【無料記事】ライバルは眠らない/利他心の導くたったひとつのゲーム - BiblioTALK de KINOKO Vol.2
Bibliothèque de KINOKO(ビブリオテーク・ド・キノコ)にゲストをお招きするBiblioTALK de KINOKOの第二回になる。最後まで無料で読めるが二時間ぐらいは必要だ。
まさかとは思うが第一回を読んでいないという場合にはこちら。
書いているのはうでパスタだ。最近はなにか異様な切迫感のなかで生きていることを何人かのひとから見抜かれていて、理由は自分でも判然としないがなんとなくアタリは付いている。しかし本質的な解決を可能なかぎり避けるという方針に従い、まず心療内科へ電話して予約をとった。薬で乗り切るつもりだ。
「図書室っていうのはいったい何なんですか」とよく訊かれるが、この質問はそれ自体が答えになっている典型的な愚問だ。みんなが日々繰り返しながら「コミュニケーション」とか言っているやつのひとつだ。内容には意味がない。だがオタクになるとふだんコミュニケーションをとらないので、人間の発言全部に意味があると思い込んでいて誰かの言ったことをすべて解釈せずにはいられない。だいたい間違っているのだがやめられない。私もそうだ。
Bibliothèque de KINOKO(「キノコの図書館」)はキノコさんと僕が九段下に開いている図書室だ。ただし開いているというのはレトリックで、多くのひとびとにとってその扉は固く閉ざされている。これはレトリックではなく、二重扉で外は鉄扉になっているし、一週間のうち開いているのはよくて六時間ぐらいしかない。
キノコさんと僕は、それぞれが家に置いておれなくなった本を保管するためにこの部屋を借りた。いまたぶん、ふたりの本があわせて四〇〇〇冊ぐらいあって、キノコさんは現在もだいたい一日に三冊のペースで本を買い続けている。家族は怒っており、一日に三冊以上本を買うことは禁じられているという。これはちょうど年間に一〇〇〇冊のペースだから、つまりキノコさんの蔵書の大半はまだその実家に文字通り山ほどあるということになる。
要するに、私は狂人とタッグを組んでいるのだ。
キノコさんから初めてアプローチをもらったとき、僕はアメリカのボストンに暮らしていた。
四月にしてはまだしも過ごしやすい日、朝の用事を済ませてバスに乗り、韓国スーパーでツイッターを繰りながら買い物をしていると、キノコさんからメンションが来た。ツイートを遡るとキノコさんはその晩すでにワインバーで酔い潰れていちど寝ており、泥酔した深夜の帰路の勢いと見えた。
「東京へ戻ることになったので、都合のいいときに一度うでさんにお会いしたい」
翌月、出張で東京へ立ち寄った僕は渋谷のイタリアンレストランで相手が現れるのを待った。
転職したばかりの会社を出て地下鉄でやってきたキノコさんは、僕を見付けると向かいへ腰掛け、めんどくさそうに挨拶するとボトルから注いだ白ワインを一息に飲み干して、
「サラリーマン風のひとだとは思いませんでした」
と失礼なことを言った。
翌年にはボストンを引き揚げることが決まっていた。その晩、僕とキノコさんは一緒に小さなオフィスをひとつ借りて、そこへ蔵書を持ち寄ることを決める。
会社は僕のを使いましょう。大丈夫、ものすごい赤字があるんです。図書室の屋号はお任せしますと言って別れると、しばらくしてから「Bibliothèque de KINOKOではどうでしょう」とDMが来た。まったく問題ありません、と僕は返事をした。
道玄坂の別れ際に、「ボストンにいるあいだに読むといい」と教えられたのが「メタフィジカル・クラブ」だった。キノコさんは人文学部哲学科というところを卒業している。
その夏のあいだ、キノコさんと僕は飯田橋から神楽坂あたりの物件を何度も何度も訪ねまわり、ようやくめぼしい物件の契約にこぎつけたときにはもう十一月になっていた。書棚を買い、家具や什器や冷蔵庫を入れ、そしてもちろん無数のダンボールに詰まった書籍を運び込み、ソファを買い、照明を買い、フロアスタンドを買った。家賃をのぞいても今日までにかかった費用はゆうに一〇〇万円を越えている。回収の見込みはない。
どんな場合も外装や内装にあまり時間とエネルギーをかけすぎて、変更があったときに情熱を失うことがないようにする。
「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」(トム・ヴェルネック/スモール出版)
