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Bøhmisk-Dansk folketone ④ 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

YouTubeで、再生リストを公開しました。

ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Bøhmisk-Dansk folketone Parafrase for strygeorkester
(CNW 40 /1928)
 
弦楽合奏のためのパラフレーズ「ボヘミア-デンマーク民謡」

 予定ではとっくに書きおえているはずでしたが、1000文字ずつ書いて、とうとう④まできてしまいました。

 

 ①の記事では、YouTubeに上がっている5つの録音の簡単な比較と、この Bøhmisk-Dansk folketone の元歌である2つの民謡、Tecˇe voda, tecˇe (水は流れ、流れて)と Dronning Dagmar ligger i Ribe syg (ダウマー王妃はリーベで病の床にふせている)の動画を見つけたこと、さらに、「ニールセンは2つの民謡を「歌」として歌わせることをねらっている」ということが楽譜からは読み取れそうだ、ということ……等々をのべました。

 ②では、元歌のひとつである Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の主人公であるダウマー王妃について調べ、さらに、ダウマー王妃同様、20代で亡くなったニールセンの姉、カロリーネについて紹介しました。
 そして、ニールセンは、若くして命を失ったダウマー王妃の悲しい物語を、「ひたむきに生きたひとりの女性の物語」としてパラフレーズしようとしたのではないか、と仮説を立てました。

 ③でやっと、①で打ち立てていた「ブロムシュテットデンマーク放送交響楽団が、この曲を7分以上かけて演奏しているのはなぜか?」という謎について語ることができました。
 しかも、②では、Bøhmisk-Dansk folketone の主人公はダウマー王妃だ、と考えていたのに、ころりと「やっぱりカロリーネが主人公」と変わってしまいました。

 なにせ、考えたことをほぼリアルタイムで書いてきましたので……この七転八倒こそ、解釈過程のリアルタイム投稿の醍醐味、と思っていただけたらさいわいです。

 そして、ブロムシュテットは、2つの民謡を歌として十分に歌わせつつ、かつ、まるで舞台上の女優の挙措に寄り添うように、音楽がひとつの演劇として成立するために、ゆっくりと演奏しているのではないか、と推測しました。

 

・◇・◇・◇・

 

解釈はやはり七転八倒する……

 さて、③では、ブロムシュテットの録音した Bøhmisk-Dansk folketone ↓の前半で話が終わっていました。

 今回は後半(4:35〜)について述べていきたいのですが……はやくもまた、解釈過程のリアルタイム投稿の醍醐味が顔を出してきました。

 やっぱり、主人公がカロリーネというのはありえんのちゃうかなぁ……ため息。

 なんとならば、デンマーク放送交響楽団から公式に依頼された作品に、しかも、近隣国へのお祝いのコンサート用、という注文のついた音楽に、私的な事情をがっつり盛り込むかと考えると、やはりありえない、というのが普通ですよね。

 ③では、 前半部分は、カロリーネが婚約者に捨てられ、結核で命を落とすまでの物語で、3:43からのピチカートはカロリーネの心臓の最後の拍動である、と解釈しました。
 ですが、常識的には、引用されている Tecˇe voda, tecˇe ダウマー王妃の生命力、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の断片は彼女をおそう死の影で、末期における生と死の相克を描いたのがこの曲の前半部分である、と解釈するのが、やはり妥当なはずです。初演時のデンマークの聴衆も、そう聴いた可能性が高いです。 

 さらにいうと、伝説では、ダウマー王妃は、夫であるヴァルデマー2世が到着したら息を吹き返し、願い事を王に告げた、ということになっています。
 ピチカートの後にあらわれる Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のソロの四重奏(3:50)を、夫であるヴァルデマー2世と物言わぬ王妃との対面、4:35からの植物が枝を伸ばしていくようなひそやかなブリッジを、ダウマー王妃の蘇生、その後の後半の音楽は、つかの間のよみがえりの喜びと、王妃の願い事、そして、ふたたび夫に見守られながら瞑目したこと、と考えたら全体的な整合性もとれます。

 

 ニールセンが実際にどういう意図で作曲したのか、ということは、日本からは、現段階では確認しようがありません。それについての文献の有無もわかりません。
 また、ブロムシュテットがどういう資料にあたり、どう解釈したのかも、ブロムシュテット本人にたずねてみないことには、わかりようがありません。
 そして音は、ことばではないので、解釈の多くは聴き手にゆだねられます。だから、私自身は、私が音から何を見出したか、ということを語る以上のことはできません。

