選択的シングルという発想

ここ数日、ずっと本を読んでいられるくらいには腕の痛みが取れてきた(代わりに首が悲鳴を上げているが、ありがとうトラマドール200mg!)ので何冊か男性学女性学にあたる書籍を読んでいた。大きく括れば社会学である。
丸善で購入した「選択的シングルの時代」も読み終えたので、他書籍も交えて新たな恋愛観を社会学と共に綴ってみる。

『「選択的シングル」の時代 30カ国以上のデータが示す「結婚神話」の真実と「新しい生き方」』(エルヤキム・キスレフ (原著), 舩山むつみ (翻訳))

丸善で社会学、とりわけ恋愛関係の書籍のコーナーに立ち寄ると目立ったのがシングル(独身)に関する本の多さ、独身男性からの視点やLGBTQ当事者が語る異性愛についてなどの書籍である。
男性が孤独死する理由とか、異性愛は悲劇であるとか、世界が女性だけだったらどんなだろうとか、なかなか過激でキャッチ―なタイトル揃いだった。日本はとりわけ独身が多い国でもあると本書に書いてある通り、確かにシングル向けの書籍が目立つ。

買い物に出かけても、日本は特に単身者世帯へのマーケティングアプローチが厚いのだろうと思うことが多々ある。
洗濯機は大体二人用が最大量で安価だし、単身者が住みやすいワンルームアパートメントに設置できる小さな家具ばかりが売れ筋、冷凍食品も二人前が多い。食べ物にしても家具にしても、こぢんまりとした量で一人が消費しやすいようになっている気がする。

もちろん国土を考えたり核家族化が進む世の中を見ていれば当たり前に大きなものは消費しないお国柄であることは昔から変わらないのだが、テレビCMなんかで食べ物の定期便や女性用品の広告等に触れると、大体が小さなアパートにひとりの俳優が生活を営んでいるという構図が多い気がするのだ。
30代のほぼ半数が未婚というとんでもない統計があるくらい日本は確かにシングルが多い。

この本を手に取ったのは特段「選択」してシングルでいるからとか、シングルを一生続けると思い込んでいるからだとかいう訳ではなくて、何となく世界の事情を知っておきたいと思ったからなのだがとにかく社会学から見る人間の価値観や行動は摩訶不思議で興味深いものだった。

「自分婚」は自分と結婚するために挙式、ひとりで何かを誓う間身近な人々にそれを祝ってもらうとか、世界規模でもシングル率が上がっている事実とか、パートナーを持つと活動的な人が怠惰になるから良くないとか言っている。
インタビューからの記述が多いから実際シングルを楽しんでいる人たちに焦点を当てていることも面白いし、何より高齢者が楽しそうに結婚していないことを誇りに思っていると語るシーンが印象的だ。

”結婚”を考えるとき、老後の身体面、金銭面の心配があるからだれか助け合える人と添い遂げたいという思想は割とあると思う。法制度が結婚に寄りかかっているから余計これを利用しなければいけない社会は確かに存在するし、それを友人や親族に頼るとなるとやはり法制度の関係で立ち入れない部分が出てくるから手っ取り早く配偶者をという考えが生まれる。
著者はそれら法律を一度見直してみるのはどうだろうと訴えるのだがこれに関しては半分賛成で半分反対である。ネガティブな考えから結婚にたどり着くのはよろしくないが、ならば法律が寄り添えと謳う理由もあまり見つからない。

色々と書きたいことは多いが書籍の感想をまとめるなら、統計やインタビューは面白いが著者が最後に提示する解決策は割とファンタジーじみているので無理だと思う、になる。

では、これを読みながら何となく構成した恋愛観。
本書でもほんの数ページに障害のあるシングルについて述べようと努力した形跡が見えるが、どうしても障害者はそもそも恋愛市場に存在しないような気がするし、それがこの本で如実に確信へと変わる。

障害者、そもそもスポットライトが当たらないのだ。

でも、だからこそ面白い恋愛が、型破りな物語が生まれていい。陳腐なお涙頂戴の映画よりきっと、ずっと面白い人生があるはずだ。

例えば、一人はもう介護や療養を必要としていて、それを担う相手がいたとする。その相手が同じような状況を負った時、手続きやサポートの受け方に明るい相棒がいたらどうだろう。若干身体的な面では非力だがなんとなく安心するかもしれない。
相手が多忙で一人が家にずっといる場合、お互いが好む距離感を維持できるかもしれない。ひとりでいたい者同士の場合それぞれの居場所があることは心強いし、法律上の心強さも確かにある。どちらかが倒れたら駆け付けられるし、障碍者手帳を持っていたら支援も受けられるから収入面での心配も減る。

相手を本当に愛していたら介護ができるなんて幻想は辞めた方がいい、と思う。

愛している人が毎日苦しむ姿は見ていたくない。苦しそうにばかりされていたら介助する人間も折れてしまう。だから独身のままでいい、は違う。お互いが尊敬できるところを持ちながら”好き”同士でいて、かつ其々が出せるカードを利用し合うことも必要だ。
私は動けないけれどあなたにこんな利益をもたらすことができるよ。あなたはこんな利益を私にくれるから、だから契約を結ぶ(=結婚)ことも悪くはないよね。
こんな形の結婚はむしろ障害のある人間には生きる意味にもなる気がする。

合理的に考えたらお互いが助け合える部分はこんなところだね、までを言えて初めて恋愛や結婚が成立する。シングルでいる時間に蓄えたものを放り出して結婚するのならそれは違うし、まだ蓄えたいものを諦めるのも嫌だ。本書でシングルを選択したから「好きなことをできている」という人たちがいるのなら、シングルを選択しなくても好きなことができる人生を歩みたいと思う。容易なことではないし、一人でほっつき歩ける無責任さというものは無くなるのがパートナーを持つことだが、それくらいは前述したような合理的交際であれば窮屈にならない。

最終的にシングルを選択したとしても、それは歓迎できることになると思う。
私個人の場合、これだけ長い間好きな事ばかりを突き詰めてきたのだから多少変人だと扱われて恋愛市場に置いていかれても文句はないし、自身の障害を憂いて進む結婚生活に面白いものなんて転がっているはずがないからその道は選ばない。
結果論で選択的シングル思想になることは大いにあるだろうし、それでいい。
ただ、利害の一致が存在してお互いに好きだと感じられる人がいるのならシングルを強制的に選択するつもりもない。

介護してねなんて軽々しく言わない。出来ること、こちらが差し出せることは存在するから忘れないでおきたい。
これから先それらが難しくなっても、愛の力でなんて怠けたことを言わずにいられるくらい努力したい。

どうも負けず嫌いで虚勢を張る性格は治らないようである。





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