八月の母
「八月の母・早見和真」を読了した。
長く苦しい本だ。
読者を嫌な思いにさせる本だと思う。
それは批判しているのではない。それだけ考えさせられる本ということだ。
冒頭は幸せそうな家族の描写から始まる。
しかし、これから長い長い苦しみが描かれるのだろうなと予測させるものが言葉の端々から感じ取れる。
この物語は愛媛県で実際にあった事件を元に書かれたものだと聞いている。
母親と子供、切っても切れない呪縛でがんじがらめにされた事件だったとしか私は知らない。
物語は愛媛県伊予市という地域が舞台となっている。閉塞感のある土地柄で、そこに生まれ育った越智美智子、エリカ、陽向の3世代にわたる女性たちを主な主人公として多数の彼女らに関係する人々で構成されている。
3世代の女たちは、みんな、閉塞的な暮らしから抜け出そうとあがくのだが『母』という呪縛から逃れることはできない。そして歪んだ母性や愛憎が積み重なって、ある日悲惨な事件が起きてしまう。
*
読んでいて、最初から最後まで重苦しい気持ちが私を襲う。
暴力、酒、セックス、イジメ、罵倒、鬱屈…そういう状況がずっと続く。
ここまで悲惨ではなかったが、私も実母と確執を持って生きてきた。
この物語で散々語られる、それは『母性』か『身勝手な呪縛か』という問題を私も長年考えながら母と付き合ってきた。
すでに亡くなってしまったが、そのことをうやむやにしたまま死んでいった母を今でも許すことはできないでいる。
子供を自分の生き方に縛り付けること、子供の将来ではなく自分の今を満たすために子供を側に置いておきたいという願い。それを疑問にも思わず母親に従う子供、反抗するが反抗しきれずに破壊していく子供。
こういう子供たちが大人になり、自分の母のような生き方はしないと心に誓うも、やはり母と同じ道を歩いてしまう。
こういう親子関係は様子を変えながらも現在も確かに存在している。
と、書いてあ箇所がある。
私の場合、ある時点でこの螺旋階段を自ら破壊してそこから飛び出した。
追ってくる母を覚悟を決めて拒否した。
そして今の私がある。
それが正解だったかどうかわからないが、私は後悔はしていない。でも誰もがそう覚悟を決めれるわけではない。
それは閉鎖的であればあるほど実行できない現実がある。
きっと東京の真ん中であればまた違っていただろう。
時代が現在であればまた違っていただろうと思う。
この物語は1970年代で、まだ男が偉そうにしていて、女はそんな男を許していた時代の物語だ。そうすることでしか小さな町の女たちは生きていくことがきなかった時代なんだろうと思う。
私は子供を産んでいない。
だから母性とか母と子供の関係とか、そううのは子供の立場でしかわからない。半分しかわからないということだ。
しかしこの作品を読んで、全部ではないが母親の哀しさみたいなものも少し理解できた。母もまたそうするしか生きる方法がなかったのだというアバウトな理解の仕方だが、子供の立場があるなら母親の立場もあって当然だということをこの歳にして知った。
だからといって自分の母やこの物語に出てくる母たちを優しく迎える気持ちにはならない。
それほど強烈であったし、反抗できない分、子供の方が我慢を強いられる。
そんなことを感じながら読み終えたが、最後の方は涙が流れるのを拭いもしないで読んだ。「誰かひとりでもいいから幸せになってくれ」という願いを込めての涙だったと思う。
純粋に幸せになるには、もっともっと長い長い時間が必要なのだろう。
*
ものすごいエネルギーと、正しい解釈かどうかわからないが、ものすごい執念で書かれた作品だと思った。
そのリアルさは本の中からタバコの匂い、お酒の匂い、男女の饐えた匂い、罵倒する声、嘲笑する声が手にとるようにわかるほどだった。
読むのに苦しい作品ではあるけど、いろんなことを知れたし学べた。
今、読めて良かったと思う。