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バイブルメッセージ

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毎月2回配信している聖書関連のメッセージです。
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#イエス・キリスト

求め、探し、門をたたく神

マタイによる福音書7章には、祈りについて、こんな言葉が記されています。 しばらく前に、神もまた私たちに対して、求め、探し、門をたたいておられると書かれた記事を読んだことがあります。 たしかに、神と私たちの関係が父親と子どもの関係であるなら、お願いするのは私たちだけではないはずです。もし私たちが天のお父さんの願いを無視して、自分の願いばかり主張するなら、自分勝手な人間になってしまうことでしょう。 そうはなりたくないので、神が求め、探し、門をたたいておられることについて、聖

クリスマスにひとりぼっち?

この時期になると、「クリぼっち」という言葉をあちこちで耳にします。クリスマスをひとりぼっちで(特に恋人なしに)過ごす寂しさを表す言葉です。日本では、どういうわけか、クリスマスは恋人と過ごすものという考えが定着してしまったため、そのような言葉が生まれたようですね。 クリぼっちと聞くたびに、私の心にはある名言が思い浮かびます。 この人がどのような気持ちでそう語ったのかを調べたところ、「私のクリスマスの奇跡」という体験談の締めくくりに書かれた言葉だとわかりました。 それは、彼

今なお響く天使の歌

クリスマスの賛美歌の中には、平和を歌うものがいくつもあり、それは次の聖書の言葉から来ています。 「平和の君」とはイエスのことで、他にも、「平和の主」(2テサロニケ3:16)、「わたしたちの平和」(エペソ2:14)と呼ばれています。そのイエスが生まれたことを羊飼いたちに告げた天使たちは、「地には平和」と歌いました。 この平和とは、第一に神との平和ですが、聖書は他の人と平和な関係を持つことも呼びかけ、さらに内なる平和(平安)についても語っています。 エドムンド・シアーズとい

言葉の声

先日、朝起きた時に、いきなり「声」という言葉が頭に浮かんできました。そしてすぐに、ヨハネによる福音書の冒頭の言葉を思い出したのです。 ここで、イエス・キリストは「言」と呼ばれています。原文のギリシャ語では「ロゴス」で、それは内にある思考と、それが外に表れた言葉の両方を指しています。つまり、イエスは神の思いを言葉にして語り、私たちが見ることのできる形で神の本質を現した方なのです。 「声」は、単に自分の思いを口から出す音ではなく、その音の出し方(優しい声や荒々しい声といった語

あなたが小さい者でも

クリスマスまで1か月半となり、ふとミカ書にあるこの言葉に目が留まりました。 これは、メシア預言と呼ばれるものの一つで、イエスがメシア(救い主、ギリシャ語でキリスト)としてベツレヘムで生まれることを預言しています。 エフラタは、ベツレヘムの昔の名前か、ベツレヘムに吸収合併された町の名前だと考えられています。(創世記35:19、ルツ1:1-2) 当時のヘブル人(ヘブライ人)は部族ごとにそれぞれ相続地があり、部族はさらに氏族にわけられていました。そして、ユダ部族の中でも、とり

神を知ること

先日、友人と話していて、好きなミュージシャンは誰かという話になりました。好みは人それぞれだし、好きな理由もさまざまでしょう。曲や歌詞が好きだったり、パフォーマンスが好きだったり、あるいは、声がタイプという人もいるかもしれません。 また、人柄を知って好きになる場合もあることでしょう。最初は無関心だったけれど、何かのきっかけでその人の人柄を知り、ミュージシャンとしてのその人も好きになることが。 いったん好きになると、その人や作品にもっと興味が湧いてきて、さまざまな曲を聞いてい

天国にある傷跡

私の顔には傷跡があります。はっきりと認識できるものですが、普段はまったく気に留めていません。でも、先日鏡を見ていた時にふと目に入り、少しの間、その事を考えていました。 それは、中学校の放課後、教室で友だちと遊んでいた時にできたものです。走り回っているうちに、友だちが思わず私の背中を押したので、バランスを失った私は倒れてしまいました。その際、机の角に眉毛のあたりを思いっきりぶつけ、二針ほど縫ったのですが、目に当たらなかったことが幸いです。 私は鏡を見ながら、「イエス・キリス

