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神の選択と私たちの選択~マリアとヨセフの場合

「人生は選択の連続である。」

シェークスピアがそう語ったように、私たちは絶え間なく選択・決断をしています。

ある研究によれば、人は一日に35,000回も決断を下しているとか。

その多くは瞬時に下す小さなものですが、中にはじっくりと考えて下す選択・決断もあります。

例えば結婚がそうであり、誰と結婚するかはもちろん、タイミングや式の準備、新居など、たくさんの選択を下さなくてはいけません。

若き二人の選択

イエスの地上での両親であるマリアとヨセフの場合、婚約中に、他のカップルなら悩まなくてもすむような選択を迫られました。

当時の婚約は、まだ一緒に住んだり性的な関係を持ったりはしないものの、法的には結婚と同じ状態にありました。

そんな時に天使がマリアに現れて、「あなたは身ごもって男の子を産む」、さらにその子どもは神の霊の力によって授かるのであり、神の子と呼ばれるようになると告げたわけです。

マリアは、「いいえ、勘弁してください。私には無理です」と言って、その役目を辞退するという選択もできたことでしょう。

そもそも、「神の力で、私のお腹には子どもがいます」と言っても、ヨセフはおろか、自分の親や村の人たちにも信じてもらえるはずがありません。

ヨセフ以外の男との間に子どもができたのをごまかしている、あるいは頭が変になったと思われるのが目に見えており、そんな形で愛するヨセフを傷つけたくはなかったでしょう。

でも、天使の説明をすべて聞いたマリアは、最終的に「お言葉どおり、この身に成りますように」と言って、それを受け入れる選択をしました。(ルカ1:26-38

きっと、「これは神がされていることなのだから、そこから生じる問題の解決も神がしてくださるに違いない」と信じたのだと思います。

そして、ヨセフはマリアの妊娠を知った時、案の定、他の男と関係を持ったに違いない彼女とは結婚できないと考え、ひそかに離縁しようと決心しました。

当時の法律によれば、ヨセフには、マリアが不貞を行ったとして、石打ちの刑に合わせることもできましたが、事を荒立てることなく離縁するというのは、彼女への最大限の思いやりだったのです。

そんなヨセフに天使が現れ、マリアにしたのと同様の説明をし、心配しないで彼女を迎え入れなさいと告げました。

ヨセフはそれを信じて、離縁するという決断を翻し、マリアと一緒になるという選択をしました。(マタイ1:18-25

マリアもヨセフも、この子どもは早く生まれることになるので、周りからは彼女が不貞を犯したと疑われ、厳しい視線が向けられることを承知していたはずです。

それでも神の計画に従うことが最善の道だと信じたのでしょう。

御心が地にも行われますように

イエスが弟子たちに教えた祈りの中に、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ6:10)という言葉がありますが、神はその御心を地に行うにあたり、私たち人間を使われます。

神は人類を救うため、この世界に御子イエスを送ることを決断し、その親としてマリアとヨセフを選択されましたが、彼らもまた、その役目を受け入れるという難しい選択をしなくてはいけませんでした。

神の選択と私たちの選択が合わさって、御心が地に行われます。

私は以前、「神様、私はあなたのために何でもします。ただ、これとこれだけは勘弁してください」と祈ったことがあります。

その二つのことだけは、どうしてもしたくなかったからです。

でも、それから何年かの間にさまざまなことが起こって、結局その一つをすることになり、間もなくもう一つもすることになりました。

どちらも最初はまったくしたくなかったのですが、実際にそうすべき状況になった時は、それを受け入れる選択をするだけの信仰が与えられたのです。

そして、実際にやってみると大変なこともありましたが、その二つのことを通して多くの人を助けることができたので、神からの役割を受け入れる選択をしてよかったと心から思いました。

マリアとヨセフも、生涯を通じて、何度もそう思ったことでしょう。

神の選択と私たちの選択が合わさって、御心が地に行われます。

神があなたに何らかの役割を与えようとされる時、神を信頼して、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言えるなら、あなたのその選択によって、神の計画がまた一歩前に進むことになるのです。

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