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今なお響く天使の歌
クリスマスの賛美歌の中には、平和を歌うものがいくつもあり、それは次の聖書の言葉から来ています。
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。
「平和の君」とはイエスのことで、他にも、「平和の主」(2テサロニケ3:16)、「わたしたちの平和」(エペソ2:14)と呼ばれています。そのイエスが生まれたことを羊飼いたちに告げた天使たちは、「地には平和」と歌いました。
この平和とは、第一に神との平和ですが、聖書は他の人と平和な関係を持つことも呼びかけ、さらに内なる平和(平安)についても語っています。
エドムンド・シアーズというアメリカの牧師も、『天なる神には(ふけゆく野原の)』という美しい賛美歌を書きました。この賛美歌に込められた彼の平和への思いを、それに関連した聖書の言葉を引用しながら見ていきたいと思います。(賛美歌の歌詞は、最後に紹介する動画で確認できます。)
歌詞は5番まであり、1番は、ルカの福音書に記された、天使たちによる賛美の歌について書かれています。
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
2番は、天使たちが今もなお、この疲れた世界の上に翼をのべて、この歌を歌っていると告げます。
3番は、日本語版では省略されているので、簡単に翻訳すると、このような意味です。
♪しかし、罪と争いの苦悩に
世界は長らく苦しんできた
天使の歌声の下でも
二千年間、過ちが繰り返されてきた
そして、他の人と戦う者は
天使がもたらす愛の歌を聞かない
ああ、争う者たちよ
天使の歌を聞きなさい
どれほどいい理由を挙げ、正義や信念、宗教などにもとづいているように見せても、多くの戦いは、実際には人間の欲望から来ています。
あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。あなたがたの体の中でうごめく欲望から起こるのではありませんか。
天使が「地には平和」と歌ってからも、現在に至るまで、戦争によって多くの人の血が流されてきました。
このキャロルが書かれた頃も、アメリカはメキシコとの戦争(米墨戦争)を終えたばかりで、ヨーロッパでは戦争や暴力を伴う革命が各地で発生していました。シアーズはそのような状況にも心を痛めていたのでしょう。
4番(日本語版の3番)は、人生の重荷に苦しんでいる人に、しばし休んで天使の歌を聞き、心の平和(平安)を得るよう勧めています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
これは、シアーズ自身の経験のことも言っているようです。彼はある時、大きな教会を任されたのですが、体調を崩し、うつ気味になったため、この詩を書く数年前に田舎に戻り、休養を取っています。
5番(日本語版の4番)は、主ご自身が再びこの世に来られる時にもたらされる平和について語っています。そして、今は天使が歌っている歌を、その時には全世界が天使に歌い返すだろうと。
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
その日が来るまで、「地には平和」と歌う天使の声に耳を傾けて、平和を追い求めるよう、シアーズは勧めているのです。
私たちは、今なお響く天使の歌を聞いているでしょうか。
『天なる神には』新聖歌80番
『ふけゆく野原の』聖歌125番 (小坂忠)
『It Came Upon The Midnight Clear』