![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8324742/rectangle_large_type_2_54b3f05597a66b4f4370d82f59cfba8f.jpg?width=1200)
風蕭蕭と冷たき易水を、渡るものと嘲うもの【安田純平さん記者会見】《140字の日記 44 × 140字の感想文+ 》
彼はべつに、旅立たなくても良かつた。旅立つた振りをして、途中で蹤跡を眩ませても、べつに良かつた。然るに彼は、そうしなかつた。ただひトふりの白刃を懐中に、凌駕しえない敵に立向かつた。
易水の此方では、アイツは怖気付いて逃げたのではないかなど、無責任な言説を流布する輩もいただろうに。
#140字 #140文字 #140文字小説 #小説 #安田純平 #バッシング #修羅場 #国際貢献 #感想 #感想文 #日記 #エッセイ #コラム #コンテンツ会議
《140字感想文集》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m22b64482adf9
《140字の日記》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m855ee9417844
《ガチ、もしくは長い記事まとめ》も、よろしかったらご覧ください。
https://note.mu/beabamboo/m/m7f0f18508c2d
自己紹介的なマガジン、《五百蔵のトリセツ》
先日のこと。
五百蔵はちょっと大きめの総合病院に通院しているのですが、待合で待っている間に、看護師の雑談を立ち聞きしてしまいまして(ゴメンm(_ _;)m、そんなつもりぢゃなかったの……)。
で、その内容が、
「先週、薬の飲み過ぎで運ばれてきた患者さんがね……」
ハアっ!
く……薬の飲み過ぎ!?
これがウワサのOD、すなわちオーバードーズ、日本語でいうと過剰服薬!?
ネット上ではちらほらと見聞きし、全く知らない世界でもないはずなのですが、その会話を聞いたとたん、今までにないくらいODということばが生々しく迫ってきて、ちょっと怖くなってしまいました。
そうですね、たとえるなら……電車やバスで椅子に座ったら、前のひとのおしりの温もりが残ってた……みたいな生々しさです。
だって。
自分の今いるところから、車で駆け込めば間に合う距離の範囲に、しかも、何日か前に、実際にそれをやっていた人がいる。
もしかしたら、それは、はじめてのことではないかもしれない。
そして。
この病院や、その人の主治医は、その人がODで命を落としたりすることがないように、いままで全力で支えてきて、たぶんこれからも、全力で支えていく。
瞬間的に、
「メンタルの医療って、修羅場やな……」
って思いました。
ドラマの「コード・ブルー」みたいな大事故、大惨事、救助と血と手術、みたいな修羅場とは違う。けど、人の心の沼、というどうしようもない場所から人生を救いあげる修羅場。
それと比べたら、私らの人生って、普通すぎてありがたい。
同時に、私たちのまったく知らないところで、そんな修羅場を引き受けてくれている医療関係者の存在に、深い敬服と感謝を覚えました。
・◇・◇・◇・
別に人生、わざわざ修羅場がもれなくついてくるような仕事を選ばなくてもいい。
ましてや、自分から修羅場に飛び込んでいくようなことをしなくてもいい。
だけど、修羅場を引き受けてくれる人がいるから、この世はうまく回っている。
医療関係者しかり、消防関係者、警察関係者しかり、教育関係者、福祉関係者しかり。
そして究極の修羅場、戦場や紛争地に赴く軍人しかり、ジャーナリストしかり。
中東で3年以上拘束されていた安田純平さんの帰還と、それに対する「自己責任論」によるバッシングがはじまったとき、正直、「もう、noteでは口を噤んでおこう」と思いました。
意見の大きく分かれること、政治に関わること、そんなことについては「なるだけ触れないでおこう」という空気が、このnoteでも支配的なように感じます。
