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西瓜糖の日々

とても変な話だ。


まるで誰かが見た長い夢の話を聞かされているようだった。



いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、
かつても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。
あなたにそのことを話してあげよう。
わたしはここにいて、あなたは遠くにいるのだから。



とても素敵な書き出しに、西瓜糖の夢の世界に恋いこがれながら読んだ。何を隠そう私はこの本を数えきれないど読んだ。でも不思議なことに何度読んでもまるで新しい本に出会ったような新鮮さと驚きと憧れが私の胸の中に溢れ出てくる。



主人公「わたし」は、西瓜糖で作られた世界で暮らしている。
でも子供の童話に出てくるお菓子の家のような甘い物語ではない。
平和や慈愛がふんだんにある、でも暴力や流血や嫉妬などもそこにはある。
西瓜糖は甘く魅惑的...でもその裏にある残酷な世界を見なければいけない。西瓜糖でいろんな物が作られている。
家、橋、ベッド、テーブル、窓、ドレス、油、インク...
その西瓜は月曜日は赤い西瓜、火曜日は黄金色、水曜日は灰色、
木曜日は黒色・無音の、金曜日は白色、土曜日は青色、日曜日は褐色。
毎日違う色の西瓜が作られる。
そして、西瓜の色と同じ色の太陽が出て、この世界を照らすのだ。
人間の言葉を話す虎もいる。
でもその虎は、人間を食べてしまうのだけど...



行ってみたいと思った。

帰って来れなくてもいいと思った。

西瓜糖の世界は憂鬱だ、とても憂鬱だろう。でもここにいる大人の憂鬱はどことなく色っぽくい。
煮詰めすぎたカラメルシロップは苦いほど甘いプリンと相性がいいのと同じだろうか。
それに私は地の果てがスキだ。
そこが甘苦く魅惑的ならなおさらだ。
裏にある残酷な死も汚れた世界も、この地球に生まれた時点で何となく承知している。今までそんなもんどんと来いという気持ちで生きてきたのだから。



翻訳の藤本和子さんの言葉の美しさにはうっとりした。
血が流れる残虐なシーンでさえ美しいと思えてしまう。

本文にも出てくるように、どこか脆いような、微妙な感じの平衡がある美しい日々と文章だった。

来世は西瓜糖の世界に生まれたし。






 

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