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【人物月旦 #09】😁牛乳宅配業の友人のはなし

はじめに
このエッセイでは、登場人物のプライバシーを守るため仮名を使用しています。物語や感情は真実に基づいていますが、名前にとらわれず、本質や物語そのものを楽しんでいただけることを願っています。

👇本編要約

中学生時代、筆者は冷静で合理的な友人に影響を受けます。彼は幼い頃、父親から人間の弱さや現実を見せられ、それを洞察力や合理的な思考に昇華させていました。ビンゴゲームでの計画的な賭け方や高校中退後の明確な目標を伴った行動には、一貫した戦略性が表れています。さらに、健康ランドで父親との思い出を語る姿からは、人間的な温かさも垣間見えます。合理性と人間味を併せ持つ太田くんは、筆者にとって「追いつけない」存在であり、人生の哲学を教えてくれた特別な友人です。

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今日の人物月旦第9回目は、私の少なからず影響を与えた中学生時代の友人についてお話しします。彼は同級生の中でもひときわ落ち着きと冷静さを備えた人物で、その合理的な思考や行動は、当時の私にとって非常に印象的でした。
友人との交流を通じて、私はただ感覚や勢いに任せて過ごしていた自分の生活に気づき、物事を深く考えることの大切さを学びました。彼は幼い頃の経験を糧に、人間の本質を見つめながらも、ぶれることなく自分の道を切り開いていったのです。
今回は、彼とのエピソードを通して、彼が教えてくれた「合理」という名の哲学について振り返ってみたいと思います。それでは本編をどうぞ。



「合理」という名の哲学を教えてくれた友人

中学生の頃、私には一人の尊敬すべき友人がいました。その名は太田くん。同じ学年の同級生でしたが、彼はどこか大人びた雰囲気を持っていて、落ち着きや冷静さが他の友人たちとは一線を画していました。教室で騒ぐ同級生たちをよそに、彼はいつも少し距離を置いて物事を見つめているようなところがありました。その態度は自然体で、無理に背伸びをしているわけではありません。そんな太田くんには、どこか惹きつけられるものがありました。

太田くんの家庭環境が、色濃く彼の性格に影響を与えていたのだと思います。彼の育った環境はお父さんは県庁職員で、お母さんは後に校長先生を務めるほどのしっかりした教育者。彼の家は、周囲から見れば堅実で真面目な家庭という印象を受けました。しかし、私たちが親しくなってしばらくして、彼のお父さんは胃がんで亡くなっていました。その悲しみは、幼い頃の彼にとって大きなものであったはずです。

それでも太田くんは、その経験をどこか内に抱えながら、冷静でしっかりした人間になっていました。感情的に揺れることが少なく、何事にも落ち着いて対応する姿は、同年代としてはとても頼もしく映りました。私はそんな彼の様子を見ながら、「なんでこんなに落ち着いているんだろう」と不思議に思っていました。

その理由の一つは、幼い頃に父親から受けた影響にあるのではないかと思います。太田くんの父親は、少し変わった哲学があったように見受けます。競馬や競輪といった公営ギャンブルを趣味としていました。一見すると「お金にだらしない人?」と思われそうですが、実際にはその真逆で、様々なデータを記録にとり分析し、戦略を練って遊ぶスタイルだったようです。

幼い頃、太田くんは父親に連れられて、そういった場所に足を運ぶことがよくあったそうです。ある日、彼がこんなびっくりするようなエピソードを話してくれました。

「競馬場ってさ、お金のない大人がたくさんいる場所なんだよ。勝っただの負けただの、叫んでる人がいるし、馬券をその場で捨てるし、足元は紙くずだらけ。子供が行くところじゃないよな。でも、一番驚いたのは立ち食いそば屋でさ、食べ終わったどんぶりが雑然と置かれてたんだよ。まだ汁とか具が少し残ってたんだけど、そこに男が走ってきて、そのどんぶりを手に取ると、一気に飲み干して走り去ったんだ。」

その話を聞いた時、私は驚きました。そんな場面を想像もしなかったからです。「すごい光景だな」と半ば冗談っぽく言うと、太田くんは少し真剣な顔で続けました。

「あの時、すごくびっくりしたけど、人間ってものを考えさせられたよ。」と中学生とは到底思えない達観したセリフ。

彼の父親は、そういう「普通の生活では見えない世界」をあえて彼に見せることで、何かを感じ取り、学んでもらおうとしていたのかもしれません。純粋な子供にとって、それは決して良い影響を与えるとは限りませんが、少なくとも太田くんの場合、それが冷静さや洞察力の育成に一役買ったのではないかと思います。

