「つらい」と言いたかっただけなのに
友達とケンカした話を昨日聞いたら、「それはイジメでは」と思う内容だったので、早めに先生に相談することにした。
朝、もう一度長男と話をしたら、昨日の内容と変わっている。
それはイジメじゃなくてケンカだ。
「バーカ」って言ったんだ。
と長男が言うので、
なんにせよ、それは言ってはいけない。
それは悪口だ。
それは相手を下に見てるってことだろ!?
と言ったら、
「うん」
と言った長男。
「だって考え方がアホなんだもん。」
なんかがっかりして、涙が出てきた。
人を上とか下とか、そんな風に見る人間に育ってしまったのか。
と、道徳的な正しい私は思ったけれど、一方でささやくもう1人の私。
「いや、みんなそうじゃない?人と比べて、自分は上だとか下だとか、そうやって生きてるよね。
この子の言ってるこれは、多分本能的なもので、別に間違ってない。
多かれ少なかれ、みんな思ってる。
ただ表面に出してないだけよね。
別によくない?思ってても。
いや、でも親としてそれはまずいか…」
説教しながらわからなくなる私。
模範的道徳的なことを教えるべきなのかどうなのか。
正しいことが正解なのか。
いやいやいやいや待て待て待て。
今はそうじゃなくて、
息子はただ、
「辛い」
ってことを言いたいだけなんだ。
「3対1になっちゃって辛かったね。」
と言ったら、急に声を上げて泣き出した。
「辛かった」って言いたかっただけなのに、話の端々を捉えて「正しさ」をふりかざして説教したバカな私。
ほんと、バカ。
と思ったら泣けてきて、2人で泣いた。
そんなことやってたから、長男も次男も遅刻。
でもいいや、なんか私が大事なことに気付けたから。
「正しい親」「良い親」の鎧を着るのは簡単だ。
でもそれってベクトルが「世間」なのね。
世間的には褒められる親でも、学校から褒められる親でも、子どもの味方でいられなかったら意味ないんだよな。
例え子どもが間違っていても、気持ちに寄り添って、「ママは味方だよ」って言える方がいい。
そう思ったから、泣いてる息子を抱っこしながら、そう言った。
お互い「バーカ」とか言ってるんだから、それは程度の低いケンカなんだけど、3対1というのが気に入らない。
それは、こちらがイジメですと言ったらイジメですよね。
ということを、私ははっきり学校に言った。
未来ある子どもたちに制裁を望んでいるわけではないけれど、君たちの言動によって傷ついている人がいるということは深く心に刻んでもらいたい。
息子に投げかけられる言葉に、私も傷付くんです、ということも先生には伝えた。
こんな子たちと関わらなければいいのに。
だけど、息子がその子たちと関わりを持ちたいと思うなら、見守るしかできない。
違うお友達作ったら、と言っても、小学校2年生の行動範囲なんて本当に狭くて、自分で視野を広げて選べるほどのスキルも自由もない。
どこかに家以外の居場所、サードプレイスを作ってあげたい、と思うけれど、気持ちもまだ外に向いてない気がする。
それならそれで、家でのんびりすればいいか。
そんなことを思いながら、
「今日は(放課後は)家でのんびりしたら」
と言ったら、
「(学校に行かずに)家でのんびりしたら」
と受け取ったらしい息子は
「嫌だ」
と言った。
「学校には行きたい。」
と。
え?あ、そうなの?
学校行きたいんだ?
息子の中で何かが変わってきているのか、たまたま今日はそういう気分だったのか。
おしまい。