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失敗は、未来に活かすためにある

僕は、高校を卒業するまで、これといった「健康上の問題」はありませんでした。特に高校3年間は、1日も休んだことがなかったんです。わりと丈夫で、ほぼ風邪ひかない体質だし。

卒業した後に一浪して、なんとか公立の芸術大学に入ることができたのですが、入学3年目に異変が起きました。
心の状態がおかしくなって、外出することが非常に難しくなったのです。
昼夜逆転し、1人で家の中に引きこもる生活がスタートしてしまいました。

うつ状態の中、休学と復学をくり返し、「こんな状態で卒業できる見込みは薄いし、さっさと退学したほうが、親が出してくれている学費も、これからの人生の時間もムダにしなくて済むのかな」と、何度も何度も考えましたが、
…なんとか在学を続けています。


気力が出なかったあの期間、僕は「他の同期たちは、ちゃんと通学しているのに、どうして自分だけが…」と。
大学生活がうまくいっていないという事実を、きちんと受け入れることがとっても怖かったです

周りの多くの人は、「別にちょっと留年するくらいなら、“人生終わった” とか思わなくてはいけないほどの失態ではないよ」と言ってくれて、僕も今となってはそういう受け取り方ができるようになりました。
しかし、当時の僕は “落ちこぼれ側の人間になる” という免疫がなかったんです。それまでに大した挫折を経験していなかったので、ドロップアウトしている自分が「それまでの自分」と違いすぎて、より一層情けない気持ちになりました。


むしろ、中学までは “優秀な側の人間” だったと思います。
小学校の勉強で分からないところはほとんどなかったし、中学校に入っても定期テストはだいたい学年5番以内だったし、理科だったら1番を何回か取りました。高校も、県内でわりと偏差値の高いところに行きました。
要するに「社会的に望ましい子ども」だったんです。

高校では、学校の課題や予習と、作曲専攻の大学入試に向けた音楽の勉強がなかなか両立できずに苦労しましたが、さすがに不登校になるところまではいきませんでした。
浪人していた1年間も、ずっと宅浪でしたが、家族以外の人と話す機会がないのが原因で病むとか、そういう問題は起きませんでした。ちょろっと散歩したり、YouTubeでゲーム実況を見たり、平和に過ごしていました。
だから、精神系の疾患なんて、自分には無関係だと思っていました。「僕は病みやすい気質だ」なんて、微塵みじんも感じていなかったのです。

その分、大学に入ってからの圧倒的な挫折感を、よりかさ増しして味わうことになってしまったのです。人間というものは、不測の事態に対してショックを受けやすい生き物なのですね。


大学の一部の友達からの信用が薄れていく感じもつらかった。
「朝起きる」「毎日ちゃんと学校に来る」「友達からのLINEに反応する」といった、当たり前で普通で何にも難しくないことをやっていなかった結果、「不真面目」「サボってる」「怠けている」という評価になってしまいまして。
…まぁ、僕が思っているほど敵の数は多くなかったのかもしれませんが、それまでの人間関係の在り方が何か変わった感じはしました。

今は、考え方も変わってきて、少しずつ心の中が明るくなってきたんですが、当時は本当に「お先真っ暗」で、母親からもひどく心配されたものです。


…だいぶ重たい話になってきたので、そろそろ切りましょう(笑)。
これらのつらい経験は必ず、もっともっと幸せな自分に成長していくのに役立つものです。

“落ちこぼれ側の人間” になったことで自動的に(あるいは強制的に)、毎日めちゃくちゃ悩んで、めちゃくちゃ深く思考する機会を得たんですよね。
その結果、知らない間に自分の心はレベルアップしていました。

「人生ってこういうもの」「幸せってこういうもの」「自分と他人は違う価値観を持っている」「親に縛られるだけが子どもの宿命ではない」などなど。
つらくて、二度と経験したくない時間だったけれど、自分を犠牲にせず、これからの未来をラクに生きるための「自分に合った手段」を真剣に探すことの優先度が上がり、実行できたのです。


どんな過失にも、必ず意味があり、
自分の成長や学びにつながるものなのです。
それは自分にとってだけでなく、生きていく中で関わる人たち全員に良い影響を与えるパワーを持っています。

実際、僕は今、不特定多数の人に向けてこういうことを「書けている」んですから。これ以降、同じように「学校や職場に行けない」ことで悩んでいる人に対して、当事者性を伴いながら話を聞いたり、一緒に改善策を考えたりすることができるので、これは「失敗」どころか「収穫」だ、と。
今ならそう評価できます。


ある意味、「人生のどこかのタイミングで訪れる “必要な災難” 」が、たまたま大学生活の期間中に発生したのかもしれません。

人間は「今の状態をキープしたらヤバい」時に、何かしらのサインが出るものです
ビタミンCが不足したら指の逆剥けが増えます。
同様に、僕の心の深いところで「このまま順調に大学を4年間で卒業して、そのまま社会人になってしまったら、自分の幸せを優先しながら生きるための “人生観” を、死ぬまで獲得できないよ!」という危機感を持っていて、その防衛として「なかなか外出できない」という現実を作り出してしまったのかもしれませんよね。


極端な書き方かもしれませんが、
「何のために」悩んでいるのか、
「何のために」つらい状況が訪れているのか、
「何のために」ひどい目に遭っているのか。

その答えは人それぞれ違うでしょうが、
ある程度は共通して「未来の “幸せな生活” のために必要な考え方、知識や経験をゲットするべく、不幸の前借りをしている」状態だと思います。

高校で古文を習ったとき、
「助動詞の活用形」を暗記するのは大変でしたよね。
でも、一度覚えてしまえば、その後はずっとラクになります。
だから、つらいとき、苦しいとき、
今はそういう「一時的なストレス多めの期間」を過ごしている、と考えるのが良いと思います。


そして、具体的な
「自分に自信が持てる方法」
「自分のことを好きになる方法」
「自分の過ちを優しく許す方法」
「自分を褒めたり甘やかしたりするのが上手になる方法」
については、引き続きこのnoteアカウントにて投稿していきます。お楽しみに!

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