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ニコルソン・ベイカー『アンソロジスト』(ポケットブック)(Nicholson Baker, "The Anthologist", POCHET BOOKS, 2010)の感想

 アメリカ現代文学のチャーミングな鬼才ニコルソン・ベイカー。彼の2009年の作品が『アンソロジスト』だ。かつての彼の得意技であった生活トリビア満載の息の長い文体は影をひそめ、実在の人間の肉声がつたわるような語り口で現代詩人の日常がつづられている。
 本作を読んで驚かされるのは、この詩人の言論がじつに生き生きとしていることだ。それはニコルソン・ベイカーがじつは現代詩人で、エッセイを書いているのではと何度も思わせるほど。その理由の1つに、リアルすぎる詩論がある。以下はその引用を。

 He uses the four-beat line in the great old way. In fact, I'd say almost all the poems that I heard as a child were classic four-beat lines.
  Hell, let's get into it. Where's my Sharpie again? Okay:

          ①  ②  ③  ④

 See those four numbers? Those are the four beats. Four stresses, as we say in the meter business. Tetrameter. Four. "Tetra" is four. Like Tetris, (略)(p12)
(拙訳)彼は偉大な古いやり方で4ビートの詩行を用いている。実際、私が子どもの頃に聴いたほとんど全ての詩は古典的な4ビートの詩行だったと言えるかもしれない。
 「おい、シューチューしよう」「もうマジックはどこだあった!」

          ①  ②  ③  ④

 4ビートの詩行が分かるだろうか。これらは4ビートの詩行である。詩の用語で言うなら4つの強勢。テトラメータ。4。「テトラ」は4の意味。ゲームの「テトリス」のように(略)

 英語の詩は詩の複雑な韻律の法則に縛られているのではない。ビートによって生きている。こんな竹を割ったような明快な立場から古今の詩を論じていて痛快である。この現代詩人というものが何を考えて詩を作っているかが伝わってくる(本作はあくまでフィクションですが)。
 仕事に取り組む詩人の日常もつづられている。仕事場でロックを聴き、アンソロジーの仕事に手をこまねき、ポエトリー・リーディングという存在に黒い思いを抱いたりする。そのなかで、不在の恋人のことを繰り返し想う。この生活と内省のリアルはいつまでも読んでいられる。
 しかも本作にはクライマックスさえ用意されている。スイスの詩の国際会議に出席し、詩の講義を受けもたされた場面にそれが起こる。彼はテーマの見つけ方を問われて、こう答えている。それは自分の創作の秘密をためらわず誠実に答えようとした場面だ。

"Well, I'll tell you how. I ask a simple question. I ask myself: What was the very best moment of your day?" The wonder of it was, I told them, that this one question could lift out from my life exactly what I will want to write a poem about. (p237)
(拙訳)「ええ、やり方を教えましょう。私は単純な質問をします。自分自身に。『きみの1日で最高の瞬間は?』と」。
 私が彼らに語った、これがもつ驚異は、この1つの質問が、私の人生から正確に引っぱり出してくれるということである。私が何について詩を書きたいのかを。

 イベントの瞬間に、瞬間をつかむ詩の価値を「私」ははっきりつかむ。じつはこの後に起きる出来事が本作のクライマックスだが、そしてこの瞬間に、これまでの全ての詩論が、生活が、恋人を思う心が響いてくる。思わずこちらももらい泣きしそうな場面である。
 リアルなものと、普通のリアルをこえようとする心のリアルの両方を作品に乗せて『アンソロジスト』は抜群に格好いい。英語自体は読みやすい一方で、詩論の訳の確定は鬼むずかしいはずですが、すごく面白い作品なので翻訳希望です。柴田元幸先生お願いします!


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