書評 三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
イギリスの「週休3日」法案が話題となっている。
よほどワーカホリックな人間でない限り、この法案が日本でも実現してほしいと願う人は多いと思う。上記事では、5割が収入を上げたというデータもある。
資本主義の「全身全霊」の働き方をやめよう。
本書では「読書」というものを通じて、このように主張される。
歴史的に「読書」がどのように受容されてきたのか。労働社会学などの知見を大いに援用しながら、全身全霊ではなく「半身」で働く社会を目指すための本である。
なお本稿は書評という銘打っているものの、本書をトータルに要約するものではない。なんか面白いことが書いてあるなあと思った方は、是非手に取ってほしい。(サラリーマンに売れまくっていた司馬遼太郎の本だが、司馬自身がそれを良かれと思っていなかったというエピソードが書いてあったりと、雑学としても面白い内容が盛りだくさんだ)
不安な時代に売れる本書
数年前、斎藤幸平『人新世の資本論』という本が話題になった。そして本書も今年のベストセラーになりそうな勢いである。なぜこんな本が売れているのか。
大正時代にも、同様の現象があったらしい。大正のベストセラーは、「自己の改良よりも自己の苦しみに目を向ける」ものだったらしい(p. 60)。そして三宅は「宗教と社会主義の本が流行るのかもしれない。いや、もう流行っているのか?」と記すが、それは三宅自身、本書がそのようなものであることを自覚しているのだろう。社会主義というまでではないが、資本主義への不安を抱えている人間が本書を取る、ということは十分ありえる。
ただ、大正期とは違い、多方面から資本主義の限界がいわれる時代になった。苦しみに自己を従属させるためのカンフル剤としての本というよりはむしろ、これからの社会を構想するような本が多く売れている印象がある。環境問題や非正規労働の問題など、さまざまな観点から現代の経済のしくみが持続可能でないとわかっている。だからこそ、持続可能な社会を目指そうとする『人新世の資本論』は売れたのだ。
そして本書も、「読書」という仕掛けを用いながら、苦しみだらけの労働を見直し、新たな労働形態を目指すものだ。不安な時代でも、新たな社会への期待を持たせる。そんな本書の魅力が、売れまくっている秘訣なのだろう。
「半身社会」を目指す
本書のタイトルに対する答えは意外とシンプルである。
自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。
そして、本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまうそれは、余裕の無さ故である。だから私たちは、働いていると、本が読めない。
仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ
学生である私は、暇な時間を作っては、大学の図書館を散歩する。自分の専門が経済であるにもかかわらず、決まって訪れるのは哲学や教育学、あとは新書コーナーだ。ノイズを取り入れる余裕をもった学生の特権を十分に活かし、ノイズばかりを取り入れている。だからこそ、今こうして、アルバイトでしか働いたことがないのに、「働いていると本が読めなくなる」人向けの本を読んでいるのである。
きっと、私もフルタイムの労働を開始すれば、ノイズを積極的に避けるようになり、SNSというノイズがほとんどない「情報」に没頭してしまうのだろう。そして本を手に取ることがあっても、書店の入り口に平積みにされてある、スーツで格好つけた実業家の本を手に取り、せっせと自己啓発に励むことになる。
そうならないように、本書は上野千鶴子を援用しながら、現在の全身労働社会ではなく、半身労働社会を目指すよう促す。つまり、週5勤務から週3勤務へ。専業から兼業へ。全身全霊から持続可能へ。男性中心からジェンダーフリーへ。
本書で指摘されるように、資本主義社会では、全身全霊が求められ、その弊害はあまりに大きい。持続可能ではないし、マッチョイズムだ。そうではなく、半身で生きる社会こそが望ましい。そうすれば、ノイズたっぷりの読書を楽しむことができる。確かに魅力的な社会だ。
おわりに 少しの注文を添えて
最後に、本書を読んでいささか物足りなかった点について付記しておく。
本書の大半の部分は、「労働から見る読書史」といってよい内容であった。そこでの叙述はほとんど男性がメインであった。確かにカルチャーセンターに通う女性について触れられていたが、少々物足りない。エリート教養主義や労働者修養主義のような形でないにせよ、女性たちも読書に取り組む/取り組まない環境があったはずだ。そのような叙述も欲しかった。これはなにも揚げ足取りではない。そうすることで、本書の結論でもある、男性中心的でない働き方や読書への向き合い方が、立体的に浮かび上がるはずである。続編に期待したい。
ともあれ、本書は読書だけでなく、我々の労働の仕方をラディカルに問い直す内容である。もともと読書ではなく、キャンプやゴルフが趣味だという人でも、自分の労働の仕方や趣味のあり方を見直す機会が得られるはずだ。