名盤と人 第3回 ウエストコーストロック人脈の結晶 「The Pretender」 ジャクソン・ブラウン
音楽と人が好きだ。ミュージシャンとミュージシャンとの出会いから別れ、成功と苦悩を名盤を通して書き連ねるシリーズ企画。
当時は若手有望株としてセッションが増えて来たドラマーのJeff Porcaro。
後にTOTOを結成し天才ドラマーとして一気に有名となる。
Boz Scaggsの「Silk Degrees」への参加で成功への階段を登りだすJeff。
同時期に発売された作品で、意外なJackson BrownとJeff Porcaroの出会いと名盤誕生を語る。
ウエストコースト・ロックの総仕上げとも言うべきメンバーが集まる
ジャクソン・ブラウンの名盤と言えば「Lafe for the sky」(1974年)が上がるが、その次作として「Pretender」は1976年11月にリリースされた。
同年にはEaglesのHotel Californiaも発売されており、ウエストコースト・ロックが極限まで膨れ上がり、そして総仕上げにかかる時期でもある。
「Pretender」にはウエストコースト・ロックの新旧の立役者たちが集結し、究極の演奏を繰り広げる。
勿論、その中心にはジャクソンの歌がある。
CSNからDavid Crosby、Graham Nash 、イーグルスからDon Henleyと準メンバーとも言えるJ. D. Souther 、リトル・フィートからBill Payne、Lowell George、その後に加入するFred Tackett、オーリアンズからJohn Hall、 さらにはBonnie Raitt。
豪華過ぎるメンバーがウエストコーストの歴史を物語る。
ウエストコースト・ロック屈指のシンガーソングライターであるジャクソンと西海岸オールスターズが一時代の終末に繰り広げる総決算とも言える。
この年を最後に「ウエストコースト・ロック」と言うジャンル自体は徐々に自然消滅に向かい、80年代の産業ロックに飲み込まれていく。
総決算として最高の人材が彼の元に集結し、極上の歌と演奏を聴くことができる。
心に染み入る歌詞の世界
ジャクソン・ブラウンの歌詞はどれも詩人と言える程、ある時はストレートにある時は難解だが、このタイトル曲「Pretender」もしかりである。
一部抜粋してみると。
Out into the cool of the evening
Strolls the Pretender
He knows that all his hopes and dreams
Begin and end there
僕はプリテンダー(ふりをする人)
涼しげな風が吹く夕方、一人街に繰り出す
あらゆる希望と夢には入り口と出口があることを
僕はよく心得ている
I'm going to be a happy idiot
And struggle for the legal tender
Where the ads take aim and lay their claim
To the heart and the soul of the spender
「幸せな愚か者」になりたい
金の亡者、僕にはそれが似合う
目を通した広告にはもれなく飛びつくような
金に汚い愚か者に
実は録音中に彼の妻が自殺している、そのため暗い歌が多いと言われている。日本人だとダイレクトに歌詞がわからないので、初めて聴いた時は演奏が前作と比べかなりタイトになりジャクソンの変身に驚いたものだ。
歌詞が深刻の分、演奏は力強さに溢れ、勢いのある作品に仕立て上げている。
Jeff Porcaroの活躍
A面1の「Fuse」はDrumsにRuss Kunkel、BassにLee Sklar、PianoにCraig Doerge、SlideにDavid Lindleyとほぼ次作「Running on Empty」と同じメンバーがバックを務める。途中Lindleyが心震わせるSlideを聴かせる。
2曲目Your Bright Baby Bluesには Lowell George、Bill Payneがリトル・フィートから参加。Lowellはスライドとハーモニーボーカルで彼らしい個性を提供している。ジャクソンはLowellを敬愛していて1980年にリリースされた「Hold out」において「Of Missing Persons」という曲を彼に捧げている。Bassは前回でも触れたChuck Rainny。Steely Dan、R&B、フュージョン系への参加が多いが、この時期はウエストコースト系への参加も多い。
最初に選ばれたシングル「Here Come Those Tears Again」のリードギターはOrleansのJohn Hall。さらにバッキングボーカルにはBonnie Raittが参加。
B面はすべての曲でJeff PorcaroがDrumsを担当。
同じ年の3月リリースのBoz Scaggsの「Silk Degrees」での勢いをそのままにタイトなドラムを披露。Russ Kunkelの推薦で彼の起用が決まったらしい。
特に「Pretender」でのタイトでための効いた歌心のあるドラミングは数ある彼のセッションの中でも秀逸だ。
ジャクソンもJeffの伝記で「彼が叩くフレーズが素晴らしく歌詞を書き足して曲を長くした」と語っている。
この後、Jeffは仲間たちとTOTOを結成するが、ウエストコースト・ロックと一線を画すサウンドで産業ロックの代表として時代を築く。
彼に呼応するようにベースのLee Sklarも印象的なフィルを聴かせ、同僚のCraig Doergeによるピアノのイントロも素晴らしい。
さらに、後にリトル・フィートに入るFred Tackettが極上のエレキギターを聴かせる。
そして、一聴して誰だかわかるバッキング・コーラスを聴かせるのがウエストコーストの重鎮Crosby&Nashの2人。
高音のNashと中低音のCrosbyの極上のコーラスが贅沢に使われる。
歴史を作ったバンドのメンバーから西海岸を代表するセッションマンまでが世代を超えて総出で参加したウエストコースト・オールスターズによる歴史的な録音である。
因みにストリングスのアレンジはベックの父親であるDavid Campbell。
B面はJeffのリズムに乗って垂涎のミュージシャンが究極の演奏を聴かせる。
25th ANNIVERSARY ROCK AND ROLL HALL OF FAME CONCERTでCSNとジャクソンの素晴らしい共演が観られる。
これらの成功の最大の功労者はスプリングスティーンの「明日なき暴走」のプロデューサーでもあるジョン・ランドー(Jon Landau)。
彼の人脈でEストリートバンドのピアニスト、Roy Bittanも参加している。
その他、この作品にはドラムにJim Gordon、ベースにBob Glaub、ギターにWaddy Wachtel、Albert Lee、ホーンにJim Hornと精鋭が揃う。
西海岸ロックのジャクソンを、東海岸ロックの雄スプリングスティーンをビッグに仕立てたランドーが、フォークシンガーからロックシンガーに進化させたと言うのも象徴的である。
同時期に出た「Aja」が東海岸の演奏家たちの極上の演奏集なら、このアルバムは西海岸の演奏家たちの極上の演奏集だろう。
この時期を境に演奏は機械がとって代わり、リズムボックスやシンセサイザーなど打ち込みが時代を席巻していく。
ジャクソンはこの翌年行われた「Pretender Tour」で初来日。
当時高校二年生だった自分も、神奈川県民ホールで3月に開催されたコンサートを観た。
コンサートは2度目で1人で行くのは初めて、周囲は大人ばかりでドキドキだった。
一曲目は予想外の「Take it easy」。
興奮した。
盟友のDavid Lindleyも帯同、初々しくて楽しいライブだった。
この後、ジャクソン・ブラウンはレコードセールスも伸ばし、1980年リリースの『Hold out』で初の全米チャート1位を獲得する。
80年の来日公演は規模も拡大し武道館を使用したが、自分は観に行くこともなく、その後しばらくは彼の音楽からは遠去かることになる。
The Pretender
Jackson Brown
Side 1
1.The Fuse
2. Your Bright Baby Blues
3. Linda Paloma
4.Here Come Those Tears Again
Side 2
1. The Only Child
2.Daddy's Tune
3.Sleep's Dark and Silent Gate
4.The Pretender