そして、その空気をはねのけて意見を述べ、投稿するのは、すごく、精神的に、重たいし、しんどいです。
だけど、黙っていようと思ったのに、五百蔵の脳裏には、白くかがやく短刀をひとふり、相手の喉元に突きつけている男の映像が浮かびます。
このイメージが出てくるのは、別にはじめてのことではありません。おそらく、五百蔵の自己イメージの一部なのでしょう。そして、そのイメージが見えたとき、「ああ、やっぱり黙ってはおれないのだな」と思い、あきらめました。
ただ、今回は、「これは誰なのだろう?」と不思議に思ったので、つらつら考えて見るに、「これは荊軻だ」と。
中国史が好きな人はご存知、秦の始皇帝を暗殺しようとして果たせなかった、あの刺客、荊軻です。
こんなときに、荊軻を思わせるような映像が出てくるということは、つまり、五百蔵は、負け戦だろうとなんだろうと、やろうと思うことはやる、そういう性分に生まれついているようです。
・◇・◇・◇・
安田さんの件について、自己責任論で非難することが妥当なのかどうかは、よく分かりません。それは、シリアの現状についても、紛争地におけるジャーナリストの振る舞い方についても、あまりにも何も知らないからです。
だけど、これははっきりと言える。
高遠菜穂子さんたち3人がイラクで人質として囚われた事件(2004年)のとき、そのとき人質となったひとりは、「囚われていたときよりも、日本に帰ってからのバッシングのほうがつらかった」というような発言をしているそうです。
虜囚であることよりもきついバッシングとは一体なにか。言葉を失います。そんなバッシングを一個人に浴びせる社会は、明らかに異常です。
事実無根の心ない言葉、という見えない銃弾で精神を滅多打ちにして、それを戦果として自慢する。
平和ボケした荒んだ心の引き起こすメンタルの戦場、それが「おもてなしの国、日本」のかくされた実態かと思うと、こころが寒々としてきます。
それに似たようなことが、今回も起こっている。絶対に嫌です。
もうひとつ。
安田さんの件について、ダルビッシュ選手が積極的にツイートしていたようです。ですが、彼に対しても「そんなことより試合はどうした」というふうな、嘲笑的なリアクションがあったようです。
しかし、ダルビッシュ選手の生まれが中東にゆかりがあることは、彼が高校野球で活躍していたころから有名なことのはずです。
すこし考えれば、自己責任だろうが無茶し過ぎだろうがなんだろうが、安田さんが混迷する中東へ自ら乗り込み、見聞きし、報道しようしてくれる姿勢そのものに、彼が感銘し感謝することは当たり前であることがわかるはずです。
だけど、そうやってダルビッシュ選手のツイートの揚げ足をとっている人たちも、実は、彼の甲子園での、球界での、そして、メジャーでの活躍に対して、ついこの間までエールを送っていたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、その手のひら返しのあざやかさには、あいた口がふさがりません。
「おれらとおまいら」という線引きの思考が単純過ぎて、思慮も不足し過ぎている、これが「美しい国、日本」の知性の実像かと思うと、反吐が出そうな思いです。
ついでながら。
「安田さんは謝罪を」という意見をよく見かけたように思いましたが、なぜ彼が謝罪をしないといけないのか、何に対しての謝罪なのか、五百蔵にはさっぱりわかりません。
「政府の尽力と、国民全体が無事を祈っていたことへの感謝を」というのならまだわかります。だけど、謝罪せよというのはなにか変です。
「迷惑かけたし、心配させたんだから、ここは謝罪だろ」という発想は、非常に日本的だと思います。だから、世の人がそういう発想になる、という現象自体にむしろ興味をひれます。
ていうか、謝罪云々以前に、私たちは、彼がこれまでどのような情報を日本に持って帰ってきてくれていたのか、よく知りません。
もしかしたら、「よくぞあんなところまで何回も行ってくれた」と感謝し、「もっと早く解決できなくて、もうしわけなかった」と謝罪しないといけないのは、私たちかもしれません。