 それに、ニールセンやブロムシュテットの真意と、「私には、カロリーネの物語に聞こえた」と彼らに語ることは、また、別のことです。
 それゆえに、いましばらくは Bøhmisk-Dansk folketone をカロリーネの物語として語り、その後、あらためて、ダウマー王妃の物語としてはどう解釈するか、ということを述べていかたいと思います。


・◇・◇・◇・

 

泣き顔と笑顔との交錯

 さて、本題にもどって。
 ここから本格的に Bøhmisk-Dansk folketone の後半について述べていきます。

 後半は、大きく3つのパートに別れます。

 パート①(5:01) チェロによる Dronning Dagmar ligger i Ribe syg 
 パート②(5:58) チェロとコントラバスによる Dronning Dagmar ligger i Ribe syg 
 パート③(6:58) フィナーレ
 Dronning Dagmar ligger i Ribe syg はこんな歌↑です。

 4:35からの、なにかの再生をあらわすかのようなブリッジのあと、チェロがふたたび Dronning Dagmar ligger i Ribe syg を奏ではじめます(5:01)。
 このパート①は、聴けば聴くほど、実に不可思議なパートです。

 開始の瞬間、なにか大きなエネルギーが爆発するのが感じられます。
 そして、メロディからは、どういうわけか、あらんかぎりの大声で泣きわめいて涙でぐちゃぐちゃになった顔と、太陽のようにみちたりた満面の笑顔とが同時に浮かんできます。
 かなしくてかなしくてたまらないのに、胸のなかはあたたかな幸せがあとからあとからわいてくる、そんな感じです。

 この感情をひとことでどうあらわせばいのか?
 整合性のつけようがないので、謎として、いったんわきに置いておくことにします。

 

 さらに、時の経過を表すかのようなパッセージ(5:42)があって、今度はパート②、チェロとコントラバスによって Dronning Dagmar ligger i Ribe syg が奏でられます(5:58)。ここはまるで、

 「あれから何十年もたちました。少年だった私は、カロリーネの歳を追い越し、2倍生きて、あと数年で3倍の歳を生きることになります。
 そのあいだずっと、カロリーネは私の胸のなかで生きていました」

 とでも、ニールセンが語っているかのように感じられます。
 つまり、三連符で足早に過ぎていく上声部は生者の人生、全ての音符にテヌートを付けて繰り返される下声部は、もはや永遠に眠ったままの土の下の人のことを表している、と解釈できそうです。
 そして、低音の楽器群が堂々と、

 《Udi Ringsted hviler Dronning Dagmar》
 (ダウマー王妃はリングステズで永遠の眠りについています)

 と歌い(6:48)、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のメロディを締めくくります。ここはいわば、ニールセンがカロリーネの物語に結末をつけているように聴こえます。

 

 最後のパート③、フィナーレでは(6:58)、第一と第二バイオリンのあいだで、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の冒頭部分がキャッボールされながら繰り返されますが、ここはさながら、映画のスクリーンに「劇終」と映し出されているのを見ているような気分がします。そして、ニールセンが自伝「フューン島の少年時代」カロリーネの物語を締めくくった言葉、

 後年、文学作品で美しく薄幸の女性について読むたびに、悲しそうですばらしかった姉(カロリーネ)の運命を知っていた私には、もうすべてがよくわかっているように思われたものです。(P.86)
※( )は筆者。

 が思いおこされます。

 このフィナーレのメロディとともに、ニールセン自身が、

 「これが、悲しそうですばらしかった、カロリーネの生涯です」

 とナレーションしながら最後の音符を記し、ペンを置く姿が見えるような気がします。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて、それにしても。
 後半のパート①の Dronning Dagmar ligger i Ribe syg (5:01)です。泣き顔と笑顔とが同時に交錯するとはどういう状況でどういった感情か、まったくもって不可思議です。

 音楽からは、燦々と太陽の照らす草原の真ん中で、男の子がひとり、泣き崩れてるのが見えてきます。この少年はまちがいなく、当時、10歳か11歳だったというカール・ニールセンにちがいありません。
 ということは、このパートの直前の、なにかの再生をあらわすようなブリッジ(4:35)は、姉の死に直面して心がこおりついていた少年が、ふたたび感情を取り戻すことを暗示している、と考えることができそうです。

 だけど、固くこおった少年の心を打ち破ってほとばしってきたものは、悲しみをうわまわるほどいっぱいの、温かなものだった……これを、端的に表すとしたら?

