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【名言と本の紹介と】『ミステリーの書き方』

タイトルは作品の象徴です。そして、作品の内容や、作品の運命までも決定してしまいます。さあ、思い浮かべてみてください。あなたの大切な作品の顔です。そのタイトルはあなたの作品を象徴していますか? そのタイトルに、作品の全てを託せる強さがあるでしょうか? そして、あなた自身がそのタイトルに魅力を感じるでしょうか? これらの条件を満たしているのであれば、それはきっとよいタイトルなのです。

恩田陸「タイトルの付け方」 日本推理作家協会編著『ミステリーの書き方』(幻冬舎、2010年)545-546頁


 いわゆる書き方本は数多く出版されている。中には芥川賞作家といったビッグタイトルの持ち主もいるが、正直「この小説がすごい! この人の文章読本が読みたい!」という方はほんの一部だ。
 最近、貪るようにミステリー映画、ドラマ、小説を読んでいることもあり、心惹かれたのが本書である。



 本書は、幻冬舎の月刊PR誌「ポンツーン」に掲載されたものをまとめている。対談形式のものもあれば、エッセイやフィクションのような形式を取っているものもある。書かれ方も濃度もそれぞれなのだが、全体的に赤裸々である。自著を例にどのようにして書いたのか、どのようなことを気をつけているのかを惜しげもなく語っているのだ。いや、むしろ私がピイピイ叫ぶより、掲載されている作家名を紹介した方が伝わるだろう。


赤川次郎・東直己・阿刀田高・我孫子武丸・綾辻行人・有栖川有栖・五十嵐貴久・伊坂幸太郎・石田衣良・岩井志麻子・逢坂剛・大沢在昌・乙一・折原一・恩田陸・垣根涼介・香能諒一・神崎京介・貴志祐介・北方健三・北村薫・北森鴻・黒川博行・小池真理子・今野敏・柴田よしき・朱川湊人・真保裕一・柄刀一・天童荒太・二階堂黎人・楡周平・野沢尚・法月綸太郎・馳星周・花村萬月・東野圭吾・福井晴敏・船戸与一・宮部みゆき・森村誠一・山田正紀・横山秀夫


 錚々たるメンバーである。一人ずつ手打ちしてみたが、予想変換に出てくるレベルの方々である。すげえなおい。

 このうち個人で書き方本を出版されている方は、私が知っているのは一名である。他の方もあるのかもしれないが、出されていないのではないかと想像している。どちらかというと文芸の方が出されていて、ミステリー作家は取材には答えるがわざわざ本は書かない(というかメインの活動が忙しすぎる)のではないかという印象だ。


 さて、ミステリー漬けの日々を過ごしミステリー書きたい欲がポップコーンのように弾け飛んでいる中、ミステリーといえばプロット・箱書きの作り方を知らねば、と意気込んで本書を手に取ったものの、かなり作家によって書き方が異なることを知る。

 例えば宮部みゆきは、『魔術はささやく』を書いたときには、プロット要素を二十三枚のカードにして並べ替えて作っていたとのこと。ただ、原則的にはプロットは作らず、書きながらメモしていく程度らしい。


書きはじめる段階で、プロットを全部組むことができなくて、おおまかに頭の中だけにしかない。その段階で言語化しちゃうのが怖いっていう気持ちがあるんです。だから頭の中でずっと転がしているみたいな。

宮部みゆき「プロットの作り方」 同149頁


 私はプロットを作れず、結果長編が書けずにあくせくしているのだが、まさにこの感覚である。言葉にすると固まってしまい上手くいかなくなってしまう恐れがある。だが宮部みゆきと私の差は頭の出来である。頭の中でずっと転がしながら長編が書けるのである。宮部みゆきもそうだから私も、とはならない。普段の私生活でも、あれこれ買わなければと思い、いざ買うものをメモすると三つしかなかったということが日常茶飯事である。凡人はアウトプットして作らなければ作れない。

