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自分の可能性を信じ”ぬく”ことを語っていきたい

「自分自身の可能性を信じぬくこと」

これって結構その時々に自分が置かれた環境によっては、とても難しい。私自身も実際に経験して感じている。

高校から大学、大学から大学院修士課程までは、一貫して将来は「高校野球の指導者になるんだ!」と明確な目標を持ち、その実現に向けて努力してきたつもりだ。

しかし、博士課程に進学してから、経済的理由から民間企業で働くことにした。結果的にそのことが、今の自分にとってはかけがえのない財産になっているのだが、当時の自分自身は少しネガティブに捉えていた。

働くという選択肢は、もちろん当時の私自身も「将来的に教育業界で働く上で、民間企業の経験は役に立つ」「社会人経験を持って教員採用試験を受けていこう」といった視点に立って考えていた。
しかし、そうは言えど目指している職(高校野球の指導者や大学教員)に結びつけるための博士課程のはずが、実際には働きながらであり十分に学問に集中できていない状態に、正直半ば諦めもあった。

年齢もそれなりに重ねてきており、現実的な生活を考えれば、このまま今の職のホテル業界で、一足遅れて這い上がっていく道を模索していく方がいいのかなと思えてきていた。

修士課程の頃には、学会で優秀賞を取ったり、研究の世界で自分にも可能性があるのではないかと思っていたため、働き詰めでなかなか研究に没頭できていない現実に葛藤を抱えていた。

博士3年目には、もう大学教員などの世界に入っていくのは難しいのかなと思い、当時働いていた業界の先をいく会社に転職を目指し、ありがたいことに実際に2社から新卒として内定をもらった。
今後はこの業界で続けていこうとほぼ決めかけていた。

そんな時に、今の大学がスポーツ科学系の教員を探していると声をかけていただいた。私にとっては、まさか3年でスムーズには博士号が取れる段階ではないのにそんな話が巡ってくるとは思ってもいなかったので、突然希望の光が照らされたかのようだった。

声をかけていただいてすぐ、ぜひチャンスがいただけるならぜひ働きたいとお伝えした。面接を通して、本当にありがたいことに採用をしていただき、今の大学で働くことができている。

こうしたこれまでの歩みを通して、私は学生に「自分の可能性を信じぬいて」欲しいと心から思う。「信じる」のではない。「信じぬく」のである。

前にも紹介したと思うが、私が大学生の時に当時の先生からいただいた言葉に、

「誠実に生きていけば不思議とご縁が現れる」

というものがある。
まさにそうだと感じている。

ご縁が現れるタイミングは、私は幸運にもすぐに出会うことができた。
早い人もいれば遅い人もいるだろう。

なかなか修士課程の頃に得ていた「私自身の可能性を信じる」ことを持ち続けられなかった、少し諦めを感じていた経験があるからこそ、自分が受け持つ学生にはぜひ「自分自身の可能性を信じぬいて欲しい」と思う。
いつか花開く、いつかご縁が現れる。

その”いつか”が、いつ来るかは分からない。
しかし、自分を信じ日々誠実に生きていくことが大切だと思う。
そして出会えたご縁には心から感謝して欲しい。

また、そこまでに至ったプロセスは決して無駄ではないことも感じて欲しい。これまで私が辿ってきた経験(博士課程の頃に働いていたことなど)は、今の私を築き上げる貴重な財産である。学んだことがたくさんあり、その経験があるからこそ教えれることもある。
それがなければ、私は私ではない。

今の私が在るには、これまでの全てが必要だったわけだ。
だからこそ、その日その時間も常に変わらず、自分を信じて歩みを止めないことがとても大切であると、思う。

この経験を学生にも語っていきたいと思う。


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渡辺 裕也
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