BiblioTALK de KINOKOは、いよいよ準備のできた図書室へひとをお招きして、一緒に酒を飲むトークイベントだ。
遠からずこの図書室は会員制となり、にわかには信じがたい高額の月会費をとるようになる。小金はあっても知的に貧困なミドルクラスを搾取するあらたな貧困ビジネスの出現というわけだ。慈悲はない。
画像をご覧いただく。
※以下、画像には元ツイートへのリンクが張ってある。適宜お楽しみいただきたい。
「もっと優雅な感じだと思っていたのに…」
その晩、同じことを三度繰り返したひとがいた。残念だというよりは彼女自身も傷付いていて、ほとんど泣きそうに見えた。このひとからは手土産におしゃれなハンドソープをもらったが、俺たちは手を洗わない。
この日のためにローテーブルを買ってあったが、到着が間に合わなかった。そこでダンボールに一〇箱あるキノコさんのあらたな蔵書をテーブル様に組んだが、それが失敗だったのは上に見てもらったとおりだ。
しかし賢明な読者はすでにお気付きの通り、ダンボールを家具に使うアイデアはポール・オースターの小説「ムーン・パレス」へのオマージュに他ならない。大学生になった主人公は伯父から贈られた本の入ったダンボールを何もない部屋に積み上げ、家具に使う。やがて徐々にその「家具」を本屋で売り払いながら、彼は人生のスタート地点を離れていくのだ。
その物語はたしかに優雅さとは無縁かもしれないが、この手のエモさというのはひとを選ばないだけにより民主的だというのが私の考えだ。
ところで先日、別の機会に図書室へ持ち込まれた手土産は韓国海苔と塩昆布とストロングゼロだった。韓国海苔と、塩昆布と、ストロングゼロだ。いくらなんでも率直すぎるだろう。だがつまりはこれが私の属する「界隈」の匂いというわけだ。優雅さを遠のけているのは他ならぬ私自身の、その匂いなのだ。
多くのひとは生まれたときに着ていたものをやがて脱ぎ捨て、自分で選んだ荷物を背負って人生を走り出す。
ディズニーランドに生まれて歌舞伎町を目指すのもいれば、歌舞伎町に生まれてディズニーランドに憧れるのもいる。それぞれに悪戦苦闘をしながらこのふたりは、たとえばだいたい築地から銀座あたりですれ違うことになる。このときカメラがポーズして、猛スピードで行き交う車のなかハンドルにしがみつくふたりが唇を動かすことなく言葉を交わす。ふたりはどちらもこう語る。
自分がいま出てきたところには何もない。生きていくにたる理由はないんだ。おまえもここで引き返せ。
瞬刻ののちカメラはふたたび回り出し、ふたりはそれぞれの目指す場所へ向け、別々の方向へとアクセルを踏む。どちらもそこへたどり着けばこの旅は終わると信じている。我々が互いの人生について分かりあえることはほとんどない。
では僕たちはなぜひとと人生について語り合うのだろうか?それぞれに別のところを目指す旅のなかで、話し合うことにどんな意味があるというのだろう?
今回のゲストはアナログゲームメーカーの「ろれるり堂」さんだ。
ろれるり堂さんにお目にかかるのは今回が初めてだが、実はろれるり堂さんというのはかなりまともな社会人であることが分かっている(だいたいのひとがそうであるように、ツイッターでは別にそうは見えない)。「お越しいただけませんか」とDMしたところ、快諾とともにいきなり本名と所属勤務先までお知らせをいただいてしまった。勤務先はこれをお読みの方なら必ずご存じの出版社で、つまりろれるり堂さんは編集者なのだ。
図書室に、編集者が来る。それを伝えるとキノコさんは、「“本物”がきたという感じですね…」と曖昧な返事をよこす。
ツイッターでフォローをしていると、リアルの知人よりも克明にそのひとのことが分かってくることがある。
僕はだいたい二〇〇名ぐらいのアカウントを一日中不断に監視しつづけていて、そのリストにはまさに「監視」という名前が付けてある。風呂に入っているときはもちろん、トイレにいるときも、料理をしているときも、料理したものを食べているときも、満員電車のなかでも僕はずっとツイートを通じてこのひとたちの生活を追い続けているのだ。「仕事中にツイッター見てる」なんていうのは当たり前で、このなかでは仕事中に見るのがいちばん簡単なぐらいだ。
いまの僕はそのアカウントさんたちが何もツイートしていないときでも、「ちょうど昼を食べている」「昨夜準備してたプレゼンを頑張ってる」「おそらく上司と移動中」「疲れているので今日はもう寝た」「面接を受けているが、今回ではまだ決まらないだろう」など、だいたいの流れを把握している。これが常に二〇〇スレッドぐらい頭の中を走っていて、僕は寝ているとき以外は一日中、このひとたちと一緒にいるのだ。そして自分の脳のこの部分を僕は「シビュラシステム」と呼んでいる。