 この問いで、2、3日はひっかかりました。
 この間、頭のなかはずっとこの問いに占められ、音楽がぐるぐると再生しっぱなしでした。

 

 そしてふいに、答えがでました。
 突如として、このことばが頭のなかにわいてきました。

 それは……

 カロリーネ姉さん、
 ボクはあなたのことが大好きでした!

 

 自伝「フューン島の少年時代」によると、長姉であるカロリーネと、12人兄弟の7番目の子どもであるニールセンは10歳以上歳がはなれていて、ニールセンがものごころついたころにはカロリーネはすでに家を出て奉公に出ていたようです。
 だから、きょうだいなのに顔も知らず、両親の会話にときどき「カロリーネ」という名前が出てきたり、実家に届いた手紙を読んでくれたりはするけど、それ以上は知らない、という遠い存在でした。

 今の感覚だと、「そうはいっても写真があるじゃん!きょうだいなのに顔も知らなかったってありえない!」と思ってしまいますよね。
 だけど、ニールセンが生まれたのは1865年、明治維新のころです。だから、一般庶民が写真をとる、なんてことは、よほどのことでもないかぎりありえない、贅沢なことだったと思われます。ましてや、ニールセンが生まれたのは、幼い子どもすら近所の農家に働きに出さねばならないほど貧しい家でした。

 いってみれば「架空の存在」であった姉、カロリーネが、結核のためとはいえ、実家に帰ってきて、毎日をいっしょに過ごすようになった。このことは、10歳ばかりの少年にとっては大事件だったことでしょう。
 あえていうなら「うちのクラスに教育実習のお姉さんが来た!」という非日常感やときめきに似ているかもしれません。しかも美人だった、というのだから、カール少年にとっては、甘やかな夢を見ているような心地だったのではないでしょうか。

 そのうえ、カロリーネは、おそかれはやかれ結核でこの世からいなくなってしまうであろうことも、わかっていたはずです。なぜなら、ニールセンはカロリーネより先に姉のひとりを結核で失っています。また、幼なじみの少女の死にも出会っています。
 いまにもはかなく消えそうな姉の命を惜しむ気持は、少年だったとはいえ、ひとしおのものだったことでしょう。もしかしたら、「あらゆる悪いものから姉を守る騎士でありたい」なんて望んでいたかもしれません。

 カロリーネの死は、少年時代のニールセンにとって、おおいなる悲しみであったのは、いうまでもないでしょう。
 しかし、同時に。一瞬だけ、夢見るように人生の中にたちあらわれてきて、かけがえのない思い出を残してくれたことに、喜びと感謝をおぼえずにはいられなかったのではないでしょうか。

 もしその気持ちをひとことだけで端的にあらわすとすれば、

 あなたのことが大好きでした。

 それ以外にはありえません。

 

・◇・◇・◇・

 

だけどまだ、なんだかしっくりこない……

 さて、こんなふうに、Bøhmisk-Dansk folketone の後半を「ニールセンのカロリーネへの思慕の告白」と解釈してみました。
 これで、恋に敗れて帰郷したカロリーネがやがて結核で命を落としてしまう前半とあわせて、音楽全体の「カロリーネの物語」としての体裁が整いました。
 われながら、これはなかなかイケている解釈ではないか、と思ったりしてしまいます。

 しかし……しかしなのです。

 この解釈を完成させてから、あらためてじっくりとブロムシュテットの演奏を聴いてみると、頭のなかでは完璧に思われた解釈が、みょうにしっくりこないんです。
 とくに、後半の下声部の Dronning Dagmar ligger i Ribe syg のメロディがしっくりきません。なんべん聴きかえしても、ブロムシュテットはこのメロディを、堂々と、王妃の風格をもって演奏しようとしているように聴こえます。
 どうやら、ブロムシュテットはこの音楽をカロリーネの物語としては解釈していない、と断言してよさそうです。

 それともうひとつ違和感を感じるのは、なんとなくですが、後半は上声部と下声部がかみ合っていないような気がするのです。これは、オーケストラの技量のせいなのか、そもそも楽譜がそうなのか、気になります。

