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平和を噛みしめて白球を追う〜阿部牧郎「人物 日本プロ野球史」を読んだ。
戦前・戦中のプロ野球黎明期、戦後の2リーグ分裂時代の野球人たちを追った、「人物 日本プロ野球史」を読み終えました。著者の阿部牧郎さんは直木賞作家で、官能小説や野球小説を多く残した方のようです。また、競馬ファンでもあるようです。(Wikipediaより。)
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取り上げられた野球人たちは以下、目次の通り。
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感想を一言で言うなら、すごい時代があったんだ、という言葉に尽きます。
第一章の水原茂の出だしが、いきなり過酷なシベリア抑留の話で、引き込まれました。
五つの収容所で家畜以下の待遇の中、伐採や鉄道敷設などの重労働に従事し、多くの仲間は息絶えてしまいます。
水原茂がようやく日本に引き上げてこられたのは、終戦から約4年が経った昭和24年の7月。
後楽園球場で大観衆を前に挨拶しながら、自分を見つめる巨人軍のチームメイトの列に、沢村栄治や、吉原正喜らの顔を探してしまいます。
すでに彼らが戦死したことは、伝え聞いていたにも関わらず。。
三原脩の章。三原と、先輩の井野川大尉が、機関銃の音が聞こえる駐屯地で、手づくりの不恰好なグローブとボールでキャッチボールをする場面も、まるで映画の1シーンのようで、読み入ってしまいました。
また、藤村富美男の章では、いつ戦争に召集されるかわからない選手たちの心理が以下のように描写されます。
緊迫した試合が少なくなかった。十二年に日中戦争がおこり、世の中が非常時局となって、いつ軍隊へひっぱられるかもしれない不安に選手がかられたせいもあった。好きな野球を今のうちに思いきりやっておこう。野球をやるよろこびを心ゆくまで味わいつくすのだという意識が選手にあった。一刻一刻を大事に思って駆け回った。
このような時代を経て、戦後の2リーグ分裂のエピソードが語られる村上実(阪急ブレーブス球団代表)の章では、今度はリーグ分裂にともなう球団同士の駆け引き、選手の取り合いといった、試合とは別の球団運営に絡む生臭い話が出てきますが、それも戦争時の話と比べれば平和なものです。
過酷な時代を、先人たちがくぐり抜け、今我々は平和な時代を生きていられることに感謝です。(世界には、その平和が脅かされている国・地域がまだまだありますが・・)。
ところでこの本を読んで、もうひとつ思ったことが、昔の「二刀流」の多さというか、当たり前さ?
この本で取り上げられた人で言うなら、水原と藤村であれば、二刀流のキャリアハイとしては、以下のような成績。
◆水原茂(1938年・秋)※全日程で40試合
[打撃]29試合・110打席/本塁打2本、9打点、打率.242
[投手]11試合・82投球回/8勝2敗、防御率1.76
・名選手だったが、戦争応召後は、選手としての力は落ちてしまったという。しかし、監督となり、巨人の黄金期を築く。
◆藤村富美男(1946年)※全日程で105試合
[打撃]96試合・424打席/本塁打5本、69打点、打率.323
[投手]23試合・107投球回/13勝2敗、防御率2.44
・打撃に専念した1949年と1953年には、本塁打・打点の二冠王をとっている。
この本で取り上げられた選手ではないですが、こんな人たちも二刀流。
◆景浦将(1937年・春)※全日程で56試合
[打撃]55試合・241打席/本塁打2本、47打点(打点王)、打率.289
[投手]22試合・106.1投球回/11勝5敗、防御率0.93
・戦前の名選手。「零代ミスタータイガース」と呼ぶ人もいるという。1945年5月、フィリピンにて戦死したとされる。
◆野口二郎(1940年)※全日程で104試合
[打撃]96試合・364打席/本塁打0本34打点、打率.260
[投手]57試合・387投球回/33勝11敗、防御率0.93(1位)
・フル回転ぶりが尋常ではない。投球回数がすごい。。
現代の大谷選手と比較は難しいですが、昔もすごい選手がいたんですね。。