迦旃延尊者
迦旃延尊者はインド西部のアヴァンティ国の出身で、国王チャンダパッジョータの帝師(皇帝の師)の子として生を受けた方。
ある時王の命令でお釈迦様を国にお招きするにあたって七人の王臣と共にお釈迦様のもとへ派遣されたが、仏の威光にうたれそのまま仏弟子となられた。
十大弟子の一人で、教理上の見解では弟子中最も優れた僧として知られ、「論議第一」と謳われた阿羅漢の聖者である。その尊者の教えに触れてみる。
『長老偈』に説かれる迦旃延尊者の詩偈
『長老偈』に記されている迦旃延尊者の言葉を取り上げてみたい。
迦旃延尊者の生き方は物質的財産は二義的であり、智慧(仏の教え)こそが第一義であり、智慧が根底になければいかに財産があっても死人に等しいという。
迦旃延尊者は実際に、「財産を失っても、生きて行ける」ことを示してある老女を救っている。それが「無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽。」という四句の教えである。
四句~無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽~
迦旃延尊者と老女の因縁譚
釈宗演禅師の『臨機應變』に収められた次のような逸話がある。
上記の話は、ある時年配の女性がミスをして勤め先を解雇され、自暴自棄になって自らの命を断とうとしているところに、偶然、迦旃延尊者が通りかかり、声をかけたという状況のようである。
釈尊在世時の仏弟子は戒律で貯蓄することを戒められていたので、財施はできないが、法施なら可能だからお聞きなさいといったところである。仏弟子は物質的財産においては貧しいが、精神的財産には富んでいるからこその法施である。
では、尊者の法施の内容はどういうものであったかといえば、「無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽。」という四句であり、詳しい内容は以下のように語られる。
無病第一利
四句の一番目は「無病第一利」として、病気がないことが利益であるという。何をするにもやはり身体が資本であり、幸いにもこの老女は身体は丈夫だったようで、そのことを尊者も激励をされている。
現代では無病ということは難しいであろうが、少なくとも小病小悩であれば、ひとまずは可ということになるだろう。
現代はあまりにも心身を傷つける事柄が多すぎるように思うので、日頃からできる限り健康には配慮することが肝要である。
道元禅師の『正法眼蔵随聞記』にも病気に関する観察がある、
禅師は小病あっても今現在から仏の御教えに従っていくことが重要であるとしている。迦旃延尊者が云われるように無病であればもちろん有難いが、道元禅師の教示のように小病であれ、大病であれ、現在からできることをするということも実に有難い。
知足第一富
これは仏教の教えの中でも良く知られている教示である。足るを知らない者は餓鬼であり、多分に財産を持っていて満足せぬ者は多財餓鬼などとも云われる。
釈尊がお隠れになる直前に説かれた『遺教経』にも「知足」の教えとして残っている。
過剰な欲望は苦悩を生み出してしまう。釈尊の仰るように地獄にいようが、天界にいようが、浄土にいようが安楽というのは「知足」によって達成されるのであって、決して物質的充足によるものではないとしている。
善友第一親
善友というのは、迦旃延尊者も仰せのように「善き事を教えて呉れる所の友」の意であるという。
『シンガーラへの教訓』(『善生経』)には善友の条件が釈尊によって説かれている、
しかしながら、上記のような友は得難い。その場合は仏自らが我を頼って善友とせよとの勅命である。畏れ多いが仏を友にして仏道を歩むのである。
『阿含経』に次のように説かれる、
迦旃延尊者は仏に代わって老女に対して、もし貴女がだれも頼れないというのならば、この迦旃延が息子となり親族となりましょう、と慈悲の心を以て伝えている。
菩提第一楽
真の「楽」というのは、世間的な快楽や楽しみといった相対的なものでなく、仏道を歩み、法を求める楽しみこそが「安楽」であるという。
世間的な「楽」には常にその反対の「苦」の影がある。金銭を得れば失うかもしれないという苦悩や実際の損失があり、眷属がいて楽しくとも、会う者は必ず別れてしまう「愛別離苦」、自分の身体を頼っても諸行無常であるから「生老病死」の四苦などがあって、苦が付きまとう。
夢想礎石禅師が云われる、
仏教が勧める功徳は、壊れたり失ったりするものではない。
道元禅師も云われる、
ここで出家と云って難しいようではあるが、そうではない。
『維摩経』には、
と説かれており、悟りを求める心を発すのが出家であり、つまり「菩提第一の楽なり」である。
菩提は無為と云い、有為(作られたもの)の反対であり、決して他から破壊されたり盗まれたりすることはない安楽の境地を得られる故に、先人方はこれを目指したのであった。
四句の功徳
最後は自暴自棄であった老女も迦旃延尊者の法の布施によって、生まれ変わったようになり、悟りの心で生涯を終えたという。
釈宗演禅師も宗教的の大安心の生き方を推奨されている。
実は迦旃延尊者が仏から教わったこの四句は、若干の相違はあるが『法句経』の言葉であり、尊者は常に読誦されていたのであろう。