実際、彼はそういった経験を通じて、人の弱さや現実の厳しさを知り、それを受け止めた上で自分の考え方を形成していったように見えました。私には、そんな彼がとても頼もしく映りましたし、自分がまるで子供じみているように思えることもありました。彼と話すときはいつも、その洞察力に驚かされ、同時に少し羨ましいとも感じていたのです。

太田くんの中には、父親譲りの「合理的な思考」と「現実を見据える目」が確かに息づいている。それが、彼の冷静さや判断力の根底にあるのだと、私は確信していました。


ゲームセンターでの出来事

中学生のある日、太田くんと一緒にゲームセンターに行ったときのことをよく覚えています。私たちはコインゲームコーナーに並ぶビンゴ形式のゲームをしていました。テーブル状の盤面に数字や赤黒の色分けされたマスが描かれていて、それぞれにコインを賭けることで当たりを狙う仕組みです。番号が揃ったり、赤か黒を的中させることでコインが増えるという単純なルールでしたが、それだけに熱中しやすいゲームでした。

私の遊び方は単純そのもの。自分の直感に頼り、適当に数字や色を選んで賭けていました。負けが続くと「次こそは」と熱くなり、さらには「ここで一気に取り戻そう」と考えて大きな額を賭ける、まさにギャンブルでやってはいけない典型的な行動を繰り返していました。気がつけば手持ちのコインはどんどん減っていき、焦る気持ちがさらに無計画な賭けを誘う、負のループに陥っていました。

一方、太田くんの姿は全く対照的でした。彼は慌てることもなく、まず赤か黒のどちらかに1枚ずつ賭けていました。そして負けた場合は賭け金を倍にする。1枚で負けたら次は2枚、さらに負けたら4枚、8枚と倍々に増やしていきます。そして勝ったらまた最初の1枚に戻す。これを淡々と繰り返していました。

私はそれを横目で見ながら「なんでそんな地道な賭け方をするんだろう」と不思議に思っていました。自分のように大胆に賭けるほうがゲームとしては楽しいんじゃないか、そんな風にすら感じていました。

しかし、小一時間も経った頃、結果は明白でした。私のコインはすっかりなくなり、完全に手詰まりになっていました。一方で、太田くんのコインは当初の倍以上に増えていたのです。呆然とした私が「どうしてそんなに増えたの?」と聞くと、彼は淡々とした口調でこう答えました。

「リスクを管理すれば、負けにくくなるんだよ。」

その言葉に私はハッとしました。ただ遊んでいるだけだと思っていた太田くんは、この単純なゲームの中でも確固たる戦略と冷静な判断を貫いていたのです。それは単に「賭け方を工夫している」以上のものでした。コインの増減に一喜一憂せず、一定のルールを守りながら確実に結果を積み上げるその姿勢は、幼い頃から培われた洞察力と合理的思考の賜物だったのでしょう。

当時の私は、コインゲームでさえ計画的に進める太田くんの姿に少し呆れつつも、内心では感心していました。自分の無計画さや衝動的な行動と比べ、彼の冷静さと規律正しいやり方に、大人と子どもの違いを見るような気がしたのです。

ゲームセンターを出るとき、私は悔しさ半分、尊敬半分でこう言いました。
「こんなとこでもちゃんと考えてやるんだな。」
太田くんは少し笑いながら、「まあ、負けるの嫌だしね。」とだけ言いました。その一言に、無駄のない合理性と、どこか達観した太田くんらしさが表れているように感じました。


高校生活と驚きの決断

太田くんは高校に進学してからも、その合理的な思考と独自の行動を貫いていました。勉強も優秀で、成績は常に上位。教師からの信頼も厚く、周囲からは「真面目でできる生徒」と見られていました。それだけに、彼が高校1年の終わり頃から近所のスーパーでアルバイトを始めたとき、私たち友人も驚きを隠せませんでした。

