し、彼らに「本当の自分」よりも少し大きなことを言わせるのがとても上手い。そう思ってこの夜もひとり大学生を呼んでいたのだが、残念ながら大学生は安定剤と酒をタンデムしており、すぐに帰ってしまった。
ちなみに僕はリクルート出身のまともな人間というのをふたりしか知らないが、そこに雲井さんは入っていない。
「僕はめっちゃめちゃ本読んでるんですよ」と、この数年会うたびに雲井さんは言っている。最近はAmazonのオーディブルを利用してエクササイズをしながら「速読」するようなことをしているというが、僕に言わせればそれは本を“読んで”いない。
「ただ、本を読んでると同じような本ばかりに偏っていっちゃう」
「レコンメンド機能の罠ですね」
「そうなんです。自分の興味のあるものから、同じようなものばかりが出てくるからタコツボ化してっちゃうんですよ」
「検索とマッチングというインターネットサービスの本質から予言された問題です。雑誌社なんかはそれをもって『編集されたもの』の優位性を主張していたけれども、結局はみんな負けてしまった」
「だから僕はもっと意外な、僕の知らないところからいきなり出てくる本みたいなものに出会いたいんですよ、知りたいんです」
「ここはあなたのようなひとのための場所です」
「そうなんですよ。本について語れる場所が欲しいんです。だから月に何回かとか、ここへ呼んでほしいんですよね」
「よろしければ会員ナンバー・1をご用意しますよ」
「本当ですか」
「月会費は五千円を予定しています」
「オッ、大丈夫です」
かつてサイゴンと呼ばれたホーチミンシティに僕が暮らしていたごく短い年月のあいだにグレイトフルデイズはどんどんひとを増やしていって、少し北にあるフーニャンというあたりに大きなヴィラを借り、そこをオフィスにするようになった。
一軒家を借りてカイシャをやるなんて夢がある。どんなだか見せてくれ、とお願いして訪ねていったことがある。
閑静な住宅街には富裕層のものと見える間口の大きな屋敷が軒を並べていて、そのうちの一軒がグレイトフルデイズのあたらしいオフィスだった。入り口には警備に雇われたおっさんが普段着で座っていて、にこやかな笑顔で我々を迎えてくれた。
「やっぱ警備員って雇わないとダメなの?」と訊いてみた。
「別に盗るものもないからと思って、最初は警備員は置いてなかったんですよ」と出迎えた佐藤さんがいう。「でも一階から『ガタガタガタッ』って音がするから見にいったら、トイレのドアを外して盗もうとしてる奴がいたんですよね。それで警備入れることにしました。何が盗まれるか分からないことが分かったので」
無知の知、定期。
私はベトナムのこういうロジックの破綻したところがとても好きだ。暮らしているだけで精神的な筋肉が鍛えられていく。よく知らないがひとの話を聞く限りでは「ウルティマ・オンライン」がそうだったようだ。
それまで韓国・ソウルの拠点にいた雲井さんがベトナムへやってきたのはたぶんその頃だったと思う。
「グレイトフルデイズにまたすごいのが韓国オフィスから来た」と聞いて、「何がすごいんじゃ」と思ったら「コミットです」と云われ、「コミットってなんじゃ」となり、この日はオフィスへ見学にいったのだが、最上階へあがるとそこには石の床に裸のマットレスが四枚、無造作に並べてあって、柱に渡された紐にはぶらさがった男の洗濯物が開け放った窓から入る風に揺れていた。
「野戦病院?」
「僕らが住んでます」
「家ないんだ」
「社長以下、役員はいま全員ここで寝起きしてます」
「創業何年でしたっけ」
「もう十年になります」
「なるほど」
そのとき僕はもうすっかりグレイトフルデイズに惚れていたが、あらためて「勝てないな」と思ったできごとだった。ブラックな会社にもいろいろあるが、社長が会社のうえに寝泊まりして夢を語っている会社を責めるのは結構難しいと思う。あとはもう社員が自分で決めることだ。
「テラスハウスに住んでいる」と雲井さんから聞いて最初に思い出したのは、あのとき異臭を放つマットレスのうえで揺れていた洗濯物だった。このひとたちには楽をしようとか贅沢をしようとか考える器官が欠如している。
「本についていろいろもっとひとの話を聞きたいと思ってBibliotheque de KINOKOさんのノートを最近になって読んでるんですよ」
「読んでなかったんですね」
「それでうでさんのエントリーを読んでてですね、孤独について書かれてたじゃないですか。あれはいったいどういう気持ちで書かれたのかを聞いてみたかったんですよ」
「孤独な気持ち」
「いやそうですけど、僕も、僕自身も実は孤独なんですよ」
「でしょうね」
「ええ、すごい孤独なんですよ。それであの文章を読んだときに、うでさんはいったい誰のためにこれを書いてるのかなと思って、それを今日はうかがいたかったんです」