 

 でも、だからといって、この Bøhmisk-Dansk folketone ダウマー王妃の物語として解釈しなおそうとしても、解釈の整合性をじゃまする強敵がいるのです。
 それは、音楽の前半部分で出てくる、ボヘミア民謡 Tecˇe voda, tecˇe です。

 ①の記事でも書きましたが、この民謡は「恋人に捨てられた」という内容です。しかし、おそらくは政略結婚だったのだろうけど、ボヘミアからはるばるデンマークに輿入れしてきたダウマー王妃に、「恋人に捨てられた」要素は感じられません。泣く泣く別れた恋人がいた、的なエピソードも、もちろんないようです。
 ていうか、Tecˇe voda, tecˇe をうまく解釈できないから、ダウマー王妃を主人公として解釈するのをいったん捨てた、というのが本音です。
 それに、実際に恋人に捨てられた悲しみをかかえて実家に帰ってきて、傷心のまま亡くなってしまったのは、ニールセンの姉のカロリーネの方なのです。Tecˇe voda, tecˇe を考慮にいれると、やはり自然と、カロリーネが主人公のように思われてくるのです。

 音楽の冒頭から「Tecˇe voda, tecˇe」と、失恋の嘆きをうたい始まることを、ダウマー王妃の生涯と、どう整合性をつけるか?……なんとも難しい課題です。

 

・◇・◇・◇・

 

 ヴァルデマーさまは……まだ?

 こんなふうに解釈が行き詰まったまま、また何日かたちました。
 Tecˇe voda, tecˇe を最初に聴いたとき、私はこれを、「まだボヘミアにいるダウマー王妃の姿」と感じました。なので、物語のはじまりを「これからデンマークに旅立とうとするひとりの少女」と当然のように設定していました。

 でも、もしかしたら、これが間違いのもとかもしれない、とふと気がつきました。
 音楽のど真ん中に、死をむかえ、静かに止まってしまった王妃の心臓の音が描写されているのです(3:43)。だったら、「ダウマー王妃が間もなく神に召されようとしている」ところから音楽が始まっている、と考えるほうが自然です。

 そのときダウマー王妃がもっとも望んでいたことは何だったのでしょうか?
 やはり、夫であるヴァルデマー2世とひとめまみえることだったのではないでしょうか。
 しかし、伝説ではヴァルデマー2世は死に目に間に合わなかった、とされています。

 

 ここで、あ……と気がつきました。

 最後に恋しい人に会いたい……それは、ダウマー王妃カロリーネも同じだったのではないか。
 そして、「夫に会いたい」という願いが叶わないまま、恋しさを抱いて亡くなってしまった、というのは、Tecˇe voda, tecˇe の主題である「恋人に捨てられたこと」に、ある意味通じます。

 

 ならば、Bøhmisk-Dansk folketone の冒頭で奏でられる Tecˇe voda, tecˇe の意味はこうです。

 ヴァルデマーさまは、まだかしら……?
 ひと目だけでも、お会いしたい……

 このあと数回、 Tecˇe voda, tecˇe のメロディが出てくるのですが(1:10、1:49、2:20)、それらは、

 ヴァルデマーさまがおいでになるまでは、
 私は死ぬわけにはいかないの!

 という、王妃の心からの願いを、「1秒でもながく生きていたい」という希望を表しているのでしょう。

 楽曲をチェックしやすいように、ここにも動画を貼っておきます。

 とすると、最初の Tecˇe voda, tecˇe のつぎにチェロが奏でるメロディ(0:38)は、病床のダウマー王妃のかたわらにいた、キルステンという女性のことを描写している、と考えることができそうです。

 このメロディの次に、また、Tecˇe voda, tecˇe が演奏されます(1:10)。が、ここの Tecˇe voda, tecˇe はなぜか、第一・第二バイオリンとチェロ・コントラバスのカノンになっています。ここも、なぜカノンなのかずっと不思議に思っていたのですが、「ダウマー王妃キルステンの対話」と解釈することができそうです。
 ただし、グーグル翻訳ででてくる日本語訳は意味不明なので、Dronning Dagmar ligger i Ribe syg の歌詞にそった解釈のしようがない、というのがなんとも不満です。

 息絶えたダウマー王妃キルステンの腕の中にいたと歌われています。

 Dronningen døde i liden Kirstens arm,
 der kongen red op ad stræde.
 
