名盤と人 第9回 不朽の名作ライブ 『At Fillmore East』 オールマン・ブラザーズ・バンド
Allman Brothers Bandを一躍スーパーバンドに押し上げた『フィルモア・イースト・ライヴ』(At Fillmore East)。LIVE演奏の記録を偶発的にレコードにしたと思われがちだが、背後にはメンバーとプロデューサーの明確なビジョンと調整する過程があった。「Layla」もプロデュースした男Tom DoudとDuane Allmanの間に築かれた信頼感による制作過程を探る。
プロデューサーTom Doudの存在
The Allman Brothers Bandは1969年にファースト・アルバム『The Allman Brothers Band』をリリース。翌年にはデュアンと親交のあったTom Doud(トム・ダウド)のプロデュースによる2作目『Idlewild South』をリリースするが、2作とも大きな成功を収めるには到らなかった。
その彼らが起死回生の一発として1971年7月にリリースしたのがこの『フィルモア・イースト・ライヴ』(原題:At Fillmore East)。
本作はアメリカのBillboard で13位に達し、1971年10月にはゴールドディスクに、1992年8月にはプラチナ・ディスクに認定された。
LIVEアルバムでありつつも Allman Brothers Bandの最高傑作となり、ロック史にも残る不朽の名作としてその名を残すことになる。
この成功に大きく貢献したのがプロデューサーのTom Doudである。
Eric Claptonを中心に結成されたデレク&ドミノス(Derek and the Dominos)。
彼らの名盤「いとしのレイラ」(Layla and Other Assorted Love Songs)のプロデューサーだったTom Dowdは1970年8月26日、録音中のデレク&ドミノスのメンバーを、Allman Brothers Bandのコンサートに誘い出す。
そこでクラプトンは初めて生でDuane Allmanの演奏を聴くのである。
クラプトンはその夜、オールマンのバンド全員をスタジオに招待しセッションを繰り広げた。
その後、デュアンは「Tell the truth 」を手始めにドミノスの録音に参加。
オールマン・ブラザーズの活動の合間に10回以上のレコーディングに参加しアルバムの大半の曲に貢献したのである。
それまで、低調だったドミノスのレコーディングはデュアンの参加によって活気を取り戻し、数々の名演が生まれることになる。
そしてロック界の永遠の名曲「Layla」のあの有名なリフもデュアンの指先から生まれたのである。
1970年11月「いとしのレイラ」はリリースされ、このアルバムでのDuane Allmanのプレイは絶賛され、一躍知名度が上がるのである。
名作「At Fillmore East」に見えるJazzの影響
そして翌年Tom Doudをプロデューサーに迎え、満を侍して「At Fillmore East」がライブレコーディングされた。
1971年3月11日から13日にかけて3日間NYのFillmore Eastで1日に2回ずつ公演を行い、それらの公演から抜粋されたライブ音源を本作に収録した。
オープニングを飾る曲は『STATESBORO BLUES』。オリジナルは1928年にブルースマンのブラインド・ウィリー・マクテル(Blind Willie McTell)が発表。
1968年にはTaj Mahalがデビューアルバムでカバー、リード・ギターをJess Ed Davisが演奏していた。
Jess Ed Davisは1971年12月に開催された「Bangla Desh」のLIVEにドラッグで役に立たなかったクラプトンの代役としてステージに立ち、またジョンやジョージなどビートル達の録音にも参加するネイティブアメリカンのギタリストである。
このアルバムを、誕生日の日に風邪をひいて寝込んでいたデュアンに、弟のグレッグがプレゼント。さらに瓶に入った風邪薬(コリシディン)も持参した。デュアンはJess Ed Davisのスライド・ギターのプレイに魅せられ、風邪薬の瓶からラベルを剥がし、それを使ってスライド・ギターをマスターしたという逸話がある。
ほぼオリジナルに忠実なアレンジながら、Sky Dogと呼ばれた空を駆ける様なデュアンのスライドにいきなり興奮が掻き立てられる。
タジ・マハール版「Statesboro Blues」
1枚目の両面は新録のブルースカバーが続き、2枚目はメンバーの作品がレコードとは全く違うアレンジで展開する。
中でも極上はSide 3の2曲目「エリザベス・リードの追憶 (In Memory of Elizabeth Reed)」だ。
これは当時はセカンド・リードギタリストだったDickey Bettsの作品。
マイルス・デイヴィスの1959年の傑作『カインド・オブ・ブルー( Kind of Blue)』に収録されている「All Blues」に影響を受けたことを、ベッツ自身が認めている。
全くJAZZに関心がなかった自分だが、この曲が導火線となりJAZZの魅力にハマることになる。
作者Bettsのソロから始まり、グレッグのオルガンソロ、そして、史上最高とも思えるスリリングなデュアンのソロで締め括られる構成には、JAZZの持つスリリングが見事に再現されている。
長くはないがツインドラムのソロが入り、Berry Oakleyのベースがデュアンに絡み、バンド全員の技量が噛み合うまさに完全無欠のLive。
一般的にオールマンのイメージは「ブルーズ・ロック」として語られ、そこから「サザンロック」も南部の泥臭いブルーズ・ロックと定義付けられた。
ただ、オールマンの音楽が単なるブルーズロックでは片付けられない、様々な音楽のクロスオーバーとなっており、それこそが未だにスーパーバンドして評価され続ける所以だ。
その重要の下敷きになっているのがJAZZである。
