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本当は1000本打ちたかった〜王貞治「野球にときめいて」を読んだ。

王貞治さんの半生記、「野球にときめいて」、読み終えました。

2020年発行(単行本は2011年)


ご本人は数々の挫折があった、と書いていて、実際にそうだったのだとは思うのですが、いかんせん選手として、監督としても最終的に残した実績が凄すぎるためか、どうしてもすごいなぁ、という感想が先に立ってしまい、そのせいか、読み物としては少し物足りなかった感じがありました。(挫折の部分が、あっさり乗り越えてしまったかのような、そんな印象が残ってしまった。)

ただ、そんな中、現役生活を本当はあと3年はやりたかったし、できたと思う、とか、ホームランは1000本は打てる、と思っていた(実際には868本。もちろん世界記録。)、という本音の部分はこの本を読み初めて知ったことだったので、興味深い部分でした。

あとは、現役生活を退き、本当は一度、野球というものを外から見たかったが、王さんの引退は、長嶋監督が去るタイミングと重なってしまい、自分も球団を離れると、ONが2人とも球界からいなくなってしまう、それはプロ野球の人気低下になりかねない、ということで巨人に留まり、助監督という珍しい役職を三年間務めました。

ただ、助監督の経験はまったくプラスにならなかった、と吐露もしています。中途半端な立ち位置で、悶々と過ごしていたようです。

他には、「監督というものは、戦力不足と口にしてはいけない。」と書かれているのですが、王さんのまじめで控え目な性格を表しているような気がします。
名監督の広岡さんや落合さんは、監督就任前に、チームの戦力を冷静に見て、優勝を狙えるチームに変えるには三年や五年はかかるだろうという必要な時間を見積もり、球団に承諾させた上で監督をやる、というのを他の本で読んだことがあります。

王さんは巨人の監督を五年間、ダイエー(のちにソフトバンク)の監督を十四年やりましたが、特に万年Bクラスだったダイエーの監督に就任する前、戦力云々を見積もった上で監督を引き受けたわけではないように見受けられました。

ダイエー監督を引き受けた当時(1995年)は、古巣の巨人では長嶋さんが監督を務めていたので、ユニフォームに恋焦がれていた王さんとしては、パリーグの、しかも福岡という遠い地に本拠地を置くダイエーを選ぶことで、巨人のユニフォームへの想いは断ち切り、戦力云々は抜きにしてダイエー監督に就任したのだと思います。


この本、読み物としてぐいぐいと引き込まれる感じは、正直野村克也さんや広岡達朗さんの本に比べてしまうと物足りないのですが、王さんの実直な人柄が感じられ、読後感は清々しいものでした。


(おまけ)

今日、息子と行った古本屋さんで、「パーマン」1巻を見つけ、買ってあげました。(昔、自分も持っていたものを、再購入。)

王さんならぬ、「玉選手」が華麗なフラミンゴ(?)打法を披露していました。

「パーマン」1巻・昭和54年初版



私も藤子先生が大好きなのですが、血は争えぬもの、うちの息子も藤子両先生の各作品にはまっています。

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