 (王妃はちいさなキルステンの腕の中で死んだ、が通り(?)を登っているときに)

 ニールセンがピチカート(3:43)で描いたダウマー王妃の最後の心臓の拍動は、まさにキルステンがわが腕の中で感じ取ったものだった、と解釈すべきでしょう。
 ていうか、キルステンが我が肌身を通して感じたことだからこその生々しい描写、だと思えば、それも納得です。

 

 ああもう……また、書きながら泣けてきました……
 キルステンの胸中を思うと、心がかきむしられるようです……

 

 どうしても、ニールセンが自伝にみずから記したこの一節が思い出されます。

 後年、文学作品で美しく薄幸の女性について読むたびに、悲しそうですばらしかった姉(カロリーネ)の運命を知っていた私には、もうすべてがよくわかっているように思われたものです。(P.86)
※( )は筆者。

 自伝の出版は1927年。曲の完成は1928年。自伝の執筆と作曲の時期が重なっていたとは考えにくいです。
 だから、この一節は、なにか予言のようにも思えてきます。

 

 最後までヴァルデマー2世の到着を待っていたダウマー王妃のことも。
 だんだんと息がかすかになり鼓動も弱まっていく王妃の最期の時を、ただ見守るしかなかったキルステンのことも。

 ニールセンは、「もうすべてがよくわかっている」と思いながら作曲したのかもしれません。
 ダウマー王妃のことも、カロリーネのことも、ニールセンにはコインの裏表のようなもので、どちらかだけを切り離して作曲するということはありえなかったのではないか、と想像されます。

 ところで、心臓の音の途絶える瞬間だとか、音楽でこれだけ具体的な描写をしながら、タイトルにひとことも「Dronning Dagmar (= ダウマー王妃)」と入れなかったのは不可解です。ひとことそういれてくれていれば、30000文字もついやして、やっと、いま、まっとうな解釈にたどりいた、だなんて私の苦労ははじめからなかったはずです。
 だけど、ニールセンにとっては、ダウマー王妃の臨終を描くことは、同時に、カロリーネのことを語ることでもあった、と考えると、

 Bøhmisk-Dansk folketone Parafrase for strygeorkester
 (弦楽合奏のためのパラフレーズ「ボヘミア-デンマーク民謡」)

 というそっけないタイトルこそ必要なものであった、といえるかもしれません。

 

・◇・◇・◇・

 

 ところで。
 このあとさらに、曲の後半をダウマー王妃の物語として解釈するとどうなのか、ということを述べていきたいのですが……ここまで書いて、ふと、気づいたことがあります。

こんなさわやかな風味の曲のテーマが
「死」とかって、ありえんのとちゃう?

 ……って、みなさん、思いませんか。
 しかも私、①の記事では

 この曲から感じる明るさが、「やさしい木洩れ日」どころか「力強い、生命力にあふれた輝き」だったことが明らかになって、われながらびっくりしてます。

 だなんて書いています。死の影どころか「力強い、生命力にあふれた輝き」を感じる、って。
 そう書いてるくせに、前回の③の記事でも、今回も、文章を書きながら、カロリーネダウマー王妃の心臓が止まるのが悲しすぎてマジ泣きしてしまいました。

 やばい……
 また、解釈がぐらぐらゆらいできました……。

 

 ところで、「死」がテーマの曲といえば、グリーグのペール・ギュントの「オーゼの死」など、短調の悲しい曲が思い浮かびます。

 直接に「死」を描写したものではないですが、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」もありますよね。トゥオネラ=冥府、です。

 奇しくも、北欧を代表する3大作曲家(ああっ……このふたりに比べて、ニールセンはマイナーだしマニアックすぎる……って言わないで!)がどんなふうに「死」を描いているか聴き比べできるラインナップになりました。

 こうやってグリーグとシベリウスを聴いてみると、音楽にかぎったことではありませんが、「死」というものは、暗く、悲しく、忌まわしきもので、正体不明のグロテスクなものであるにもかかわらず、どことなく心惹かれる、暗いロマンスを秘めたものとして描かれがちだし、捉えられがち、といってよさそうです。

 ほかにも、「死」とりあげたクラシック音楽としては、ショパンの「葬送ソナタ」、ワーグナーの「イゾルデの愛の死」、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」などがあります。特にマーラーは、終生「死」を恐れ続け、さまざまな作品に死の影が投影されています。

 たいがいの場合、「死」は「生」の対局として登場します。だから、「生」が長調で明るく前向きに描かれるのに対し、「死」は短調で暗くうつむき加減に描かれる。

 だけど。
 もしかして、これ、ステレオタイプなとらえ方かもしれない。
 ステレオタイプの枠の中で「死」の表現のバリエーションを競ってても、つまんなくないですか?