「別にお金に困ってるわけじゃないんだろ?なんでバイトなんて?」
私がそう尋ねると、太田くんは肩をすくめて「まあ、ちょっとやりたいことがあるだけ」とだけ答えました。それ以上詳しく語ろうとしない彼の様子に、私たちは首をかしげるしかありませんでした。彼の家庭環境を知っていた私たちには、生活費のために働く必要があるとは到底思えなかったのです。

太田くんは学校生活とアルバイトを両立させながらも、変わらず淡々としていました。勉強も怠ることなく、相変わらず冷静で合理的な姿勢を保っていたのです。周囲から「なんでバイトなんかするんだ?」と不思議がられても、彼は特に気にする様子もなく、どこ吹く風といった感じでした。

しかし、その選択が彼の次の大きな決断への伏線だったことを、当時の私たちは知る由もありませんでした。

高校2年生に進級してしばらく経った頃、太田くんが突然高校を辞めると聞かされたとき、私たち友人は衝撃を受けました。「どうして?」と聞いても、彼は明確な理由を語ろうとせず、「自分なりに考えがあるから」とだけ言いました。その言葉は彼らしいとも言えましたが、周囲には理解しがたいものでした。

私たちは心配になり、「もったいない」「将来どうするんだよ?」と口々に問いただしました。しかし、彼はそれ以上の説明をすることもなく、少しだけ笑って「大丈夫だって」と軽く流しました。その態度は、私たちには無計画に見える一方で、彼の中にはしっかりとした考えがあるようにも見えました。

高校を辞めた後、太田くんはそのままスーパーでの仕事を続ける道を選びました。親や先生たちからの説得もあったと聞きますが、彼は揺らぐことなく自分の選択を貫きました。その姿勢にはどこか冷静さと自信が感じられ、私には「何か目的があるのだろう」と思わせるものがありました。

彼の決断は当時の私たちには理解しがたいものでしたが、後に彼がその選択をどのように活かしていくのかを見ることで、彼の合理的な生き方の一端を知ることになります。高校を辞めた理由を語らなかった彼の胸の内には、何かしらの計画や展望があったのだろう。今ではそう確信しています。


牛乳宅配業での成功

高校を辞めてから約3年後、太田くんは独立して牛乳販売店、いわゆる宅配業者を立ち上げました。その知らせを聞いたとき、私は正直驚きました。「スーパーでアルバイトをしている」と聞いていた彼が、いきなり独立するとは思ってもいなかったからです。しかし、彼のことですから、きっと何かしっかりした計画があってのことだろうと感じました。

太田くんの牛乳宅配業は、過疎化が進み、買い物が困難な高齢者が多く住む地域をターゲットにしたものでした。週に数回、牛乳や食料品を直接家庭に届けるサービスを提供するというモデルです。最初に聞いたときは、「牛乳配達なんて今さら需要があるのか?」と思いましたが、話を聞くうちに彼の考えがよくわかりました。

「スーパーに行けない人たちがいるんだよ。特に高齢者ね。買い物が難しいからって生活を諦めるわけにはいかないだろ?」
彼の言葉には、単なる商売を超えた地域に根ざした使命感のようなものが感じられました。

当然、最初は苦労も多かったようです。配送ルートの確立、利用者の開拓、地域の高齢者たちとの信頼関係づくり。どれも簡単ではありません。しかし、太田くんの戦略は見事に的中しました。最初のうちは少なかった利用者も、口コミで次第に増えていき、配達する商品も牛乳だけにとどまらず、買い物代行や日用品の配送といったサービスにも広がっていきました。

私もある日、1日だけ彼の仕事を手伝ったことがあります。そのとき感じたのは、太田くんが単に商品を配達しているわけではないということでした。彼は利用者一人ひとりと丁寧に話し、雑談を交えながら体調や生活の様子に気を配り、時にはちょっとした困りごとにも対応していました。

「牛乳1本配達しても利益は少ないんじゃないの?」と私が尋ねると、彼は笑いながらこう答えました。
「確かに1本じゃ大した利益は出ないけど、量より質だよ。このサービスを必要としてる人たちがいる。それに、信頼を積み重ねれば自然と売り上げもついてくる。」

その言葉に、私は彼のビジネスの核心を見た気がしました。単なる売上至上主義ではなく、地域のニーズに応えながら人との信頼関係を築くことに重点を置いているのです。彼の目指しているものが、ただの商売ではなく、人々の生活を支えることだというのがはっきりと伝わってきました。

