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[映画FANDANGOに寄せて] あの日に戻りたいと、駄々っ子のように泣きたい時もある

AmazonPrimeを検索していて懐かしい映画を見つけた。子供の頃の写真をアルバムの隅から見つけたようなふわっとする懐かしさだ。一瞬にして80年代に戻ってしまう。何か忘れ物をを見つけたような微妙な高揚感が私を包んでいる。

1985年のアメリカ映画「ファンダンゴ」もう4〜5回目くらい観ているだろうか…。一番最初に観たのは21歳くらいの時だったと思う。仕事帰りにレンタルビデオ屋に寄るのが日課となっていた。あの日も疲れ果ていた。それでも真っ直ぐに家に帰る気がしなくて、面白そうなのはないかなとビデオ屋の中をうろうろしていた時、この映画の基礎知識は何もなかったが、何となくタイトルに惹かれてレンタルしてきた。それを東京の片隅のアパートでひとりで観て、「きゃっほ〜!」とテンションが上がったのを覚えている。

この映画は、私の人生を変えたといっても過言ではないかもしれない。これで私は無謀にもアメリカを目指すこととなるのだから。

物語は、
ベトナム戦争中の'71年のアメリカ テキサス州。大学を卒業したばかりの「グルーバーズ」というグループ名を持つ仲間5人組がいた。彼らは在学中は免除されていたが卒業と同時に召集令状を受け取っていた。来たるべきそれぞれの現実から逃避しようと仲間の証しである「ドム」に再び出会うため、卒業パーティーを抜け出しオンボロ車に飛び乗り最後のファンダンゴ(スペイン語でバカ騒ぎ)を起こす旅に出発する。目指すはメキシコの国境付近。そこに行けばドムに会える。途中車の破損や仲間割れなどを経験しながら彼らは徐々にメキシコに近づいていた。

簡単に言えば、アメリカ版「自分探しの旅」とでも言えばいいのだろうか…でも、日本の「何もすることがなくてとりあえす海外に自分探しの旅に...」と言って海外に旅立っていく若者とは違う。彼らにとっての旅はこれから背負っていく人生をかけた旅だ。過去と決別し未来を生き抜くための旅となる。旅の途中で起こるいろんな出来事を通して彼らは大人になっていく。大人にならざるを得ないというモヤモヤも随所に見せながらも立派に成長する。

ド厶と再会した彼らはカッコ良かった。それと同時にドムとの再会は彼らにとっての「青春の終わり」を意味していた。いわゆる青春映画と呼ばれるものは個人的に苦手なのだけど、これは別。いくつになっても何度見返しても、彼らと私の青春は色褪せない気がしている。

最後はやっぱり泣く。映画で泣いて、自分の過去を思って泣いた。

俺たちの過去に乾杯。俺たちの未来にも乾杯。

と、彼らは言う。

今、この映画を観れることに、そしてあの頃と同じように涙を流せることに私は幸せを感じている。ただ、過去に縛られていると人生は不幸になる。時々、そう時々思い出して泣いてみるくらいがちょうどいい。「それにしてもドムって?」それは言葉に書いてしまうとちょっと夢が半減するかもしれない。それは観た人だけのお楽しみということにしておいた方が良さそうだ。

もうひとつ付け加えておくなら、音楽が素晴らしい。80年代ロックが好きなら「きゃっほ〜!」と言うことまちがになしだ。



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