「最近報道があるまで、安田さんがずーっと異国に囚われていたことを、ずーっと忘れていた」わけではない……と自信のある人は、一部を除いて皆無だと思います。
謝罪ならまず私たちが、「ずっと政府に任せっぱなしで忘れていました。ごめんなさい」と頭を下げるべきのような気が、五百蔵はします。
それでこそ、「お辞儀の国、日本」というものでしょう。
・◇・◇・◇・
唐突ですが、そんなわけで、先日(11月2日)の日本記者クラブでの安田純平さんの会見は、ネットニュースでリアルタイムで、ほぼすべて視聴しました。
だって、まず彼という人、彼の見聞きしたことを生で知らねば、思考の端緒も判断の材料も何もないからです。
視聴の結果、わかったことは(わかったこと、というのも変ですが)、「よくぞ生き延びてくれた」のひとことに尽きます。
囚われて初期のころは、ゲスト待遇で、テレビも見れたし、日本語で日記もつけられたし、ときには、デザートも提供されていたそうです。まずは、3年間ずっと虐待されていたわけではないことに、ほっとしました。
だけど、途中から、報道でも大きく取り上げられたように、「狭い部屋で、24時間、音を立ててはいけない=身動きが一切できない」という状態に置かれます。
そんな厳しい状況でも、安田さんはハンストをしたり、あるいはイスラムに改宗して、祈りの時間は身動きできるようにしたり、やれるだけの手を尽くそうとしています。絶望でドアを蹴りまくったときもあったそうですが、つねに、アンテナを立てて、情報収集し、冷静に状況判断しています。
それにしても、会見で語られたことの多くは、物音や、会話の中のちょっとしたひとことなどから読んだ自分の状況で、よくぞここまで、と、会見を視聴しながら感心してしまいました。だからこそ、「あいつは全部盗み聞きしているんじゃないか」と警戒され、「音を立ててはいけない」になったのかもしれません。
そしてそれをすべて、生き延びて、日本へ帰ることへとつなげようと努力しているのです。
記者会見のラスト、安田さんの記帳として、「あきらめたら試合終了」が披露されましたが、勾留中に安田さんがやっていたことはまさしくそれで、とてもではない、誰にでもできることではない、こんなことは、訓練された警官や軍人でもないと無理なのではないか、と感じました。
そのことだけでも、安田さんは称賛に値すると思います。
さらに、彼はつよい人である、ということもわかりました。
いや、つよい、というのはなにか違う。だけど、やる、となったら、命がけでもやる。そんな人だと感じました。
奥様にも「万一のときは自分のことは放置しろ」と言い置いていたそうで、日本にもたらされた家族への伝言にも、奥様にだけはわかるように、「奥、放置」との言葉をひそませていたそうです。
身代金による解決も、もちろん望んでいませんでした。
生中継の映像から伝わる気迫と冷静さから、この人は自己責任論云々で怯むような人ではない、と感じました。
そしてたしかに彼は、「囚われたのは自分のミス。それは自己責任」と認めました。
・◇・◇・◇・
まるで、巨匠といわれるような俳優の、渾身の演技、魂の限りの一人舞台を見せられたような記者会見でした。
物凄いものを見てしまったと、後でどっと疲労を感じるほどでした。
もし、五百蔵が安田さんをバッシングしていたとしても、長時間に及ぶ会見の間ずっと、人間としての凄みを見せつけられたら、とてもではない、バッシングしていた自分を恥ずかしく思うのではないかと思います。
それに安田さんは、謝罪せよとかバッシングとかは、すでに眼中にはない、次を見ている。3年以上囚われ続けて、その中で得たものをどう伝え、生かしていくか、そこに目が向いている、と感じました。
「安田さんは失敗したんだから……」云々、という言説もありましたが、失敗もクソも、手に入れた情報はすべて活かす、おそらく、マスコミだって政府だってそっちの方に顔を向けています。
いたずらに失敗したのどうのこうのと口にするのは、困難な任務に飛び込もうとする人の「勇気くじき」となるだけではないかと、五百蔵は思っています。
いままでのネット上のディスりや芸能人の発言なんて、申し訳ないけど「ちんけ」なものだった、としか今は思えません。
