“帰りたい”
昨日昼の調子よさが
夜から一変
昨夜から“帰りたい”
この思いに支配されています。
どこに?
どういう事?
いや 帰ればいいじゃない!
同居の母が認知症でわたしの手に負えず
怪しい仲介人(またの機会に説明)に
最速の介護 食事3食付きの施設入居へ。
これが2024年12月
その後は自分の物件 引越しと後処理で
そのまま暮らしていました。
微かな期待もありました。
17、8年住み 家賃も安くなっていたので
頑張って働けばこのまま住めるかも、と。
しかし働いていた分の収入があろうと
生活保護受給をしているので
当然収入を差し引かれての支給
では働いて稼ごう!
内定もあったので可能でしたが
区役所が空いている平日に
母の施設関連や後見人で出勤がままならない。
辞退せざるを得なく家賃支払いの見込みなし。
生活保護内の物件を決めて
引越し日も決める一択
賑やかな年末年始が毎年 鬱を悪化
体調も一番悪くなる。
半日ズレて行く日々
“もうどうでもいいや”と投げやりに。。
自分の判断ミスと交渉下手に加え
“実家”をなくす事
17、8年暮らした思い出深さ
軽く見ていました。
一人暮らし楽勝!と思えたのは
勝手知ったる住み慣れた家だったから。
全くの新しい部屋は 生活が少しずつ出来ているとはいえ
“他所の家”感が拭えません。
トドメが
「母との一切の接近禁止」
本人の意思なら承諾しますが
怪しい仲介人と施設長の独断。
思い出も置いていき
持ち切れない物は処分
思いもよらない禁止
早くに伝えて貰えれば覚悟も出来ましたが
ずっと「いつでも会えるし、電話もいいよ」と言われると
どこか安心だし、実際電話も出来ました。
あからさまに施設に嫌がられたり
えっ?と思う言い訳で繋いでくれなくなっても
“タイミング悪かったなぁ。仕事の邪魔したなぁ”
なんて呑気に思っていました。
一瞬にして拠り所がなくなったことの恐怖と
瞬時に発した
“帰りたい”
もう何処にも誰にも
“帰れない“
物への愛着は認識していても
家そのものや
過干渉毒親の母を
これ程までに恋しいのか??
半信半疑はあっという間に確信に。
精神年齢は3歳くらいのままと知る。
その時に引越しで見知らぬ部屋に一人置いていかれた
今でも鮮明に思い出す五感の全てやムズムズする心細さ
”いつ 帰ってくるのかな“
”みんなどこ行ったのかな“
”帰りたいよ“。。。
体育座りでぬいぐるみ握りしめて
壁にしっかり背をつけてうずくまっていた
今も全く変わらない
”帰りたい“
ひとりで耐えられる
やっていける
背をくっつける場所があるから思えた
思い上がりに 毎日がこれまでにない
”帰りたい“に苦しめられる