そして驚くべきことに、彼の牛乳宅配業は年商1億円を超える規模に成長していました。小さな店舗が2店舗しかないにもかかわらず、そこから地域に根ざしたネットワークを築き上げたのです。その成功の背景には、彼の合理的な思考だけでなく、人と人とのつながりを大切にする姿勢があったのだと思います。

太田くんが築き上げた牛乳宅配業は、単なるビジネスモデルではなく、地域社会に根差した「生活の基盤」を提供するものだったのです。その姿は、かつての冷静で合理的な太田くんそのものの表れでもありました。


太田くんの戦略とビジョン

太田くんの戦略とビジョン

振り返ると、太田くんが高校を辞めた後の時間は、単なる労働の期間ではありませんでした。彼は、ただお金を稼ぐために働いていたわけではなく、その時間を次のステップへの準備に使っていたのだと思います。スーパーでのアルバイトも、生活費や趣味のためだけではなく、もっと先を見据えた目的があったのでしょう。

彼は働きながら、商品の仕入れや陳列、顧客の買い物パターンなど、現場で起きる様々な出来事を観察していました。また、取引先や常連客との会話を通じて、地域経済や人間関係についての理解を深めていったのだと思います。彼にとって、その時間は単なる「アルバイト」ではなく、観察と学びを通じて未来を準備する期間だったのです。

ある日、彼がこんなことを話してくれました。
「スーパーって、物を売ってるだけじゃなくて、地域の人たちの生活の一部になってるんだよ。誰が何を買うのか、どんな時間帯に来るのかを見てると、自然とその人の生活が見えてくる。」
その言葉を聞いたとき、彼が仕事をこなすだけではなく、次に繋がる何かを掴もうとしているのだと感じました。

もしかすると、太田くんは高校を辞めた時点で、すでに現在の牛乳宅配業のようなビジネスモデルをぼんやりと描いていたのかもしれません。それが具体的な形にはなっていなかったとしても、彼の中には「将来的に独立して何かを成し遂げる」という意志があったのでしょう。

高校を辞めた理由について、彼に尋ねたことがあります。最初は「自分なりに考えた結果」とだけ答えていましたが、あるとき少し突っ込んで聞いてみると、彼は笑いながらこう言いました。

「自分の時間を自分のために使いたかったんだ。」

この言葉には、彼の考え方がよく表れていました。高校生活を否定するわけではなく、彼にとってその時間を使うべき場所が別にあったということでしょう。世間一般の価値観に縛られず、自分の必要なものを冷静に見極めた結果、彼はその選択をしたのだと思います。

振り返れば、彼のその判断力と行動力こそが、現在の成功を支える大きな要素だったのだと感じます。太田くんは、常に自分の道を自分の力で切り開いてきました。その強さを、私は今でも心から尊敬しています。


健康ランドと父親の思い出

太田くんの牛乳宅配業が順調に成長していた頃のことです。ある日、彼が突然「面白いところに連れて行くよ。今日は俺のおごりだ」と誘ってきました。合理的な考え方と実行力が印象的な彼が、どんな場所を「面白い」と思うのか。私は興味を持ちつつも少し不安を抱きながら、彼の車に乗り込みました。

到着したのは「健康ランド」でした。今では珍しくなくなった24時間営業の大型温泉施設ですが、当時としてはとても斬新な場所でした。館内には温泉やサウナだけでなく、映画を観られるスペース、ゲームセンター、そして焼肉店や軽食が楽しめる飲食エリアまで揃っていました。リラックスできる館内着に着替えれば、施設全体を自由に利用できる快適な空間が広がっていました。

中に入った瞬間、その広々とした雰囲気と、非日常感に包まれた空間に私は圧倒されました。館内を一通り回った後、太田くんと一緒に温泉に浸かり、サウナで汗を流し、焼肉を食べ、映画を観て、最後はゲームセンターで遊びながら、日がな一日を楽しく過ごしました。何も考えずにリラックスできるこの贅沢な体験に、私はすっかり魅了されていました。

焼肉を食べ終えた頃、太田くんがふと「ここにはおやじによく連れてきてもらったんだ」と話し始めました。彼の父親は、公営ギャンブルで勝ったとき、決まってこの健康ランドに太田くんを連れてきてくれたそうです。勝利の「ご褒美」として、息子と楽しい時間を過ごすことが何よりの楽しみだったのだと。

