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《大学入学共通テスト倫理》のためのフリードリヒ・ニーチェ

大学入学共通テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)。キーワード:「神は死んだ」「ニヒリズム」「能動的ニヒリズム」「力への意志」「超人」「永劫回帰」「ルサンチマン(怨恨)」主著『ツァラトゥストラはこう語った』『善悪の彼岸』『力への意志』

これがニーチェ

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丸眼鏡の似合う男性です。

📝ニーチェはこれまでの哲学を猛烈に批判しています!

哲学はつねに世界をみずからの〈像〉にしたがって作りあげるし、ほかのやり方はできないのだ。哲学とはこのように暴力的に支配しようとする衝動そのものである。(ニーチェ『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)から引用)

哲学は世界を捉えず、ただイメージで所有しているだけだと批判しています。

📝その勢いで宗教も批判しています!

宗教は間接にも直接にも、教義としても比喩としても、未だかつて一つの真理を含んだことはない(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な(上)』(阿部六郎訳、新潮文庫)から引用)

特に西洋社会で支配的なキリスト教については罵倒的に批判しています。その一方、東洋の仏教はニヒリズムの宗教として好意的な扱いです。マンガ『ニーチェ先生』でさとり世代の青年が仏教系のバンドをやっているのは、ひょっとしたらそのイメージかもしれません。

📝当然の流れ(?)で社会道徳も強く批判しました!

根本問題。どこから信仰のこの全能は由来するのか? 道徳を信ずることの全能は?(ニーチェ全集12『権力への意志 上』(原佑訳、ちくま学芸文庫)から引用)

道徳が「絶対に正しい」という由来があるのか(いや、ないだろう)と言っています。

📝大丈夫?ってくらい否定しすぎですが、彼には企てがありました!

すべての価値の価値転換の試み
(ニーチェ全集12『権力への意志上』(原佑訳ちくま学芸文庫)から引用)

『力への意志』の副題です。それを実現するためにこの遺稿を準備したそうです。すさまじい。

📝「すべての価値の価値転換の試み」を見ていきましょう!

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これはNASA作成の画像です。これから「永劫回帰」まで一気にチェックします! 一般的に「永劫回帰」は「世界は意味も目的もなく繰り返される円環運動だ」を指します。これがニーチェの宇宙観と言われますが、このまとめでは「なぜニーチェは世界が繰り返されると感じられたのか」という点の解釈を強めていこうと思います。ちなみに、ニーチェはアルプス山の森を散歩していたとき、「永劫回帰」のインスピレーションを発作的に得たそうです。これが病的な幻覚に過ぎないか、現実の可能性かは議論が分かれるところです。

📝ニーチェは個の枠組みを超えた経験の実在を信じます!

ディオニュソス的興奮は群衆全体に伝えることができる。悲劇合唱団のこの過程こそ、演劇の根源的現象にほかならない。すなわち、自分が自分の目のまえで変貌するのを見、こんどは本当に別人のからだ、別人の性格に自分が乗り移ったかのように行動するということだ。(ニーチェ『悲劇の誕生』(秋山英夫訳、岩波文庫)から引用)

ニーチェは、ギリシャ演劇(悲劇)の中の「コロス」という音楽を特別視しています。演劇、音楽のライブの「一つになる」状態が、無数の他人や自分を生み出すカオスな経験であるとする。これをディオニュソス的というカオスな神の名で呼んでいます。対となるのは、アポロン的という秩序な神の名です。

📝次に、否定した哲学の衝動自体は肯定します!

人間は真理へのおのれの衝動を(略)或る意味ではおのれの外部へと投影する。創造者としての人間の欲求(ニーチェ全集13『権力への意志 下』(原佑訳、ちくま学芸文庫)から引用)

これがニーチェの「力への意志」。人間が本来もっているパワーやポテンシャルのことで、哲学や宗教や道徳はこれを変形させたものだと扱っています。

📝ニーチェのニヒリズムを押さえましょう!

地上の生は、瞬間であり、偶発事であり、後続のない例外であり、地球の全性格にとってはあくまでささいな或るものである。地球自身が、あらゆる天体と同じく(略)計画も理性も意志も自覚もない一事変(略)にすぎない(ニーチェ全集12『権力への意志上』(原佑訳ちくま学芸文庫)から引用)
ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだということばで表した。(フリー百科事典「ウィキペディア」、神は死んだのページから引用)

ニーチェはニヒリズムの危機状況を「それでもポジティヴに生きよう」的な「能動的ニヒリズム」に転換させますが、ここに「瞬間」を生きることへの「運命愛」があると言われます。

📝というわけで、神なき人間は力への意志で世界とコラボします!