 

 私は、ニールセンという人には、音楽を通して感じる深い信頼があって、

 この人は、人を死なせることはない

 というのがそのひとつです。
 あえていうなら、もし、ニールセンが小説家だったら、作者の都合で登場人物をムダに不幸にしたり無惨に死なせたり、人の運命をもてあそぶようなことは絶対にしない、という感覚でしょうか。

 この人の音楽からはつねに、

 「生きよ。あなたには幸せになる権利がある」

 というメッセージを感じます。
 どんなひとりでさえ、不幸なままであっていいはずがない、絶対に幸せにせずにおくものか、音楽は人を幸せにするためのものなのだ、幸せになるために人は歌うのだ……生きているかぎり!……という意思のようなものを感じます。
 それはもう、とにかくたくさん聴いてこなしたらわかります、としかいえない感覚です。

 音楽之友社の楽曲解説書の帯には、

「グリーグの叙情、ニールセンの思索、シベリウスの深遠」

 とあるのですが、まさにその通りで、3者の性格の違いは上に掲げた動画の音楽からも如実に分かります。そして、グリーグとシベリウスは、分類するなら「文学者」で「芸術家」です。そして、華麗に「盛る」音楽を書きます。
 しかし、ニールセンは誰ともちがう。ニールセンの音楽はシンプルに「削り」、突き詰める音楽です。ニールセンは思索によって音楽を突き詰めていった哲学者で、音楽と人間の生とをつなぐ実践者である、と私は思っています。
 だけど、ふつう、哲学者は文字で思索を書き記します。しかし、ニールセンは音符で記した。しかも、非常に平易な音楽に落とし込み、ひろく大衆の中に届けることもした。ときにはこの Jeg ved en lækerede (ぼくはひばりの巣を見つけたよ)のように、あまりに平易すぎて、うっかりすると価値を見過ごしてしまうほどです。

 ぱっと見でやっていることは作曲なので、「作曲家」と分類されていますが、実態は「実践的な哲学者」ではないかと思っています。

 

 ゆえに。
 思索する人であるニールセンがダウマー王妃の物語に見たものは、おそらく、いわゆる「死」ではなく、

 「マルケタは最後の最後まで生きた」

 という事実です。

 ダウマー王妃の本名は Markéta です(チェコではどう発音するのか、正確なところがわからないので、ここではとりあえず、マルケタと読んでおきます)。
 ダウマーというのは、後世の人が王妃への敬愛をこめて呼びはじめた名前のようです。

 だからこそ、彼女がたしかに生きていた証しである心臓の最後の音までを、しっかりと音楽で描写した。
 まるで、キルステンでなく自分の腕の中にダウマー王妃がいて、自分の腕が、王妃の心臓の最後の拍動を感じているかのように。

 私は②の記事で、「ニールセンは、ダウマー王妃の悲しい物語を、ひたむきに生きた生身の女性の物語としてパラフレーズしたかったのではないか」と予想しましたが、どうやら、誤りではなかったようです。

 たとえそれが悲しい運命であったとしても、心臓が鼓動を止めるその瞬間まで、たしかに彼女は生きてそこにいた。もうそれだけで、とてつもなくすばらしいことではなかったか。

 それが、ニールセンが Bøhmisk-Dansk folketone という曲で描きたかったことだと思います。

 

 余談です。
 ニールセンは心臓の状態が悪化し、医師から安静を命じられ、作曲を禁じられていた時期がありました(しかたないから、編み物をしてたそうです……大の男が、あと数年で還暦、という年齢でです。泣ける)。
 昨日も今日も明日も、当たり前のように心臓が脈打っていることのありがたみをだれよりも痛感していたのは、ほかならぬ、ニールセン自身だったのかもしれません。

 

 

ここでいったん力尽きたので、次回はコレ↓

 


記事は毎回、こちらのマガジンにおさめています。

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