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神殿からの脱出速度|weekly vol.0116

今週は、うでパスタが書く。

知識はながく神殿の奥深くに匿われてきたのであり、またいつでも神殿へ還ろうとする強い性質をもっています。
英語では大文字で“the Book”とまで呼ばれるキリスト教の聖書ですら、そもそも文字を読めないひとびとのあいだで「聖なる書物」とされてきたわけですし、「聖なる」という概念の意味を考えてみても実際のところそこに収められた知識はひとびとのものではなく、日曜に教会へ集えば牧師がようやくそれを紐解いてくれるが検証する方法はない、というまでであったことが容易に想像されるというものです。
しかしたといそうであっても、ひとびとの家庭にはおそらくそれぞれに“the Book”が備えられていたということから、本当に「本は読むもの」なのかどうかを考えてみることが大切だと思います。

フランシス・ベーコンが「劇場のイドラ」と呼んだのは権威に対する我々人間の根源的な弱さですが、前世紀のはじめになってから科学によってようやく打ち破られた宗教の途方もない「強さ」は、その教義(ドグマ)ですら文字であり書物に収められているという謎の特権性によって高められてきたのであり、それは修道院に巨大な書庫があってそこに人類のすべての叡智が収められているとか、そういう実装であったわけです。
皆さんの好きな「薔薇の名前」は、人類の歴史を支えてきたこの巨大な偏見と妄想の集合体が、理性の時代の訪れとともに猛スピードで迫り来る「現実」とぶつかりあい、激しく軋み音を立てながら崩れ落ちる様を「世界中のあらゆる書物を収めた書庫」が焼け落ちるという結末に描いております。つまりこのように「図書館が燃える」のは当然ともいえる宿命なのであり、また事実図書館は何度も燃えてきているのです。

いままでの生涯にいちどだけ作った「新宿メロドラマ」という書物にも収められているエントリーで、私はこのように書いております。

中世はやはり暗黒だ。
まず知識が僧院の書庫に幽閉されひとびとの理性がふたたび無明の闇におかれたという意味で紛う方なく暗黒だ。そして宗教が、あるいは権力が宗教をもちいてひとびとの精神を支配したという意味でさらに暗黒なのだ。
しかし、あるときそこへ活版印刷があらわれる。グーテンベルクがやってしまう。
書庫の扉が開かれ、書物から情報が引き剥がされてあまねくひとびとのもとへのコピーされてしまう。漫画村状態になる。
次に疑念が生まれる。つまり、理性が目覚める。
身分と土地に縛られ、分を守って生きていくのに理性はいらない。親のまねをして大人になり、そのまま同じ仕事を引きついでやっていく。ザッツ・オールだ。規律と賞罰があれば、ある種のネズミにだって同じことができるがネズミに理性があるとは誰もいわない。それは飼育であり、隷属だ。
だが情報は違う。
情報というやつは全体として整合しない。あるいは全体をもたない。あるいは整合したふたつの情報はもはやひとつの情報だから、またほかの情報とコンフリクトする。そこに議論が生まれる。考えるということが必要になる。「いや、さすがに?」というやつが生まれてくる。
(中略)
知識を持たない奴には疑念がない。これ以上はさすがに危険すぎていえない。だが、中世が知識を隔離したのは目的からすれば正しいムーヴだった。中世の農奴にとって生きるために必要なこと以外に「知識」と呼べるものは聖書一冊分しかなかった。生きるために必要な知識を疑えば死んでしまう。聖書に書いてあることは読めないから疑いようがない。だから、好色な聖職者の口から出る言葉がすべてだった。「イエスがこう云ったんだ。いいか?な、ん・・・」と云われたらエッチなことをされてもそういうものだと思うしかなかったのだ。自分には聖書が読めないのだから。me tooかどうかも分からないのだ。ほかの人に話せば雷に打たれて即死だとかいわれているのだから。炎に焼かれて二目と見られぬ顔になるとかいって脅されるのだ。たぶんそうだ。
だからこのグーテンベルクというやつはかなりヤバい。「聖書?刷りましょう」とか云って刷ってしまう。自分が何を云っているかまったく分かっていない。そして大戦争が起こる。疲弊したヨーロッパでベルサイユがショートして爆発する。「やっていきましょう」といってナポレオン・ボナパルトが体制としての中世をガッとやってしまう。そのあとでイギリス人が「やっとるかー?」とか云いながらきてボナパルトを島流しにすると近代がやってくる。
だが中世は死んでいない。
その影を我々は今日も目にすることができる。

「エンサイクロペディア。失われた都とふたたび甦るべきもの」(「新宿メロドラマ」所収)

権威が知識の影を利用してひとびとを闇においた時代とは異なり、現代の権威はある種の知識を権威付けしつつこれをひろく流布しようとする一方で好もしからざる知識 = 情報を排撃する傾向にありますので、これからの図書館は知識そのものを匿い、鍵をして、そこには何もないようなフリをしてでもそれを守らなければならない皮肉な状況にありますが、それにしてもこの図書館が焼失の危険と隣り合わせであることには変わりがありませんし、「本は読むもの」とばかりは限らないのもおなじです。
あるいは少なくとも、こうして書物を秘蔵することが私たちの図書室ビブリオテーク・ド・キノコの設立趣意となっております。

告知をします。

2021年12月25日(土)のクリスマスは今年最後のスペース/YouTubeLive配信ですが、今回はいつもの九段下ビブリオテーク・ド・キノコからではなく、キャンプ場から焚火の風景とともにお送りします。

「風景とともに」というのは、こちらのウィークリー・マガジンを定期購読していただいている方はYouTubeLiveで映像をご覧になることができるからです。また、その場合には後日ご都合のよいときにアーカイブで視聴いただくことも可能です。
Twitterのスペースはどなたでもご参加いただけますが、一期一会です。特に今回は家族連れのキャンプ場から配信という破天荒な挑戦になりますのであらかじめ開始時刻を定めることが難しく、ご期待いただいている向きにはこれを機会にマガジンを購読いただき、このノートの最下部(有料部分)にあるリンクからYouTubeのアーカイブを後日でもご覧いただければなと思っております。

配信のテーマは、これはもう年内最後ということで仕方がないので「今年読んでよかった本」をやろうと考えていますが、先に言ってしまうと私自身には今年読んでよかった本はありません。キノコさんが何か持ってくると言っていました。

恒例の年末年始休刊は以下の通りです。

2021年12月25日(土) うでパスタ回 →休刊
2022年1月1日(土) キノコ回 →休刊

このへんの問題についてはいろいろ言いたいことのあるひともあるとは思うのですが、まぁそこはひとつその胸へ仕舞っておいてください。きっとまた何かいいことあると思います。

ところで上の引用にもあった「漫画村」というのはついに運営者がお縄になったりなどしていよいよ過去の事件となりましたし、一般に「ネットにタダで落ちているコンテンツ」を読んだり視聴したりすることや、少なくともそれを吹聴することは馬鹿の印であるとされるようになってすでに久しくなります。しかしそれにもかかわらず、今年はまた「ファスト映画」なるものが話題(あるいは問題)となっておおいに盛り上がりました。

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