概念は、厳密に狭義に人間中心的に、また生物学的に解されなければならない。(略)認識機関は、その観察が私たちの自己保存を満足せしめるように発達する。(略)多くの実在性をとらえているのである。(ニーチェ全集13『権力への意志 下』(原佑訳、ちくま学芸文庫)から引用)

生にとって概念を持つことは本能的であり、それは「満足」の度合いに従って発達するとされます。「力への意志」によって人間がこの実在性の多さを限界まで押し進めると、「永劫回帰」の認識に到達するようです。

📝「回帰」は人間の衝動が備えた運動です!

歓びは、すべての悲しみよりももっと渇いている。愛を求めている。飢えている。(略)歓びは、おのれを欲し、おのれの身を噛む。歓びの中には、円環の意志が悶えている。(『ニーチェ全集第一巻(第Ⅱ期)』(薗田宗人訳、白水社)から引用)

『ツァラトゥストラはこう語った』から。快楽の中の「もっと」が、世界と限界まで広いコラボを求めていく。ニーチェは「認識」が世界の側と生物の側に属していると考えていたよう。だから、たとえば世界の広さの体感は一瞬の「歓(よろこ)び」を感じる自己認識の広さへフィードバック(エネルギーの逆流現象)します。

📝衝動が世界と夫婦のようにコラボするとき永劫回帰が出現します!

どうして永遠を求める情欲に、燃え立たないでいられよう。指輪の中の結婚指輪――あの回帰の円環への情欲に、燃え立たないでいられよう!(『ニーチェ全集第一巻(第Ⅱ期)』(薗田宗人訳、白水社)から引用)

同じく『ツァラトゥストラはこう語った』から。結婚指輪に注意。「指輪」は人間の持ち物であり、永遠を欲する人間がそれを与えるときに(たとえば二人の子どものように)「永劫回帰」が出現すると読めます。いまこの瞬間を生きる人間に強烈にフィードバックするような、世界との関係の結び方が「永劫回帰」と言えるかもしれません。(ところで、‟dem hochzeitlichen Ring der Ringe(指輪の中の結婚指輪)”の表現も「円環」に関するニーチェの読解として深めの謎ですが、語のリフレインで回転の運動がパフォーマンスされていることは間違いないと思う。リンリンに燃えています。)

📝永劫回帰について他の著者のコメントを見ましょう!

それは、その強度が自我を自我として意味しつづけていた波動のかずかずを解放し、その自我の現在のなかに過去がふたたび鳴り響くようにする(ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』(兼子正勝訳、哲学書房)から引用)

ここには過ぎ去ったはずの過去さえも現在に姿をあらわす。時間を繰り返し体感する点で、この強度の認識の経験は「回帰」と言っていいでしょう。人間がディオニュソス的に「万物の永遠の同一」の状態に至ること。この無限のフィードバック状態の、超人的な認識の強さを生みだすことがニーチェの「すべての価値の価値転換の試み」です。

📝最後に、ニーチェの毒舌をもう一つ見ておきましょう!

単に想像上の復讐によって、自己のうけた損害の埋めあわせをつけるような人たちのいだく「怨恨」が、価値を生みだすのだ。(略)奴隷道徳は始めから「外なるもの」、「違った行き方があるもの」、「自己ならざるもの」に対して「否」を言うのだ。(『ニーチェ全集第三巻(第Ⅱ期)』(秋山英夫訳、白水社)から引用)

これがニーチェの「ルサンチマン(怨恨、えんこん)」。ニーチェは低い復讐(ふくしゅう)感情によって、平等や正義などの「社会道徳」が生まれ、異質なものを排除していると批判します。たしかに、ただ他人に「正義」を求めて自分では実際に何もしないとき、自分の心の安定のための排除を求めているかもしれないと自省します。ところで、「奴隷道徳」は相当な悪罵(あくば⇒ののしり)の言葉と思えますが、立派に『倫理用語集』(山川出版社)に載っているキーワードです!

あとは小ネタを!

哲学者ニーチェは情熱的な文章で有名。その文章を、本の解説で翻訳者が「支離滅裂」と言った。ただそれは「支離滅裂なくせに無尽蔵のエネルギーを蔵している」という、愛情の多いツッコミだった。

↪ニーチェ『悲劇の誕生』(秋山英夫、岩波文庫)から引用。秋山英夫の「アポロ的であると同時にディオニュソス的であるといった言い方は、たとえ同心円的に重なっている部分があるとしても、この本を離れて冷静に考えるとき、同一のことばの乱用としかいえない」

哲学者ニーチェは「言葉の危険さ」についてこう書いた。「どの一語もみな一つの先入観である」。思考が、言語をみつめる感じですごいと思う。

↪ニーチェの『人間的な、あまりに人間的な』から。こういう格好いいアフォリズム(箴言、しんげん⇒短く深い意味のある言葉)は彼の得意技です。また、先入観を捨ててありのままの存在を考究したニーチェは、キルケゴールと並んで「実存主義の先駆者」と呼ばれます。



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