安田さんの会見はいうなればゴジラのようなもので、全部をふっとばしてしまった。それだけではなく、「で、このゴジラに対して、次は何をするのか?」というところまで状況を進行させてしまった。そのように感じます。
もし機会があったら、今からでもいい、あの記者会見は全部見たほうがいいです。
あの気迫や雰囲気は、とうてい言葉には移せない。
新聞記事やテレビのニュースでは伝わらない、本人の肉声と瞳の光にしかない迫力がありました。
そしてなにより、この会見そのものが、混乱したシリアの状況や、紛争地でのジャーナリストの仕事とは何かを、言外に、如実に伝えてくれるものであったことを、申し添えておきます。
・◇・◇・◇・
この会見を見たあと、安田さんの解放に際し、たとえ身代金を日本政府が払っていたとしても、それは、「国際貢献」として十二分に生きたお金になったのではないか、五百蔵は考えました。
もちろん、本当に払うべきかどうかは、また別の問題です。だけどここでは、いったん、わきにおいておきます。
ダルビッシュ選手のツイートには、「もし日本が混乱したとして、ジャーナリストが来なかったら?」という例えがあったそうです。
そう言われてもにわかには想像がつきません。だけど、ベトナム戦争においては、反米の国際世論の盛り上がりがアメリカを追い詰め、終戦させることができたわけです。
それにかんがみると、もし、国民の力だけで国内秩序が回復できない状況に陥ったときは、誰かが世界に向けて情報を発信してくれることが最後の希望になるであろうことは、想像がつきます。
それをやってくれるのが、あの荊軻のように、敢えて修羅場に飛び込んでいくジャーナリストたちで、安田純平さんもその一人なのです。
だれに強制されたわけでもない。自らの意思で、紛争地に行き、情報を取ってくる。そんなジャーナリストを、世界中に送り込み続ける。
そして、武装勢力等に囚われても、確実に国家が身柄を奪還してくれる。その安心は、命懸けで危険に飛び込むジャーナリストたちにとって、なによりの応援となることでしょう。
「身代金も生きたお金になる」というのはこういう意味です。
くりかえしになりますが、「身代金を払うべきかどうか」というのはまた別の問題であることはいうまでもありません。
国際貢献は、なにも、困難を抱える地域に金銭や物資や技術、軍隊を送ることだけではない。ジャーナリストを送り込み、彼らを守る、そんなかたちで行う国際貢献もまた、悪くはないし、9条を掲げる日本らしい、と五百蔵は思います。
そもそも日本国憲法の前文には(改行は五百蔵)、
われらは、
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
と、宣言されています。
安田さんがシリアでやろうとしていたことは、まさに、この精神にかなうことだった、と五百蔵は思います。
・◇・◇・◇・
最後になりますが……
このnoteにも、紛争地に自ら赴いて情報をとってくるフリーのジャーナリストがいます。
今回、ものすごく勉強させてもらいましたので、ご紹介したく、リンクを貼っておきます。
知らないからこそ、テキトーなことが言える。
でも、事実は揺るがせにはできない。盤石なものです。
虚言、妄言、流言飛語の類を打ち破ることができるのは、「事実」のみです。
何事においても、まずは「事実から」。そうありたいと思います。
よろしかったら、↓もお読みください。
もし本当なら、あまりにもエズすぎる……
《140字の日記 + (今回は字数超過)》
https://note.mu/beabamboo/n/n3ffc74512de1
いいなと思ったら応援しよう!
![五百蔵ぷぷぷッこ / 140字のもの書き / Espansiva の中の人](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7818814/profile_f8c73301bec7eada6a7073cd1e2ae72c.jpg?width=600&crop=1:1,smart)