「おやじが勝つとさ、必ずここで焼肉を食べさせてくれたんだ。それで映画観て、ゲームやって……楽しかったな。」
太田くんのその言葉に、私は彼と父親が共有していた大切な時間の温かさを感じました。彼の懐かしそうな笑みは、その思い出の中にある父親の姿を今でも鮮明に覚えていることを物語っていました。

「今日はなんでここに連れてきてくれたの?」と私が尋ねると、太田くんは少し照れたような表情でこう答えました。
「仕事がようやく軌道に乗り始めてさ、なんとなくあの頃のおやじみたいな気分になったんだよ。勝ったらここで楽しく過ごすっていうの、ちょっと真似してみたかったんだ。」

その言葉に、彼の父親への深い愛情と尊敬がにじみ出ているのを感じました。同時に、自分が父親にしてもらったことを、今度は友人である私に再現しようとしていることに気づき、すこし胸が熱くなりました。

その後も私たちは健康ランドでゆっくりと過ごし、館内の隅々まで満喫しました。帰り道、太田くんは「こういう贅沢はたまにやるからこそいいんだよな」と笑いながら言いました。

この一日は、私にとって太田くんの新たな一面を知る機会となりました。合理的な思考や戦略性だけでなく、家族との絆を深く心に刻み、それを大切にしている彼の姿は、私にとって感動的でした。健康ランドで過ごした時間は、彼の父親との絆を垣間見た特別な瞬間であり、今でも忘れられない大切な思い出です。


今も追いつけない、尊敬する存在

太田くんは幼い頃から培った洞察力と合理的な思考で、周囲とは一線を画す独自の道を切り拓いていきました。その姿勢は、中学生時代から現在に至るまで変わることなく、私にとってずっと尊敬の対象であり続けています。彼の行動の一つ一つには明確な目的があり、決して衝動的ではありません。物事を冷静に見つめ、分析し、最善の選択をするその能力は、私にとっては憧れそのものでした。

一方で、私自身は感情に流されやすく、物事を冷静に判断するのが苦手です。どちらかと言えば、感覚や直感に頼り、計画性よりもその場の勢いで物事を進めてしまう性格です。そんな私にとって、太田くんの生き方はいつも「こうなりたい」と思わせる目標のような存在でした。

太田くんが教えてくれたのは、単に「成功するための方法」ではありません。それはもっと根本的な、人生をどう考え、どう行動するかという哲学そのものだったように思います。彼の生き方の中心には「洞察すること」と「合理的に行動すること」があります。これらは、彼が子どもの頃から父親の影響を受けて培ってきたものであり、彼自身の経験によってさらに洗練されていったのでしょう。

たとえば、ゲームセンターでの出来事一つとってもそうです。私は感覚に頼り、熱くなって手持ちのコインを全て失いましたが、彼は冷静にリスクを管理し、確実に増やしていきました。その頃から、彼の判断力と冷静さには驚かされていました。

また、健康ランドでのエピソードでは、合理的な思考の裏にある人間的な温かさや家族との絆の深さを知りました。父親との思い出を再現するように私を誘ってくれたその気持ちは、合理性とは別の、人としての魅力を感じさせるものでした。そうした「合理的でありながら、人間味を失わない」という太田くんの生き方は、私には決して真似できないものに思えました。

太田くんは、物事の本質を見極める力を持ちながら、それを自分の行動にしっかりと落とし込むことができる人です。それは単に仕事の成功だけでなく、彼自身の生き方そのものを確立している要因でもあります。彼の合理性は、冷たさや計算高さではなく、「どうすれば自分が納得できるか」を追求した結果であり、その姿勢は今も私にとって刺激的な学びとなっています。

私が今でも情緒的で感覚的な部分を持ち続けているのは、彼のような合理性を自分の中に取り入れきれていないからかもしれません。それでも、太田くんとの思い出や彼の生き方に触れたことで、私自身も少しは成長している実感があります。彼のようにはなれなくても、彼が教えてくれた哲学を少しでも取り入れ、私なりの人生を切り拓いていきたいと思っています。

太田くんは、私にとって「追いつけない」存在であり続けるでしょう。しかし、彼から学んだことを胸に、私はこれからも彼の背中を追い続けたいと思います。それは、単なる尊敬ではなく、私自身の生き方を見つけるためのヒントでもあるのです。

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