つまり僕は発狂しつつあるのだ。
シビュラシステムを通じて、僕はろれるり堂さんがおそらく僕とおない年であり、本業の傍らアナログゲームを作る作家であり、昨年生まれたお子さんがいて、ご自身も長い育休をとられていて、編集者であるということはついにそこから読み取ることができなかったというものの、いま現在彼がひどいものもらいを患っていることを知っていた。
ものもらいは抗生剤が出る病だ。そして抗生剤は酒を飲んでいると効かない。だから僕は数日前に「もし体調がよくないようでしたら日程を変更しましょうか?」と尋ねてみることにした。
ろれるり堂さんの返事はこういうものだった。
お気遣いありがとうございます。医者にはちゃんと「酒飲んでいいですか?」と聞きました(それ以上に重要な質問があるでしょうか?)が、付き合い・晩酌程度なら問題ないとのこと。まあ「酔っ払うほどになるとよくない」との言葉は気になりますがリスケなしでOKです。
(ろれるり堂)
“本物”という印象だ。
そも僕はゲームデザイナーというひとたちについて、このときすでにこんな文章を読んでいた。
それでもゲームデザイナーの場合、本物の盗作はどちらかといえば稀だ。何といってもゲームデザイナーは同時にプレイヤーでもある。プレイヤーはルールを守り、価値を目指すが、人を騙すことはしないものである。
「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」
ドイツ人が書いたにしてはナイーブな気がするが、まぁいいだろう。ろれるり堂さんは信用できると書いてある。彼はゲームデザイナーであり、プレイヤーなのだ(そこまでのプレイヤーではないことがのちに分かる)。
ちなみに「ろれるり堂」からリリースされる今年の新作ゲームは「呪術トリック」という。たぶん「叙述トリック」にインスパイアされたネーミングだが、ルールには実際に「呪い」の概念が取り込まれていて、「強すぎる手で勝つと呪いを受けてしまって上がれない」のがミソだと聞いている。僕はこの話をGabaのアメリカ人講師にもう三回もしたが全員が感心していた。だが「強すぎると勝てない」というアイデアをアメリカ人が飲み込める日は永遠に来ないだろう。
ろれるり堂さんの「呪術トリック」は二〇一九年十一月二十三日(土)に東京ビッグサイトで正式に発表される。試遊卓も出るし、僕も胸を躍らせて訪ねる予定だ。帰りは水上バスにすると思う。
そしてこのパートの最後に僕が本当に言いたいのはこういうことだ。つまりこんな言い回しがある。
どんなあたらしいことにのぞむにせよ、それに関する本を一冊読んでからのぞむタイプと、そうしないタイプがいる。一夜漬けの知識がもたらす差はごくわずかだが、ふたりが競うときにはそのわずかな差で一冊読んでいった方が勝つ。そしてどんな機会にも必ず、一冊読んでいく方が常に勝ち続け、ふたりの差は広がっていくのだ。
僕はろれるり堂さんをお迎えするために、日本で唯一手に入るボードゲームメーカーのための手引きを読んだ。昔から僕は「読んでくるタイプ」なのだ。
ろれるり堂さんは時間通りに九段下へやってきた。
「るれろり堂さんですか、いつもネットでは大変お世話になっております」
僕が名刺を出すと、いいと言ったのにまた丁寧にマジもんの名刺をくれた。
「ものもらいすごいですね」
「大丈夫なんで」
「いやそうは見えませんが」
Bibliothèque de KINOKOでは最低限、ビール・かぼす酎ハイ・ワイン(赤白)・富乃宝山ぐらいがいつでも飲めるようになっていて、酒を飲まないひとも水道水が飲める。
この日は一本目からストロングゼロを飲んでいるひとがいて、一回目の「もっと優雅な感じだと思っていたのに」を聞いたのはこの時間帯だった。
「先だってはいきなり身元までお知らせいただいて恐縮いたしました」と僕が言うと、ろれるり堂さんはこう言った。
「僕はゲームの話はあまりできなくて、編集の話しかできないんですよ」
読んでくる本を間違えたことがわかった。
「ろろるり堂さんは僕とおなじ氷河期世代で、しかも言いにくいですけど哲学科なんてところを出られて、よく出版社の狭き門、通られましたね。ちなみに学部は異なりますが、おなじ哲学科を出たキノコさんはもう七回も職を変えています」
こうやって僕はよくひとを売る。しかしそういう僕にも就職ではなかなか有利と見られる学部を卒業しながら四日で会社を辞めてしまい、ロクでもないアルバイトで食いつないでいたという過去がある。決して上から言っているわけではない。
