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【感想】数値や順位を追わない教育

もうひとつの教育
村井 実  (1984年)


結局のところ著者が一番言いたいこと
を大胆に推測する

普段とは違う土地に来て違う景色を見ていると、いつも見ていたものが違って見える。
海外から日本の教育を考えた時、明治以降のそれがとても窮屈で型にはまったものだったことに気づく。国家(お上)の都合を優先させてきた教育から、教育を受ける子ども自身をもっと尊重する教育へ――「人はみな善くなろうとしている」という信頼に基づく教育へ、変えていきたい。



この本を読んで、
想起し発想し、
感想して思い出す


  
この本の出版は1984年。今から40年前だ。

驚くべきは、村井実の指摘している日本の教育の問題点が――画一性、受験偏重、「上から下へ」降ろす感覚など――ほとんど現在でも問題のまま残っている点。
そして、「失われた30年」を経た今でこそ日本の教育を腐すのは簡単かもしれないが、バブル絶頂期にそれを的確に指摘していた点。さすが村井。

これよりずっと前に村井が書いた『教育学入門』という本では、より広範で詳細に日本の教育の問題点とその行く末を論じているが、これに至ってはほとんど「予言」と言っていいくらい、数十年後でも通じる内容だ。村井実の教育に関する洞察は鋭い。


そんな村井でも全部が全部完璧というわけでもなし。ましてやそこに人の好みなど入ってきたら評価の仕方は様々となる。
ということで、この『もうひとつの教育』の中で個人的に飲み込みづらい箇所があったとすれば、それは村井がアメリカを少し理想視しすぎているところだ。

しかし、きっとここには村井の個人的な感情をあえて入れているのだと思う。
この本は、いかにも学術書という風ではなく、「村井が気にかけている架空の後輩教育者への私信」というテイで書かれている。そのため、きっと村井自身も知悉しているだろうドイツやアメリカの課題や暗い部分については多くを語らず、それこそ後輩に対して「もうひとつの世界」に目を向けて欲しい、という思いで海外の素晴らしさを描いたのだと思う。


本の中で紹介されているエピソードの一つ。
当時、しばしば海外から日本の教育の優位性を指摘されることがあった――驚異的な経済成長を成し遂げた日本の教育を褒められたということだ。それに対して村井が釈然としない思いをする。村井からすると、日本の教育は受験を通して子どもを型にはめることに成功しているだけに見える。一方、アメリカの教育は、もっと自由と民主主義を尊重し、個人の可能性の開花に重点が置かれていると村井は感じている。


さて、40年経ってこの二国はどうなったか?
ある種の答え合わせだ。


日本はというと、昭和の終わりとともにバブルが弾け、それ以後 経済競争力は低下する一方だ。
ということは、やはりアメリカの教育の方が上だったということだろうか?

いや待て、40年前に村井が称賛していたのは民主主義的な価値観だった。しかしその本場アメリカの民主主義はいまどうなっている?2016年以降、アメリカを民主主義の理想と見る人は少ないだろう。


結局何が言いたいかと言うと、一国の教育の良し悪しを評価するのはとても難しいということだ。特に、数値や順位(あの国より上とか下とか)を規準に教育を考えるのは、多分だけど良い結果にはならない。

しかし、数値や順位を追わない、気にしない教育って、一体なんだ?

GDP(国内総生産)もGNH(国民総幸福量)も民主主義指数も目標にしない教育なんてあるのだろうか?
もしそんな「もうひとつの教育」があるなら、僕は見てみたい。

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