それはこんなノートだ。
最近引退を表明したプロ野球選手が、
「自分は努力しているという顔をしてる奴の努力はたいしたものじゃない、自分は孤独だと言っている奴の孤独は本当の孤独じゃない」
と、大意こういうことを言ったと聞く。
ひとに話せるような孤独は孤独でない、とするならば、はたして真の孤独に救いはないものなのかと、この二週間ずっと考えていた。
表現することもできない孤独だ。「分かるよ」とひとから言われて、そうかと得心できるものでもない。そも我々の多くは孤独であると傍目には気付かれることもないまま、毎日バスや電車で、そして職場で互いのとなりに座っている。あるいは座れることすらも稀である。
ともあれこんなに多くのひとびとのなかで、何の慰めもなく孤独を生かしておけるはずはない。
だからおそらく本当に孤独な者たちは、日々のなかでたまたま見つけた他人の孤独のなかに密かなやすらぎを見いだしている。どこかに落ちていた詩の一編を、絵画のなかの人影を、インターネットに投稿された画像の笑顔をふと見かけて、「自分はこの作者の孤独を知っている」と思えたときにだけ、孤独は孤独であるままにひとつ息をつけるのだろうと思う。
「大統領の孤独と「エスタブリッシュメント」、反乱」 - Bibliothèque de KINOKO
僕は自分が孤独であることに羞恥をおぼえない。
だが世の中には孤独であることを残念に、あるいはうしろめたく感じながら生きているひとがいるようだ。ただ孤独であるだけでも充分に苦しみながら、そのスティグマに怯え、毎日を傷つきながら生きているひとたちがいるのだ。
僕は孤独を恥ずかしくは思わないし、当然蔑みもしないから、自分の孤独について語ることにはためらいがない。そんな文章やツイートに、インターネットのどこかから、そっといいねをしてくるひとたちがいる。
ときにはフォローを返すこともあるが、多くの場合はそんなこともしないまま、ましてや言葉を交わすこともしない。でもそうしたいいねがつくたびに僕は理解するのだ。彼や彼女がいいねをすることで、ふだん大切に囲っている孤独を僕にはそっと教えてくれたということを。
「僕に彼らを救うことはできないし、そのつもりもありません。彼らも本当は救われたいとは思っていないでしょうし。ただそうやって自分は孤独だと誰かに知らせること、それを受け取ったと知らせること、それは僕にとっても大切です。なぜなら僕自身も孤独だからです。そういうことをやるために僕はものを書いています」
「なるほどですね」
「どっか店行きますか」
「行きましょう!」
この世に存在するすべての飯が出る中華屋へ来た。我々は最近、図書室で飲むとそのあとはここへ来ることにしているが、この店の名前をいまだに知らない。
やばすぎる。いったい誰が作ってるんだ。
雲井さんが結構な量の食事を頼んだが、キノコさんはテーブルに着くなり寝始めたのでもう誰も手を付けない。
このへんから僕の記憶は曖昧だ。
グレイトフルデイズは三年前にあたらしい事業へ乗り出した。資金はクラウドファンディングで集めた。
この事業を起ちあげるために、雲井さんはホテルを渡り歩く生活をつづけてきたのだ。グレイトフルデイズのことだから、「ホテル」とかも名ばかりの何かだったのだと思う。
「百メートルをそのタイムで走れるからといって、同じペースでマラソンを走れると考えるバカな管理職」の話が何回も何回も、ツイッターに出てくる。誰が考えたって無理だという話だ。
だが本当に無理なのかなと考えると、それが実はサラリーマンの壁であって、難しいことだけれどもマジでそれをやってるひとたちが経営者や自営業者のなかには少しいるような気がする。
そうしたひとたちの会社を僕はひとつ知っていて、それがグレイトフルデイズ株式会社だ。
ウサイン・ボルトでフルマラソン、未上場(2019年10月現在)。
だがすべてを投げ打って会社なんてものをやろうという奴らが、ほかにどんな人生を求めているというのだろう?
みんながみんな歳老いることを怖れながら、まさにその怖れでもって歳をとっていく。
奇妙なほどに若々しいグレイトフルデイズというひとびとを見ながら、そうはなれなかった自分を悔やまないでいるのは僕にとって難しいことだ。
このノートは、雲井さんによる事前の原稿チェックと承諾を受けて公開されています。
したがって本当におもしろい部分はカットされました。
そこを聞きたい方は、九段下図書室・Bibliotheque de KINOKOの会員になって次回の現場へご参加ください。
現在会員は募集しておりません。
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