阿弥陀仏が四十八願を発した場所を考える
阿弥陀仏の誓願
阿弥陀仏は過去世において法蔵比丘として修行していた時分に、師の世自在王仏の御前で四十八願なる誓願をお立てなったのであるが、法蔵菩薩および世自在王仏が在ました処は如何なる場所であったのかという疑問がある。即ち我々の住するこの娑婆世界での出来事であったのか、或いは他方世界での出来事であったのかを先徳のお考えを基に見ていきたい。
経典『無量寿経』と釈文『凡夫見佛論』
世自在王仏は錠光仏から数えて五十四番目に出現なされた仏陀である。ではその錠光仏は如何なる処に出現なされたのかというに、『無量寿経』には、
と云って、錠光仏が出現された処を単に「世」として何処の「世」なのか明白ではない。
近年浄土宗から出版された『現代語訳 浄土三部経』には、
と云って、錠光仏が住していたのは「この世」であると補筆して訳している。同書によれば、阿弥陀仏の本願はこの娑婆世界で立てられたと見てとれる。
次に大内青巒居士演訳・安藤正純和解の『無量寿経訳解』には、
と云って、こちらも同様に錠光仏は「この世」、即ちこの娑婆世界で出現なされた仏陀であるからして、その未来仏で世自在王仏も当然この娑婆世界の仏であり、その弟子である法蔵菩薩も娑婆に世界に住されていたと考えられる。
明治の高僧・浄土宗の中島観琇上人は、阿弥陀仏が本願を立てた処は
と云い、また
と云って、「極愛一子の大悲」を発す故に阿弥陀仏の救済目的がこの娑婆世界の衆生であるからして、この娑婆世界から離れた処ではないというのである。
さらには『無量寿経』に説かれる
というような、法蔵菩薩の尋常でない修行を完成させたことについては、
と中島上人は述べており、したがって阿弥陀仏の発願と兆載永劫の菩薩行は全くこの娑婆世界で行われたといえるのである。
『悲華経』に説かれる阿弥陀仏の前世
『悲華経』では、娑婆世界の過去仏・宝蔵如来の下で阿弥陀仏は無諍念と号する転輪聖王として功徳を積み、最後は宝蔵如来から授記という成仏の確約をいただくという内容が説かれている。
手元に『悲華経』の資料はないのであるが、夢窓疎石上人が『夢中問答集』においてその部分を引いておられるので、それをここに記載する。
上記『悲華経』の本生譚の内容がそのまま『無量寿経』に説かれる以下の説示の一端を表しているのである。
「或は刹利国君転輪聖帝と為り」とは『悲華経』の本生譚に類似する、即ちこれ阿弥陀仏の本願及び六度万行がこの娑婆世界での出来事であることを示している。
結論
以上のように阿弥陀仏が法蔵菩薩の時に立てられた四十八願および成仏までの兆載永劫の菩薩行が、娑婆世界において行われたことであると推察できるのである。
明治の浄土宗僧侶・原青民上人いわく、
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