『月と六ペンス』(サマセット・モーム、新潮文庫)の感想
ゴーギャンの生涯にインスパイアされた作品として有名だが、孤高の天才の実像を描く、みたいな内容のみと解釈すると勿体ない気がする。『人間の条件』と同じく、誰もが関わる普遍的な負について描いていると読みたい。それは天才にまつわる貧しさである。
天才画家は貧しい現実を抱える。そして、凡人は天才の存在によって自身を貧しいと感じる。天才があるところに除去できない貧しさがあらわれるのだ。天才という祝福すべきはずのものの登場なのに、ネガティブな感じになる。
個人的な読みどころとしては、「私」の卑屈さである。友人だったはずが個人的に会おうともせず「私」が死後さまざまな人の話を聞いていく。「私」は天才から逃げつつ惹かれているのである。モームはこんな卑屈を描くのがうまいし、その卑近な負の感情が底流となって、無視できない物語の厚みを生んでいると思う。引用は、あとの相槌を打つのが「私」です。
「(略)彼のうちなる美の鬼は、冷酷無比だった。世の中には、真理を求める激しさのあまり、目的を達することが、かえって彼らの拠(よ)って立つ世界を、その根底から覆してしまう結果になる、そういった人間がいるものだ。ストリックランドがそれだった。ただ彼の場合は、美が真理に代っていただけのことだ。私は彼に対して、ただ深い憐みを感じるだけだ」
「なるほど、これもまたおもしろい話ですねえ。(略)」(p388)