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私はひとり? そうではない
これまで何度か、水野源三というクリスチャン詩人が、身体が不自由なため、まばたきによって一字ずつ家族に拾ってもらうことで作り上げてきた詩を紹介しました。
源三さんは、9歳の時、町に発生した集団赤痢に感染し、脳膜炎を併発したことがもとで、脳性まひになり、体の自由と言葉を発する能力を失いました。
医者から、目をつむって意思を伝える方法を教えられ、それがヒントとなって、やがて五十音表を使い、まばたきで一字ずつ家族に拾ってもらうことで、コミュニケーションができるようになったそうです。
少し前に、水野さんの4つの詩集から精選された詩をまとめた本を見つけて読んでいたのですが、中でも印象に残ったのは、水野さんがイエス・キリストを家の中に招き入れて、もてなしている様子を描いたものです。
もちろん、それは想像上のことです。しかしそれだけ、水野さんには、イエスが自分と共にいてくださるという意識が強かったのでしょう。
主が私たちと共におられることを、臨在と言います。それは、何もせずに、ただそこにいるということではありません。私たちを愛して気遣い、私たちと共に喜び、あるいは苦しみ、私たちを導き、私たちの人生に関わりながら、共におられるということです。
神の臨在を日々意識していると、より良い生き方をしたくなり、愛情深く振る舞い、人を思いやりたいという気持ちが自然と湧いてきます。
また、神が私たちの人生を導いていてくださることがわかるので、あまり思い煩わなくなり、より深い心の平安や喜び、勇気を感じるようになります。
また、日常の一つ一つの事に神の恵みや愛を強く感じるようになり、心に感謝があふれてきます。
今回は、この詩集『水野源三精選詩集 わが恵み汝に足れり』から、主が共におられることについての詩をいくつか、また、神から愛されている喜びについての詩を一つ、関連する聖書の言葉と共に紹介します。
これらの詩が、皆さんが主の臨在をもっと意識して、より豊かな人生を生きる助けとなりますように。
「そうではない」
歩むのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に歩みたもう
悩むのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に悩みたもう
祈るのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の願いを知っておられる
主イエスが共に祈りたもう
この大祭司(イエス)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。
主は言われた。私自身が共に歩み、あなたに安息を与える。
「今年も」
主よ
粉雪が降っていますが
わが部屋には
福寿草が咲きました
主よ
あなたが共におられることを
いつもいかなるときも
教えてください
見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。
「主よここにおるのは」
主よここにおるのは
あなたと私だけです
まだあけぼのは遠いから
何も見えない 聞こえない
主よここにおるのは
あなたと私だけです
明り求める心には
すべてを照らすみ光が
主よここにおるのは
あなたと私だけです
闇におののく心には
安らぎに満ちたみ心が
主よここにおるのは
あなたと私だけです
夜露に冷えた心には
永遠に変わらないみ愛が
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
「何がそんなに」
一、何がそんなにそんなにうれしいの
そよ風が甘い香りを運んでくるから?
いいえ違います
神様に愛されているから
二、何がそんなにそんなにうれしいの
泉のそばの鈴蘭の花が咲きにおうから?
いいえ違います
神様に愛されているから
三、何がそんなにそんなにうれしいの
楽しかった過ぎ去った日を思い出すから?
いいえ違います
神様に愛されているから
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。