#170_【近代化遺産】城山付属堡塁、蔵ノ内
前回、定番観光スポットの金田城にある城山砲台を紹介しました。
山城がお目当てでしたら、登山口から山頂を往復するか、おおむね石塁に沿って一周されるかになろうかと思いますが、ところどころ「これ突き進むと何かありそう」と感じさせる道があります。
今回は、ひっそりと佇む城山付属堡塁と蔵ノ内をご紹介します。
何を目的としていたのか
城山付属堡塁
「堡塁」という言葉については、上見坂堡塁の記事で触れましたが、城山付属堡塁も、上見坂堡塁と同様、西側から上陸した敵が山越えしてくることを想定して建造されました。
記録には、阿連村から箕形村に通ずる道から敵が侵入するのを防ぐ意図があったことが記されています。
蔵ノ内
登山口の周辺および登山口から下って海に向かう軍道のあたりを指すようです。
登山口に通じている車道から一段低くなっている場所には、兵屯部があったそうです。戦後に水田や畑として利用され、建屋の基礎はほとんど残っていませんが、井戸は残っています(写真を持ち合わせておらず、申し訳ございません)。
そして、海側には湿地が広がっており、道を進んでいきますと船着場とみられる石積みが出てきます。ここで荷揚げして、物資の搬入をしていたのでしょう。
付属堡塁はどのような堡塁だったのか
9センチの「臼砲」(きゅうほう)が設置されていたそうです。
「臼砲」とは、砲身が短く、 弾丸の初速は小さく、大きい重量の弾丸を用いたものだそうです。
命中精度は高くなかったので、大きいものを目標としていたようです。
スロープを上った高台に4箇所くぼみがありますので、そこまで運んで据え付けていたと考えられます。
日露戦争が終わったらどうなった?
城山砲台と同様、1917(大正6)年に除籍されました。
現在はどんな場所
城山付属堡塁
観光客の方がここまで来ることはありませんので、ひっそりとしています。
砲座のところまで登ると、城山の山頂を見ることができます 。
城山山頂から見える景色と少し趣きが変わりますので、城山登山をする時にちょっと変化が欲しいと思ったら、こちらに回ってみるのも一興かもしれません。
蔵ノ内
かつて真珠養殖をしていた作業場らしきものがありますが、現在は廃屋になっています。
岸壁については、120年以上経っても残っている立派な石積みの岸壁がありますが、近年台風の大型化により、崩れ始めているところが見受けられます。
金田城は国の特別史跡に指定され、城山全体がその指定範囲に含まれますが、指定された理由は、金田城は古代に大陸との戦いを想定して築かれた城であり、後の時代に建造された陸軍の施設はそれとは関係ないということで、砲台や岸壁は保全の対象にならないそうです ゚ ゚ ( Д )。
締め
城山砲台について、城山の場所が古代も明治期も重要な場所であったということを交えながら、2回に分けて紹介しました。
軍備を進める過程で、陸軍は古代山城の一部に手を加えてましたが、城の遺構を参考に施設を建造したかもしれませんし、なによりこの場所が時代を超えて重要な場所であったことを示しているのではないでしょうか。
それぞれの時代の背景や土木技術が読み解ける保存のされ方を望みたいところです。
交通アクセスなど
城山砲台は、雞知から県道24号線を西に走っていき、白嶽に入る道を通りすぎた先に、看板や石柱が立っていますので、そこを右折し約2km道なりに走って行くと、登山口に着きます。
車は、登山口の広場、または手前に駐めます。
駐車スペースの先に続いているゆるい下り坂は、トイレカーが出入りすることがありますので絶対に塞がないようお願いします。
車で、厳原から30分、雞知(対馬空港)から20分、比田勝港から105分です。
登山口周辺は携帯電話の電波が届かないのでご注意ください。
※標高が高くなると、つながるようになります。
さいごに
金田城をめぐるガイドツアーを実施しております。
モデルコースでは、山頂と3つの城戸(城の入口)を6時間でめぐる紹介をしておりますが、オプションで城山付属堡塁や蔵ノ内もご案内しますので(所要時間により別料金)、ご興味がありましたら、お気軽にお問い合わせください。