 対して、乙一はゴリゴリの理詰めタイプのようだ。


 シナリオ理論は、科学であり技術だ。
   <中略>
 理論や技術によってオリジナリティがなくなるのではないか、という危惧は自分も抱いたことがある。しかし学んでみると、シナリオ理論は道具でしかないということがわかったのだ。鉛筆やボールペン、パソコンのワープロソフトとおなじように、物語を紡ぐためのツールの一種なのだ。全員がおなじワープロソフトを使用したところで、完成する小説が似てくるなんてことはありえない。画一的になることを心配するよりも、ひとまず頭の片隅にこの理論をインストールしておくことを私は友人にすすめた。

乙一「プロットの作り方」 同175頁


 乙一は十六歳で受賞、十七歳でデビューした天賦の才の持ち主だ。当時、ライトノベルにハマっていた私はデビュー初期に彼の存在を知り、発刊されているものを全部読み、「ふ、ふん! これくらい、私にも書けるもんね!」と強がってみたものである。なお、今でもあのクオリティで書けない。というか書けていたらデビューしている。

 その後発刊された作品もほとんど読んでいるが(他二つのペンネームを持っているそうだが、それらは除く)、画一的だと思ったことはない。というかそんなゴリゴリの理詰めで書かれているなんて思いもしなかった。

 本書ではとても丁寧にプロットの作り方が書かれている。参照すべきワードや調べ方なども細かく書いてあるので、まず私はこのレシピに沿って作るべきなのかもしれない。


 伊坂幸太郎は、プロットをあまり立てず、書きたい場面や「絵」をつないでいくパターンとのことだ。ちなみに私は完全にこの形だ。「ええ~気が合うじゃん、伊坂さん」と思わず肩を抱きたくなったが、私の羽が届かぬ天上人である。

 行間からマブダチ感を探していて印象的だったのは次の言葉だ。


物語の冒頭で“掴む”のは意図的にやったほうが、僕は良いと思いますし、新人賞に応募する場合は、特にそうだと思います。

伊坂幸太郎「書き出しで読者を掴め!」 同389頁


 どの作品でも冒頭で驚かせることをかなり意識して作っていると語っている。同じイメージ先行型でもその後の作り方は非常に客観的だ。伊坂幸太郎本人も、本を選ぶ基準がタイトルと冒頭一、二行だという。確かに新しい作家にチャレンジする時は、冒頭を流し読みすることが多いし、noteの記事でもそうである。冒頭で掴まなければ読者に見放されてしまう。


 恩田陸はタイトルを考えるのが好きだとあった。小説の中身は決まっていないのにタイトルだけノートに書き溜めているらしい。気に入ったタイトルがプロットをどんどん生み出してくれるという。

 そういえば、以前白鉛筆さんが「タイトルを決めて一文書き出したら方向性が決まる」といった発言をされていたが、完全に恩田陸タイプなのだろう。タイトルを決めるのが苦手で最後の最後まで呻っている私には分からない感覚だ。

 タイトルが重要なのは承知している。売れる作品はタイトルが格好良い。他に考えられないような素晴らしいタイトルがついているものも多々ある。


では、どういうタイトルがいいタイトルなのでしょうか。
私が考えるに、タイトルを見て、まず観客がある程度自分で何かをイメージできるもの、なおかつ、分からないところがあって、本当はどんな内容なのだろうかと興味をそそられるものです。

恩田陸「タイトルの付け方」 同545頁


 そのつけ方を教えてほしいのである。まあセンスを磨けということだろう。なお冒頭に抜粋したのは恩田陸の言葉である。私自身への戒めのつもりだ。


ミステリの驚き、意外性はいろいろありますが、プロットに関していうなら、やはり結末の重要性をあげたい。ミステリは体操と同じでね、着地を誤ると、それまでどんなに良くてもまずくなる。ミステリ賞の応募作の欠点のひとつがそれで、三分の二くらいまでは抜群のペースでおもしろく読ませるのに、最後にガタガタッと崩れてしまうケースが多い。「結末がおもしろくなければ失敗作とみなされる」(ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』)という言葉があるほどで、結末の処理の仕方にこそプロとアマの差が大きく出ると思う。

逢坂剛「どんでん返しーいかに読者を誤導するか」 同469頁

 

