信仰者タイプと宗教学者タイプ
知恩寺六十六世の中島観琇大僧正の『凡夫見仏論』の序分は次のような言葉から始まる、
中島大僧正は仏教には信仰者(念仏行者など)タイプと宗教学者(仏教学者)タイプがあるとして、大僧正はその内で信仰者タイプを定機にして信仰厚き宿習の人である高い評価をされている。
大僧正は同書において、この後も宗教学者タイプには言及されず、信仰者タイプ、それも大僧正は浄土宗の方であるから念仏行者について論じておられる。
これは中島大僧正に従うならば仏教は学問ではなく信仰であるということであり、理屈上のものではないというのであろう。これは私自身も肯うところであり、例えば禅門六祖の慧能大師の行状などを見れば明らかであると思う。
「学問として取り扱う場合」と「信仰や悟りの対象として取り扱う場合」
浄土宗の山崎弁栄上人に私淑し、念仏三昧を独習したとされる日向美則師なども著書である『暗夜の法灯』で次のように云っている、
上記を見れば、仏教を「学問として取り扱う場合」と「信仰や悟りの対象として取り扱う場合」があり、日向師は後者を仏教徒のあり方としている。
学問仏教への批判
臨済宗の夢窓疎石国師も次のように云って学問的仏教を厳しく戒めておられる、
本分を究める以外のことに手を出すことは不信仰の者であり、歴代の祖師方はそういう者たちを誡められたとして、大変手厳しい態度を取っておられる。夢窓国師に言わせれば、仏教において学解などはもっての外だというのである。
学問の排斥
禅宗六祖の慧能大師などは無学文盲にして悟りを得て、経典学者であった兄弟子の神秀上座を超えた境地になっていたようであり、信徒への布教もそれまでの難解な『楞伽経』ではなく、シンプルな『金剛経』を主要経典としていた。
また慧能大師とある僧の次にような問答が大師の学問に対する姿勢を物語っている、
つまり、慧能大師は学問よりも先に夢窓国師が云うように「本分を究める以外には、他のことをされなかった」姿勢である。
智解は仇
曹洞宗の鈴木正三道人は学問を徹底的に排斥した仏教者である。それらの言葉が『驢鞍橋』に多く収められている。
正三道人が云うように仏教においては信仰や行が「正」であり、学問や智解は「助」に過ぎない。この辺りを気を付けていないと正・助が逆転してしまう。
釈尊の態度を見習う・学解は仏教ではない
三昧発得された浄土宗の山崎弁栄上人が宗教上の心理は三昧や信仰に属すものであり、理性的に理解することではないという。云わく、
仏教が学解で良いならば、出家などされずに国中の学者を集めて研究すればいいはずが、どうして釈尊ご自身が入山修道されて、修行を専らにされたのかということを弁栄上人は主張されるのである。
釈尊その人を伺えば仏教が学問ではないことがわかるのである。