唯一の黒人メンバーであるドラマーのジェイモ(Jai Johanny Johanson)の影響で、デュアンもマイルスやコルトレーンに傾倒する様になる。
その集大成がこの曲だろう。
泥臭さというより、むしろ洗練を感じさせ、どのバンドにも出せないスリリングなソロの受け渡しが展開がされる。
デュアンを説得したTom Doud
当初、デュアンはこのアルバムにホーンセクションを参加させる意図があり、3日間の初日はホーン2台とブルースハープとステージを共にしている。
推測に過ぎないが、デュアンの構想には1970年に結成されたWeather Reportの様なジャズ・フュージョンがあったのかもしれない。
だが、拙速過ぎたそのプランに疑問を感じたTom Doudはデュアンに「ホーンは外せ」と伝えた。
そしてLIVE終了後も録音テープを聴きながらTomはメンバーを説得した。
オーネット・コールマンやコルトレーンなどジャズの名作にも関与したTomだからこそ、デュアンも説得に応じたのだろう。
2日目以降はホーンセクションは外されることになる。
この初日の録音は行方知れずで、ホーン入りのオールマンの音を確かめる術はない。
2014年になりリリースされたCD6枚組の「1971 フィルモア・イースト・レコーディングス」。初日以外の全演奏が収録されている。
この中で2日目に残ったサックス1本が「エリザベス・リードの追憶 」でソロをとっているが、レコードに収録されたトラックに比べて間延びしている。
「今はその時じゃないんだ」とディアンを説得したTom Doudの慧眼というべきだろう。
結果としてデュアンの試みは日の目を見なかったが、バンドのみの演奏となったことで、個々の演奏の技巧が浮かび上がって世間に伝わり、成功の一因となったのである。
ブルーズを基調しつつも、当時流行りのスワンプにならず、JAZZの即興演奏のニュアンスも重ね合わせたオールマン・サウンドが完成したのである。
この辺りのデュアンの嗅覚は彼がバンド結成前にマッスル・ショールズのフェイムスタジオにおいて、スタジオ・ミュージシャンとして活動した時に養ったのであろうか。その頃にデュアンはBeatlesの「Hey Jude」をカバーすることをWilson Pickettに提案するなど、単なる下請けに終わらない才能を見せていた。
Tom Doudもアトランティック・レコードのプロデューサーとしてマッスル・ショールズに勤務しており、2人はその頃からの付き合いであった。
Tom Doudも自伝映画の中で、オールマンを枠にはまらない自由なバンドとして評し「完ぺきなフュージョンバンドだ」と語っている。
エリザベス・リード共に、オールマンのフュージョン的な方向性が見えるジャム的なナンバー「Hot ' Lanta」も必聴だ。ツインギターのハモリとツインドラムの揺らぎが最大限に発揮された象徴的な構成だ。
『At Fillmore East』商業的にも音楽的にも多大な成功をもたらすが、そこから間もない1971年10月29日、Duane Allmanはメイコンにてオートバイでトラックに追突し24歳で死去する。
もしデュアンが生きていたら、ホーンセクションを駆使したJAZZ的な作品をリリースしていたかも知れないが、今や妄想に過ぎない。
次作「Eat a peach」やその後の「Where It All Begins 」(1994年)等、Tom Doudとオールマンの付き合いは長く続いた。
Tomは2002年に他界。そして翌年、Tomのドキュメンタリー映画『Tom Dowd & The Language Of Music』(トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男)が公開された。
その中でクラプトンと共に最もフューチャーされているのがグレッグ、ベッツ、ジェイモ、ブッチ・トラックスといったオールマンのメンバーだった。
一般的にライブ盤というのは、作品と作品の発売の合間にベスト盤的にリリースされたりする、企画もの的な位置づけで作品的な価値は低い。
このLIVE作品は9曲中、7曲がこのLIVEのために新レコーディングされており、しかも即興に近い感じで演奏されている。
新作を観客の前で演奏しそれを記録する、そしてそれがジャムセッションの様に出たとこ勝負で展開される、という新しいLIVEアルバムの形式を提示したことに大きな価値を見出す。
一期一会という緊張感が漂う中で、まさに一世一代の究極の演奏が展開された。
それを、Tom Doudが老練な選択眼でいくつかのテイクを捨てつつ最高の演奏を選び出しアルバムを完成させた、ということが初日を除く全演奏が収録された「1971 フィルモア・イースト・レコーディングス」を聴くと理解できる。
1994年、Tom DoudはPrimal Screamのメンフィス録音の『Give Out But Don't Give Up』をプロデュースしたが、何とその音源がボツになるというハプニングが起こる。
そして2018年、その音源が発掘されて「The Original Memphis Recordings」としてリリースされることになるがTomは既に鬼籍に入り知ることはない。
Side 1
Statesboro Blues(Blind Willie McTell)
Done Somebody Wrong (Clarence L. Lewis, Bobby Robinson, Elmore James)
Stormy Monday(T-Bone Walker)
Side 2
You Don't Love Me (Willie Cobbs)
Side 3
Hot 'Lanta (Duane Allman, Gregg Allman, Dickey Betts, Jai Johanny Johanson, Berry Oakley, Butch Trucks)
In Memory of Elizabeth Reed (D. Betts)
Side 4
Whipping Post(G. Allman)