友だちについて考える

昨日、誕生日を迎えた友人がおり、特別な人の誕生日は自分にとっても特別な日だなと思いました。神がその人を通して私の人生にもたらしてくださった祝福を感謝すべき日ですから。そして、聖書を読みながら、友だちというものについていろいろと考えていました。 聖書には、友人関係について多く記されており、中でも有名なのは、この言葉でしょう。 クリスチャンになってからの人生を振り返ってみると、私が何らかの形で「倒れた」時には、友だちが必ずそばにいて、私を起き上がらせてくれたし、倒れないように

聖書を生きてみる

聖書を読んでいるけれど、喜びを感じない、幸せじゃない、感激がわかない、という人のために、詩人・八木重吉からのこんなアドバイスがあります。 聖書を生きるとは、聖書に書かれていることをただ読むのではなく、実践して体験することです。料理本をいくら読んでも、そこに書かれた料理を実際に作ってみなければ、その味がわからないように、聖書も、読むだけでは単なる知識にすぎません。 ところで、皆さんの家に鏡はありますよね。私はいつも、朝起きた時に鏡を見て寝癖を直したりしますが、きっと皆さんも

イエスが生きておられるから

今年のイースター(復活祭)の頃に私がよく聴いていた曲の一つに、『Because He Lives(主が生きておられるから)』という賛美歌があります。日本語では、『主は今生きておられる』、『み子イエス世人のため』、『私をゆるすために』などの題名で訳されています。 この賛美歌は少しユニークで、イエスの復活を歌っているけれど、2番の歌詞が親子についてのものになっています。ほとんどの日本語訳では省かれているのですが、実は、この賛美歌で最初に書かれたのは、この部分でした。 簡単に翻

もし神の子なら

私たち人間は、「神だったら、こうするべき」という自分の考えによって、神のやり方を裁くことがあります。それは単純に、神のやり方や知恵が私たちのやり方や知恵をはるかに超えているのに、自分を神と同等か神の上の立場に置こうとしているだけなのですが。(イザヤ29:16; 55:8-9) 「神だったら、こうするべき」と言う時、それはそもそも、その人には神を信じる気持ちなどないからという場合がよくあります。イエス・キリストも、十字架にかけられた際に、自分を神の子と信じない人たちから、「も

「この人を見よ」

クリスチャンにとって、春と言えば、イエス・キリストの受難に思いを寄せながらイースター(復活祭、今年は3月31日)を待ち望む季節です。 受難とは、イエスが裁判と処刑によって、計り知れないほどの苦痛を精神的にも身体的にも味わったことを言います。裁判は短時間のうちに何度も行われており、祭司長や議員たちはイエスが死刑に値するとしましたが、ローマの支配下にある彼らには処刑の権限がなかったため、総督ピラトのもとにイエスを送りました。 ピラトは、「彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみ

慰めと救いを待ち望む

メリー・クリスマス! 今年のクリスマス・シーズン、皆さんはどうお過ごしだったでしょうか。 イエスの誕生物語(ルカ1~2章とマタイ1章)には多くの人物が登場します。この時期になると、私はそれぞれの人にとって、イエスの誕生はどのように見えたのだろうと考えるのですが、今年は、特にシメオンのことをよく考えていました。 シメオンは祭司や律法学者や議員のような有力者ではなく、ごく普通の人でした。しかも、けっこうの老人のようです。ただ、神とのつながりが強く、神の聖霊の導きにゆだねていた

恐れる私たちへの喜びの知らせ

何か思いがけないことが起こると、私たちは戸惑うし、それが良くないことをもたらすのではないかと不安や恐れを抱くこともありますよね。 「最初のクリスマス」であるイエス・キリストの誕生に関わる記述(ルカ1~2章とマタイ1章)では、天使が4組の登場人物に現れて、「恐れるな」と告げています。 ▶ ザカリア: 祭司のザカリアは、神殿で務めをしていた時に天使が現れたので戸惑い、恐怖の念に襲われました。おそらく、いきなり天使が部屋の中に出現したら、誰でも怖いと感じることでしょう。 天使