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どう意味づけていいのか今はわからない時間

ルリ子の、中学受験は終わりました。
結果は模試の実力相応校に合格し、やってきた勉強の結果は得られたのだと思います。

やはり、こうなるには
そうせねばならなかったのか?

わからないです。

どうしたら合格するのか?
わからなかったから、勉強した。
それだけ。

でも、時間はそれだけに使っていた。
他の子よりは塾拘束は短い6年生だったけれど、気持ちはいつも受験生で、解き放たれるなんてことはなかった。

私は、入学金を支払った途端、中学受験への熱が冷め、とても現実味のある生活に戻りました。

今思えば、なぜ親がそんなに注力できたのか?
思い入れもそれほどなかったはずですが、全オチは絶対に避けたかった。

受験する前は、当日は健康だろうか?
合格できるのか?
合格したらどうなる?
お金の準備は?

色々と想像ができないほど、ただただ眼の前の勉強に力を入れ、不合格を恐れていた行動をとっていたと思います。

幸い手痛い不合格は喰らいませんでしたが、
合格しても、あぁそうなのね、とさっぱりとした気持ちで淡々と過ごすものだなと感じています。

嬉しくて浮かれた、ってことはなかったです。

3年間もこの合格のために、どえらく頑張り気を配り、親子で体当たりしてきたなぁ、と私の気持ちは、とても冷めています。

結果に不満もなく、入学を楽しみにしているルリ子を見ていると、頑張ってよかったね、ともちろん思いますが、次に向けて

準備勉強しなさいとか口を出す気にもならず。
当たり前の日常を生きていく、尋常でない中学受験生活から抜け出せたと思いました。

子供が下にいたなら、もっとドライ、クールに取り組める、というか
熱くならないと思います。

中学受験はきっと通過点にしか過ぎず、ルリ子がこれからの学校生活を満足してすごす時間になるなら、苦労したことも良かったと思えるのでしょう。

もう、親としての関わり方を変えていくとき、だと感じています。ルリ子が、依存しても、距離を作り、離していく、ということです。

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