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聖書を読んでいるけれど、喜びを感じない、幸せじゃない、感激がわかない、という人のために、詩人・八木重吉からのこんなアドバイスがあります。 聖書を生きるとは、聖書に書かれていることをただ読むのではなく、実践して体験することです。料理本をいくら読んでも、そこに書かれた料理を実際に作ってみなければ、その味がわからないように、聖書も、読むだけでは単なる知識にすぎません。 ところで、皆さんの家に鏡はありますよね。私はいつも、朝起きた時に鏡を見て寝癖を直したりしますが、きっと皆さんも
これまで何度か、水野源三というクリスチャン詩人が、身体が不自由なため、まばたきによって一字ずつ家族に拾ってもらうことで作り上げてきた詩を紹介しました。 少し前に、水野さんの4つの詩集から精選された詩をまとめた本を見つけて読んでいたのですが、中でも印象に残ったのは、水野さんがイエス・キリストを家の中に招き入れて、もてなしている様子を描いたものです。 もちろん、それは想像上のことです。しかしそれだけ、水野さんには、イエスが自分と共にいてくださるという意識が強かったのでしょう。
3ヶ月ほど前のバイブルメッセージで、『悲しみよありがとう』という本から水野源三さんの詩を紹介しましたが、昨日はその本を読んでいて、また別の詩が心に響きました。 夜の闇の中にただ一人横たわり、不安を抱えている時に、ただ神に自分の名前を呼んでもらえさえしたら安心するのだと訴えているようです。 福音書には、イエスが不安を抱える人や、まもなく大変な経験をする人に対して、名前を呼んでから話しかける場面がいくつも記されています。 例えば: 多くのことに心を配りすぎて、思い煩ってい
最近、まばたきの詩人と呼ばれる水野源三さんの妹・林久子さんが書いた『悲しみよありがとう』という本を大変興味深く、かつ感動しつつ読みました。 源三さんの詩が27編、美しい写真とともに掲載され、詩の背景や源三さんの日常が久子さんの視点から語られています。 源三さんは、9歳の時、町に発生した集団赤痢に感染し、脳膜炎を併発したことがもとで、脳性まひになり、体の自由と言葉を発する能力を失いました。 医者から、目をつむって意思を伝える方法を教えられ、それがヒントとなって、やがて五十
先日紹介した『歓びのうた、祈りのこころ』という本に、19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの詩も掲載されています。 ロセッティは、西條八十によって訳されて童謡にもなった『風』という詩(誰が風を見たでしょう)の原作者です。 宮崎駿監督のジブリ映画『風立ちぬ』で、主人公によって『風』の一節が朗読されているので、覚えている方もいるかも知れません。 『歓びのうた、祈りのこころ』に載っているのは、『丘をのぼって』(上り坂)という詩で、旅人と案内人との応答の形式になって
痛みを知っている人、特に自分と同じような経験をしてきた人の言葉は、共感や感動を呼び、慰めと力の源ともなります。 最近、さまざまなクリスチャンによって書かれた詩が20篇、美しい花の写真とともに収められた『歓びのうた、祈りのこころ』という本を読みました。 そこには、詩人の辛い経験から生まれた作品がいくつも掲載されており、その内の3篇から一部だけ、背景の説明を交えて紹介したいと思います。 これが、何らかの苦難を味わっていて、それに耐え抜く力が必要な方の慰めとなりますように。
これは『小さなもの』という詩の抜粋ですが、読んでいて、ふと、何年も前のある寒い冬の日の出来事を思い出しました。 電車に乗っていた時、神の導きを感じて目的地の一つ前の駅で降りて歩いたところ、次の駅との中間あたりで、ダンボールの上で寒そうにたたずむホームレスの人の前を通り過ぎました。 しばらく行って、赤信号で立ち止まると、心の中で神の小さな声が聞こえたのですが、私は先を急ぎたいという気持ちから、それにちょっと反抗してしまいました。 神「あの人のために、何か温かい飲み物を買い
最近、すぐとなりに引っ越してきた子どものいる家族が挨拶回りに来て、「子どもがうるさかったらすみません」と言われました。 たしかに、家の中を走り回る足音がよく聞こえるのですが、元気な子どもの生命力を感じて、むしろ楽しい気持ちになります。 私は、電車の中で赤ちゃんが泣いているのを見かける時も、「可愛いなあ~」と思うばかりで、迷惑だと考えたことはありません。 言葉を発することのできない赤ちゃんにとって、神から与えられた唯一のコミュニケーション手段は泣くことであり、そうやって自
「雨=天気が悪い」?沖縄が梅雨入りしたと聞き、何年か前に、「梅雨が好き」という人はわずか8%だという調査結果を耳にしたことを思い出しました。 そもそも、日本人は雨に対する苦手意識が強く、傘の所持数は世界1位だそうです。 たしかに、雨には、ジメジメ、憂うつ、不快などのイメージがあるし、人生の試練も雨にたとえられることがあります。 また、晴れの日は「いい天気」で、雨が降ると「天気が悪い」と言います。 でも、災害をもたらすような豪雨は別として、果たして雨自体はそんなに悪者
『いつくしみ深き』という美しい賛美歌があります。 日本ではキリスト教式の結婚式で必ずと言っていいほど歌われるので、クリスチャンでなくとも、耳にしたことのある人は多いでしょう。 作詞者は、ジョセフ・スクライヴェンというアイルランド人です。 20代前半、スクライヴェンには婚約者がいましたが、結婚前夜に水難事故で亡くなりました。 それから15年後、移住先のカナダで別の婚約者ができましたが、その人もまた、結婚前に病気で亡くなったのです。 一度ならず二度も婚約者を失い、どれほ
=言葉にならない祈りが叶えられているかもしれない= 祈りはすべて神に聞かれますが、すべてが自分の思い通りに叶えられるわけではありません。 神はランプの精ではなく、天にいる私たちの父であり、子どもの願いをすべてそのまま叶えるわけではないのです。 その理由は様々ですが、そもそも私たちの知識や理解力は限られているので、最善のものを祈り求めているとはかぎりません。 「病者の祈り」と呼ばれる詩があります。 作者は、自分の考えによって願ったことは叶えられなかったけれど、「言葉に
誰もが口ずさんだことのあるこの歌は、聖書の言葉をヒントに作詞されたことを知っていましたか? 作詞者の木村利人さんは、大学生だった1959年にYMCAから派遣されて、フィリピンでボランティア活動をしていました。 終戦から14年後で、現地の人たちが強い反日感情を持っていた頃です。 一緒に活動をしていたフィリピン人の中にも、父親を日本軍に殺された人がいたのですが、ある日、木村さんにこう言ってきました。 「日本人が憎らしく思っていたけれど、平和の中で一緒に仕事をしている内に考