『君たちはどう生きるか』吉野源三郎を読む。
すごい本を見つけてしまったという嬉しさでいっぱいです。
今更ですが、読みました。正確には僕が読んだのは写真にある改装版ではなく、岩波文庫の古い方なのですが、内容は同じなので新しい方の写真を載せました。
中学2年生のコペル君とおじさん。コペル君は日々生きていく中で感じたこと、考えたことを、たまに現れるおじさんに伝えます。
おじさんはおじさんノートというものでそれに真剣にユーモラスに答えてくれる。
題名にあるように僕たちはこれからどうすればいいのか、何を考え、選び取っていけば良いのかを力強く語ってくれます。
驚くべきことは、この本が初めて発行されたのは1937年、つまり戦前に発行されたのです。
こんなにも優れた本を書く人がいて、それを読む人たちがいながら日本は戦争に進んで行ってしまった悲しさと矛盾を感じます。
どんな時代にあっても正しい人はいますが、それと同時に正しい人がいても誤った方向に進んでしまう私たち、社会というものを考えさせられるのです。
「肝心なことは、世間の目よりもなによりも、君自身がまず人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君のたましいで知ることだ。そうして心の底から立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。1つ1つ判断していくときも君の胸からわきでてくるいきいきとした感情につらぬかれていなくてはいけない。」本文抜粋
この本を読んだ私たち、特に大人は何を感じるのでしょうか。
子供たちに読ませるにはとても良い本で(読書感想文だし)、もはや立派な人間などと言う綺麗事ではやっていけないこの世界で生きる私たちにはほど遠いものなのでしょうか。
僕にもいつの日か心の底から立派な人間になりたいと思った時があったはずなのです。
でも、いつの日か大人になると言う言葉に、現実を知れという誰かの言葉に、流され、押されて僕はいつの日か立派な人間になんかなれない。そんなやつはいないと思うようになってしまったのかもしれません。
コペル君がこんな僕を見たら何を思うのでしょうか。
おじさんノートに何て書くんでしょうか。おじさんは何て答えるのでしょうか。
君たちはどう生きるか。 これは誰か知らない君じゃなくて私
私がどう生きるか。そう問われている気がします。
立派とは程遠い人間になってしまいました。
でも、立派な人間になりたいという気持ちはまだあるのです。
立派じゃないけど、立派な人間になろうとし続けるなら、コペル君はきっと笑いかけてくれるんじゃないでしょうか。
そんなことを思った一冊でした。