家族と共に〜和田絵衣子「奇跡への祈り 福永洋一、裕美子15年の闘い」を読んで
福永家のその後の物語
本書は副題が「福永洋一、裕美子 15年の闘い」となっているように、落馬事故以降の福永家の長い闘い、リハビリに取り組む家族の姿が描かれている。
特に、アメリカの理学療法ドーマン法に則った厳しいリハビリの中身や、家族一丸でリハビリに取り組む様子は前回取り上げた「騎手 福永洋一の生還」より詳しく描写されている。
「いちばん大切なのは家族。この幸せはどんなことがあっても守っていきたい・・・。」
この言葉は、長男・祐一が生まれた頃の洋一の言葉という。
この本では、事故の後のみではなく、洋一の生い立ちや騎手としての駆け出しの時代、所属していた名門・武田文吾厩舎でのエピソード、デビューからトップジョッキーとなっていくまでの記述にも多くのページが割かれている。
福永洋一は高知に生まれ、姉3人、兄3人の7人兄姉の末っ子だったという。生活は貧しく、母が洋一2歳の時に蒸発。父親は度重なる不幸のためか酒に溺れがちとなり、洋一が14歳の時に脳溢血のため急死してしまった。
そんな生い立ちだったから、幸せな家庭を築くことは、洋一にとって人生の最大の目標だったのだろうと思う。
家族と共に。
昭和54年3月の落馬事故以降、福永洋一は競馬場の人ではなく、妻・裕美子さん、義父の北村達夫さんが中心となってのリハビリに取り組む人となった。
本書に、何枚かの写真と共にリハビリに取り組むエピソードが収められているが、福永洋一にとって不幸中の最大の幸いは、この家族を持ったことだと思う。
義父の達夫さん・義母の眸さんは、それまで住み慣れた土地を離れ、夫婦で洋一家に移り住み娘夫婦を全力で支えたという。普通の人生なら、悠々自適に余生を過ごす筈だっただろうに、そこには計り知れない覚悟と苦労があったと思う。
昭和59年に洋一が事故のあと初めて馬に跨るエピソードは涙なしには読めない。フミノキャプテンという現役を退いた9歳の馬に跨った洋一に、師匠の武田文吾が声をかけたという。
周辺のエピソードも豊富
洋一を支えた周囲の人間、環境についてのエピソードも多く含まれている。
師匠・武田文吾調教師が育てた名馬シンザンの話や、シンザンの主戦騎手で厩舎の兄弟子である栗田勝との交流、他の兄弟子(シンザンの引退レースとなった有馬記念に騎乗した松本善登など。)との交流。
洋一がシンザンに一度だけ跨ったこともあるというエピソードも。
印象深かったのは、洋一デビューの日に武田文吾の妻が馬主に赤飯入りの折詰をふるまったという話。当時は当たり前の話だったのかもしれないけど、所属厩舎は家族と同じようなものだったのかなと、何とも心が温まるエピソードだった。
そして最終章では福永祐一が騎手を目指し騎手過程で訓練に励む日々や、父に宛てた手紙などが紹介されている。
いよいよ、父の夢が息子に引き継がれる。