 さて、タイトル、冒頭も大切なら結末も重要だ。ミステリーであれば謎の開示がどんでん返しになっているのが一番気持ちの良いクライマックスだろう。
 しかしミステリーでなくとも、すべてのジャンルに当てはまる話だ。思わず自分の書いた掌編や短編を見返す。劇的なクライマックスが無い。まずはプロの作品を意識的に、大量に読むことが必要だ。

 読者を惹きつけるタイトルで、心をつかむ冒頭を作り、起承転結で盛り上げ、面白い結末を作る。これが当然のようにできなければプロにはなれないのだろう。


 ここではごく一部を紹介しているが、私が思わずラインを引いたのは軽く百か所を超える。非常に具体的にあけすけに語ってくださっている本書は、ミステリーでなくてもプロの作家を目指している方には是非読んでいただきたい。新人賞を取るなら、といった話題も度々書かれている。

 だが、この本を読んだからといって新人賞が取れるわけではない。かなり厳しい現実も書かれている。


努力話というのは本人がいい気になりやすいものですので、もうここで切り上げますが、なぜ私がこの話を持ち出したかといえば、編集者をしていた時に、何十何百人の作家志望者に出会いましたが、九割九分までの人に共通することはただひとつで、努力を不充分にしかしていません。努力には終わりがなく、充分ということはないのでしょうが、少なくともプロの物書きは誰でも、作家志望者といわれる人たちの十倍は努力しています。「企業秘密」として、それを表に出さないだけです。言葉を換えれば、本気で物書きになりたいのでしたら、道は簡単で、現在の十倍努力をすればいいのです。さらに換言すれば、才能とは決して大それたものではなく、十倍の努力とは何かが自分で想像がつき、それを挫折せずにいつまででも継続出来ることだと私は思います。

香納諒一「書き続けていくための幾つかの心得」 同615-616頁

 

 自覚がある。私は九割九分までの人である。現在の十倍の努力の想像が上手くできていないが、かなりの犠牲を強いられることは確かである。本気で取り組まれている多くのnoterさんの話を聞いていても、我ながら覚悟が足りないなと常々思っている。

 だが、すぐに十倍は無理でも、二倍の努力はしてみようと思う。それが継続出来たらさらに二倍。時間はかかるが、瞬発力も無く足も羽根も短い鳥は、結局少しずつ進むしかないのである。華やかな世界で活躍されている先駆者を見上げながら、少しずつ歩くことにする。


 なお、本書は作家へのアンケート結果が間に挟まっている。

 最後のページに載っているアンケートは「Q 作家志望の方にアドバイスがありましたらお願いします」である。どんなアドバイスがあるか、想像がつくだろうか。

 やはり目立つのは、「完成させること」「とにかく書くこと」が多い。また「多読」や「手間暇を惜しまず推敲すること」といったアドバイスもある。

 だが全体の三、四割を占めるのが「やめた方が良い」である。作家なんて食える仕事ではない。今何か仕事をしているなら絶対止めずに兼業にしろ、といった内容である。第一線で活躍するミステリー作家のアドバイスである。現在の十倍の努力をして手に入れた世界もまた過酷なのだ。

 この「やめた方が良い」に近い、心臓を素手で握りつぶされる心地のアドバイスを最後に引用しておこう。


むいてるかむいてないかは、1回マジメに書いてどこかに応募すればわかると思います。第1次選考すら通過しなかったとしたら、たぶんまったくぜんぜんむいていないのでプロになりたがるのはあきらめたほうが良いと思います(趣味でかく分にはおスキにどうぞ)。作家というのはひとりで自分の好きなようにシゴトがすすめられる職業(にみえる?)なので、人間関係が苦手な人や「ひきこもり」ぎみの人が、「なれたらいいな」と思ってしまう場合があるかもしれませんが、プロのモノカキは不特定多数の他人を「おもてなし」する役割でもありサービス業の一面ももっていないとイケナイので、ほんとに他人と一切コミュニケートできなかったら、シゴトにできるわけありません。

久美沙織 同628頁


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