「のんきな性格なんで哲学科を出たら就職が難しいなんてこと一切考えてなかったんですよ。いざというときになって驚いて焦ったというのが正直なところです」
「それでも新卒でいまの大手へ入られたんです?」
「いえ、当時はどこも採用は、あっても『若干名』でしたから」
「ですよね。恥ずかしながら僕も二回目の就活では出版社を受けました。しかし文科系はなんだかんだ言って最後は全員がNTTデータに入ったという印象です」
どこかへ潜り込んで満足に食えるだけの仕事が得られれば大成功、というゲームであった今世紀初頭の東京で、ろれるり堂さんはそれでもやはり編集者として禄を食むことに強い憧れと信念があったのだ。片っ端から当たった結果、ある小さな出版社に職を得て、しばらく働いたあと現在の大手出版社へ転職したという。言い訳をすればキリのない一時代、その分だけ戦略的であれるかどうかが問われたのだということが分かる。
ここに勝者と、敗者がいる。
ろれるり堂さんが現在の出版社に職を得て、それから実に二〇年近くが経つ。いえ、まだ二〇年はと言いかけたろれるり堂さんは、少し宙を見つめてから、ああ、もう二〇年になるんですねと言った。
「小さく足がかりを作って、いったん中へ入ったら地道に続けていく。たどり着きたい場所があって、まっすぐ行けないならそれしかない」。おない年のろれるり堂さんが二〇代のはじめにとった戦略を学ぶまでに、僕はそれからまだ二〇年かかった。
二〇年だ。第二次世界大戦を三回やってもまだ二年ある。
生きていれば誰もが過ごす年月だということもできよう。だが多くが「こんなはずではなかった」という思いを抱きながら生きてきた僕らの同世代にとって、この二〇年は大変厳しいものだった。
紆余曲折があって余計な苦労をしながら、それでも「なんとかなった」同級生たちがようやく五年ほどまえから連絡をよこすようになって、西や東でたまに会うこともあるが顔ぶれが変わることはまずないし、そこにいない誰かのことにはみんな触れようとしない。
僕たちはネクタイをして、最新型のiPhoneで写真をとり、ワインを飲んで、仕事の話をする。持ち回りで幹事を決めて、次は恵比寿あたりでなんて言って別れるが、そのあいだにも僕たちが絶対に触れないことがそこにあって、いつかはと思いながらもう五年が過ぎている。
ロスト・ジェネレーションは失われた(lost)世代なのか、道に迷った(lost)世代なのか、あるいはみずから敗北した(lost)世代なのか。「なんとかしよう」としたあげくに結局は潰した会社で同世代のクビすら掻き切った僕の目に、「小さなところからでも、その業界にさえ入れば先はどうにかなると思った」と話すろれるり堂さんのいまが眩しくて、涙が出そうだ。
「かなりいい」というのでは十分ではない。競争は激しく、ライバルは眠らない。だからもっと改良して、磨きをかけなければならないし、油断してはならない。ハードで忍耐強い仕事と、鋭い考察によって改良できないものは(ほとんど)ない。
「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」
ろれるり堂さんは昨年お子さんが生まれていて、それでおそらくほとんど世界最長水準に達する長い育児休暇をとった。ボストンでキリスト教に深入りしていた僕のツイートに目を付けてくれたのはおそらくこの時期だ。
いつか僕が認知症になったら、「大天使ガブリヨルは自分のネタだ」と言い張る気がする。
「専業主婦とサラリーマンのバトル、ツイッターでもよく見ますけど僕に言わせれば本当にキツいのは主婦の方ですよね。サラリーマンなんか大変だって言ったって新人の女の子に『すごいですね!』とか言われたら無限に働けるじゃないですか。その点、飯作ったって家族は褒めてもくれないし、精神的には主婦の方が断然厳しいですよ」
これは僕の持論だ。
「専業主婦(夫)は承認欲求の砂漠だと、育休中にそうは思いませんでしたか」
「はは、でも私は承認欲求があんまりないんで、そういう意味では平気でしたね」
「承認欲求が、ない」
「育休たしかに疲れましたけれども、まぁ子育てだってそれはそれで楽しいですし、私はいまも何か(連絡が)あれば『あー、そっか…じゃ』って仕事切り上げて子どもを迎えにいきますし」
「僕は主夫やってますけど、承認欲求めちゃくちゃ強いんでもう発狂寸前なんですよ」
「ははは」
笑いごとではない。
