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自己決定と幸福度

2023年にnoteを開設したものの、"ちゃんとやりたい願望"が邪魔をして、ずっと更新できませんでした。

ですので、2024年からは、もっと自由にやっていきます。
書き方もInstagramと同じく、思いのままの口調で。


回復の過程での引き戻し

私は精神障害2級の双極性障害で、ADHDもある障害当事者なんだけど、当事者なりの努力で、自分の症状をなんとかしようと必死でやってきた。

そしてやっと私は、治療とか自助努力でもって、楽しい、嬉しい、やりたいと思うことを、自分で自己決定して、許可できるようになった。

長い間、いちばん身近で支えてくれている夫には常に感謝を伝えている。

そんななかで、私は、夫もいまの私のように自己決定しながら自由に生きたら
もっと幸せなんじゃないかと、思うようになった。

でも、

「みほは変わったね、それがわかるよ、嬉しいよ。でも現実を見てよ。俺にもやりたいことをやりなと言われても、できないでしょ?」

と言われる。

そう言われることもあれば、常にそれを思われてるのを私は感じるから

『夫の自己犠牲の上になりたつ私の人生』

という図式を突きつけられて 
夫への大きな感謝は、大きな罪悪感を伴う感謝に変わってしまう。

そして、やっと抜け出せたはずの、長く囚われてきた自己否定の闇の世界に、私は容易にまた、引き戻されてしまうのだ。
もちろん、極端な症状がぶり返す。

鬱思考と責任転嫁という負のスパイラル

私はずっと、自分の環境が病気を悪化させると考えていて(医学的にはある意味それは正しいのだけれども)
夫と結婚したことによって生じた環境の不安定さが、私の鬱を悪化させると感じてきた。

私の激鬱は、経済的不安による将来への大きな予期不安で、それは、これまでの自分の行動のすべて、選択の全てを失敗してきたからだ、自分が悪い、とする強い自己否定に至る。

この自己責任論は間違ってはいないのだけど、それが強い自己否定に至り、未来が恐怖でしかなく、死ぬしか無いと考えてしまうのは、まさしく鬱思考の特徴だろう。

小さな不安の種は、誰にでもある。
その不安の感じ方が、鬱思考になると極端に肥大化するため、一般的に誰もが抱く将来への不安が、人よりも大きくなり、のしかかる。

夫の沽券に関わるので、私の経済的な不安を
わかりやすい例えでちゃんと説明させていただくと

目の前に1万円札があるとしたら、その価値が私には一円だと感じる、というような、極端なネガティブ思考。

私が鬱になると、そのくらい、不安のフィルターが現実をネガティブに歪ませて、感じさせるのだ。

こんなわけだから、とにかく私は、自分のなかでの経済的な不安を払拭しようと、ずっと、必死で行動してきた。

日本に帰国するたびに、パートや派遣の仕事を探して、新しい環境に身を置いて、緊張しながら、いつも踏ん張っていた。
でも、本当はとても辛かった。
私はこんな人生を送るために、いままで頑張ってきた訳じゃ無いのに、と。

環境や人間関係の変化は、双極性障害の症状を悪化させる要因になるため、本来であれば、控えたいところだったが、背に腹は変えられない。

私は、夫にも同じく、自分から積極的に仕事を取りに行くことを求めていたし
もっともっと自分の可能性を自分で掴みに行って欲しいと
私は思えばここ10年程感じてきた。

でもそれは、私の偏った考えだった。

私の中にあった自分自身への課題を、夫のなかに視ていただけなのかもしれなかった。

他人も物事も、私は変えられない。
変えられるのは、自分の見方だけ。

「みほは変わったね、それがわかるよ、嬉しいよ。でも現実を見てよ。俺にもやりたいことをやりなと言われても、できないでしょ?」

そう私に言う夫も、夫自身の課題を私の中に視ているということだ。


価値観という偏り


こんなことを言うのは冷たいのかもしれないけれど
私はこう思う。

私のせいで自由になれないなら、離婚すればいい。

もちろん、私への愛情はあって
だからこそ夫は

「自分の不安定な人生が、みほの病気を悪化させていると感じ
不甲斐なさを突きつけられて、つらい。
だから、離れた方がみほのためなのでは無いかと思う。」と言うこともあったし

かたや、夫の価値観による、彼の責任感とか家族愛で、
"病気・障害者の私と離婚することは悪いこと"
という罪悪感もあるようだ。

見捨てたことになって
世間体を気にしたり自己嫌悪になったりするから
離婚しない。

そういう価値観も確かに持っている夫。
当然であろうと思う。

だからこそ。
だからこそ、である。

夫は、いまの彼の価値観でもって
私と離婚せず一緒にいることを "自分で" 決めているのだから

夫が自分の人生がくすぶっていることを
私のせいだと思っているなら、それは
病気が悪化し人生がうまくいかないのを
夫に責任転嫁していた頃の私と同じだ。

今の私は、そうじゃない。
というか、そうならないように、ひたすら自分と向き合っている。

自己責任で生きるとは自己決定して生きること

夫には夫の、私には私の人生があり
私が私の人生を自分で決めて生きるんだと思考を切り替えて
行動を変えてから、私の症状は緩和し、私の人生は豊かで幸せで
生きていたい、と感じられるようになった。

私の夫は、私には、とても温かくて優しくて、思慮深くて、素晴らしい人だ。
でも、沢山の我慢や不満を抱えて、長い間それを私に感じさせないように、隠してきた。

彼の強い責任感や、私への愛情が、そうさせたのだと思う。
そしてそんな夫はいま、原因のわからない身体症状が出るようになった。


実は私は、夫と自分を切り離した自分の世界を持つことができて
その世界があることで、私は私なんだと、自分で自分の幸せを感じられる。

一方で、夫と夫婦でいたからこそ、いまの自分になれたし
そこから生まれるしあわせも、沢山感じている。

それは、私が、何事にも、自分に対してしっかりそうする理由を落とし込んで、自己決定して生きるようになってきたからだ。

もしも、私と夫婦でいることで夫が私に縛られているとして、この先、夫が今よりももっと、自己決定する力を身につけたら
私と離婚すると決めるかもしれない。

けれど、私との夫婦関係を解消することが、彼の幸せなのであれば
いまの私はその考えを尊重する。

もちろん、夫婦を解消したいわけではない。

私達なりに、15年、積み上げて築いてきたものがあると感じるし、それがなければ、いまの私はないから。
それは夫も同じだろうと思う。

夫婦、友達、戦友、家族。

そういう愛を、夫には感じていて、尊敬し、いつも感謝し、愛を感じている。
彼が幸せであることが、私の幸せでもある。

できれば離婚という形でなく、夫の心身が壊れる前に
私にとらわれない生き方に転換して、自由に軽やかに生きて欲しい。

そのためには私が、自分自身をしっかりと生きることが、必要。

家族ひとりひとりが、自己決定力を持ち、自律/自立することが、総じて家族の幸せとなるんだ。

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