見出し画像

こんな病状で旧友に会う事

動きが鈍くなり、やりたいこともやれず、痛みで顔をしかめるばかりの生活を続けている。
時に、殺してもらえた方が楽だとさえ思う。しかも喉風邪にやられてしまい精神的にかなり参っている。というのも年末から引きずったままなのできっとまた精神的な病を復活させてしまったのだろうなとも思っているが。

そんな最中、会いたい人に会える機会が生まれることになった。もう数年友人で、お互い深い話を幾日も続けた人。
それがもうすぐだから、その前に今の心情を記録しておきたい。これはどの書記の中でも最も身勝手で傲慢な章になるだろうから、いつか読み返して破り捨ててしまうかもしれないけれど書きたい。今はただその一心でホテルの一室から黙々とタイピングをしている。痛みに耐えながら、複数の不安を抱えながら。

私がその人に出会ったのはまだ難病が発覚していない段階の話で、車椅子ではあったけれど自分の体について理解していない時期だったから個性もあやふやだった。
嗜好は今と変わらないが、心が、体が、環境が錯綜していた時期だったと思う。だからこそ落ち着いたその人を前にするとなんだか無性に悔しくなって、悲しくなった。自己嫌悪の一つだったと思う。
もしこの人と出会えていたのが健康な時だったらとも考えたが、そうなると思考も話す言葉も稚拙すぎて相手は私を友人とすることすらなかったと思う。対等な相手としてみてもらうには不足が多すぎた。

だから、多少の知識を蓄えた状態で流動的な私のまま出会えてよかったのかもしれない。その人との対話を今思い返すことはできないが、かなり理想的な会話を連ねていたとぼんやりと回想できる。
何度か話して、何度も喧嘩をして、相手の寡黙さに助けられたことは絶対に忘れたくない。
ぎゃあぎゃあと多動的な私を彼は面白がりながら、私が持つ内のものを見定めてくれていた。だからその人を尊敬していたし、今でもそうだ。

難病が発覚して、一度思いをぶつけてしまったことがあった。いつもは自分たちに関係のない、テーブルの上のコーヒーについて話すみたいな会話が繰り広げられていて、それで満足していたのに、少しの話のゆがみから私が心の内に秘めていた呪詛をその人に投げてしまったのである。
何も言わず、かける言葉が分からないと言われたことを忘れられなかった私は、「かける言葉ないでしょう、だから何も言わなくていい」とまで言った。

結局すべてが傲慢であって、その人からしてみたらいい迷惑である。勝手に何かが引き金となって暴走しだす様子はさぞ滑稽だったと思う。

その後連絡が途絶えて、少しずつ私から動くようになっていたけれど、それでもどこか蟠りがあるような気がしてならなかった。

先日少しだけ話せた時、私が変わっていた。
難病が分かって、これからもう「まとも」な人生を歩めないなら楽しくやってやろうと決めたあとだったから、その人とまた対等な会話ができるようになっていた。

だが目前に迫るその人との面会は純粋な楽しみという心情もある反面どこかで見限られてしまうのではないかという畏怖もある。
これだけ弱ってしまった私を見て、その人はきっとかける言葉を”また”失う。

安易な言葉を使いたがらないから、きっと適当な言葉を探すのに迷うのだと思う。そしてその時間が対面で行われてしまえば、私はその人のことがきっと怖くなってしまう。
この先会うことがなくなったとしても、弱った自分を開いて終わりにしたくないから、どうしても、どうしても、振る舞い方が分からない。見つからない。思いつかない。

かつて尊敬の念を抱いていた人を目の前にして、私はどんな個人を持っていこうか。
最初のころのようにふるまえるだろうか。
動きが鈍くなってしかめ面ばかりでも、口だけはまだ皮肉が云えるだろうか。

悶々と考えながら、それでも私たちが持つ共通の楽しみをただ共有する時間だけで終えたくないとも思う。
だから、その人がどんな雰囲気を、どんな新しい風を持って私の前に現れるか、それを今知っておきたい。準備ができるから。
今知っていたら、きっともうその人へ向けた私という個人が(平野啓一郎の言葉を借りれば分人が)作れたはずなのだが、もうすぐそこに舞台は不明瞭に、朧げに設置されている。

どんな話をして、どんな気持ちになるか全くわからない。
でも、その人が私に、出会ったころの幻影を見ているのならば私はそれに従うつもりだ。
弱い姿なんて誰も見せたくない。
うまくいって、云いたいことはすべて伝えて、最後になるであろう対話を終わらせたい。

これですべてが締めくくれるように。

いいなと思ったら応援しよう!