僕にとって人生とは川の流れに逆らって泳ぎ続ける日々に他ならない。しかもその戦いとは、僕以外のひとにとっては何の意味もないパーソナルな戦いなのだ。
参加者が勝者と敗者を決めたくないならば、それはせいぜい遊戯であってゲームではない。勝者は明確に決定できなければならず、さもなければ満足できるものにならない。
「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」
「全員ものすごく飲むのでおそらくゲームはできないと思います」とあらかじめお伝えしてあったが、ろれるり堂さんはやはりゲームを用意してくれていた。フランスで生まれた「髑髏と薔薇」がリメイクされた「SKULL」。素人による解説は控える。
SKULLはブラフゲームだが、酒を飲みすぎてここには嘘をつける人間がもうほとんど残っていない。むしろいまにも誰か(たとえば僕)が何かを言いすぎてつかみあいでも起こりそうな雰囲気だ。よって勝つべくして勝つひとが勝つ。僕の心はいつものように、勝者に対する静かな憎しみで満たされていた。
研究、芸術、愛、数学、軍事、政治、宗教、劇場、科学、その他の生活表現全て……人類の営みは全て、ゲームに反映される。
「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」
人生のすべてがゲームなら、この世界を憎まずにいることは僕には難しい。いまから勝者と敗者を決めようという号砲に僕の心はいつも過剰に反応してしまうからだ。僕の受けた教育が、自分に授けたトレーニングが、僕をそういう人間にした。後悔はないが、僕は「ゲームを遊ぶ」ことがいつも苦手だ。
だが「ボードゲーム デザイナー ガイドブック」を読んでいるうち、「ゲーム」についてよく知ることが僕にとってこの世界をもう少し生きやすいものにしてくれるかもしれないと思うようになったのも本当のところだ。
この世には僕が知っているよりもはるかに多くのゲームがあり、多くの勝利条件がある。僕も「ゲーム」をよく知れば、いつかは敗れた自分を許してやって、心から勝者を称えるいいプレイヤーになれるのかもしれない。
そういえばこの日、僕が完全に酔っ払う直前に、ろれるり堂さんがこんなことを言っていた。
「利己的な人間に本は書けませんよ。どんな内容であれ利他的な動機がなければ本は書けません。あんな大変なこと、自分のためだけにできるはずがない。本は必ず誰かのために書かれるんです」
ゲームから勝者はいなくならない。だが誰かのために生きた者が勝者になる、そんなゲームもある。ろれるり堂さんは今日、そこから来たということだったと思う。
この晩、そのあとのことを僕はもうほとんど覚えていない。「もっと優雅な感じだと思っていたのに」と誰かが言うのをあと二回聞いた。それだけだ。
そうやって図書室の夜はいつも、どうしても終わりを思い出せない懐かしい映画のように幕を下ろす。
いままでに一度だけ、自分で本を作ったことがある。
あるひとが「あとがき」を褒めてくれた。ろれるり堂さんと別れた翌日にもう一度読み返してみて、たしかに僕が誰かのためにその本を作ったとそこに記されているのを知った。その嬉しさを伝えたくて、僕はその本をろれるり堂さんへ送った。
しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ……、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し測ることはできる。
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう。
良きゲームを祈る(ハヴ・ア・ナイス・ゲーム)
「1973年のピンボール」(村上春樹/講談社文庫)
この世にはたくさんのゲームがある。
勝者になるよりも、よき敗者になることの方に価値があるというひともいる。
僕にはまだそうは思えない。「ただ、いつか」というところで、僕はぐっと言葉を飲み込んでいる。
この続きを話せるようになるまでにはきっと、また二〇年の時が必要になるのだろう。
ここから先は
九段下パルチザン / ビブリオテーク・ド・キノコ・マガジン
九段下の図書室・ビブリオテーク・ド・キノコを主催するふたりが発行する書籍と読書・蔵書に関するマガジンです。購読後1ヶ月無料で読むことができ…
九段下・Biblioteque de KINOKOはみなさんのご支援で成り立っているわけではなく、私たちの血のにじむような労働によってその費用がまかなわれています。サポートをよろしくお願いいたします。