Mit hjerte altid vanker 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》
ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Mit hjerte altid vanker (Forunderligt at sige)
(CNW165 /1914年)
わたしの心はいつもさまよう ((仮訳) 語るも不思議な)
DR Koncerthuset (DR=デンマーク放送のコンサートホール) のYouTube チャンネルで、素敵なクリスマスソングがアップされていたのでご紹介します。
Laub の En rose så jeg skyde で……
ニールセンのMit hjerte altid vanker をサンドイッチして(1:53 から切り替わります)……
男女ふたりの歌手が歌い上げるというもの。
ニールセンと Laub は、いっしょに庶民のための歌曲集↓を編んだことがあります。
そのことをふまえると、このチョイス、なかなかなグッジョブです。
En rose så jeg skyde は、
en rose = a rose
så = so
jeg skyde = I shoot
(英語の sh は、デンマーク語では sk になりがち)
なんとも翻訳しにくいデンマーク語ですが、マリアの懐胎とイエスの誕生がテーマの歌のようなので、「バラなので私は芽ばえた」とでも訳すればいいかもしれません。
もともとはドイツのクリスマスキャロル Es ist ein Ros entsprungen で、各国で翻訳されて歌われているみたいです(日本では「エサイの根より」)。Laub の場合は、自ら歌詞を翻訳し、オリジナルのメロディまでつけたことに、「デンマーク語によるデンマーク人のための歌」を生み出すことをめざした時代の手触りを感じます。
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Mit hjerte altid vanker をはじめて聴いたとき、いままで自分が知っていたクリスマスって、クリスマスのたった一側面でしかないことを知らされ、愕然としたのをおぼえています。
日本のクリスマスって、家族でケーキを食べ、子どもにプレゼントをおくり、小売店や飲食店がここぞとばかりに売り上げ増をはかる騒がしい行事です。そのうえカップルにとっての大事なデートの日としても位置づけられ、お一人様にとっては、真冬の風がいつもより寒さ厳しく感じる日でもあります。
だけど、この Mit hjerte altid vanker から聴こえてきたクリスマスは、まったくちがうものでした。
まず第一に、クリスマスはまったくもって宗教的な行事であること。
第二に、しずかで、内省的な日であること。
第三に、たとえひとりぽっちのクリスマスだったとしても、この歌を歌えば神様が横にきてくれるからさびしくないこと。
ていうかですね。
この歌を聴いてはじめて、「なるほど、キリスト教の神様って、こんなふうに仕事をしてくれるのか」とふにおちました。
あなたがさみしいときは、こんなふうにいつでも神様がよりそってくれるから、大丈夫
とメロディが語りかけてくれているような気がします。
だからあなたもあなたの隣人を愛してあげてほしい、というのがキリスト教の精神なのでしょうね。
こんなふうに説明してもらえるなら、宗派をこえて、隣人愛、ウェルカム!です。
私はキリスト教信者ではないですが、Mit hjerte altid vanker を聴くたび歌うたびに、ほんとうに神様がよこにすわって寄り添ってくれているように感じるし、人ひとりぶん、心のなかの温かさが増すのを感じます。
あいかわらず歌詞をGoogle翻訳にかけても謎の日本語しか出てこないので、歌詞の意味はほとんどわかりません。だからこれらはぜんぶ、ほぼ純粋にメロディから感じとられたことになります。
ニールセンのメロディの伝達力、ハンパないです。
ニールセンの仲間でもあった Laub にはもうしわけないけど、最初にかかげた動画のように、ふたつの歌をならべられると、どうしても、ニールセンと Laub のメロディの完成度の差がきわだってしまいます。
En rose så jeg skyde だって、すてきな歌です。だけど、歌が Mit hjerte altid vanker にきりかわった瞬間、世界からゆらぎやブレが取れ、ぴしり、と一本筋がとおったのを感じます。そのことにより、「あ、さっきの歌は輪郭線がシャープではなかった……ゆらいでいたしブレていたから、ぼんやりしていた」ということに否応なく気づかされます。
変な話と思われるかもしれませんが……これらのメロディの輪郭線のゆらぎや確定は比喩的なものではなく、物理的な実感として感じられるものです。
En rose så jeg skyde が歌われているときは、ほんとうに、脳みそが細かく振動して、ジーン……とか、ミミミミミミ……とか、耳なりのような音がしているような気がします。
それが、 Mit hjerte altid vanker にはいったとたん、脳みその振動が、ぴたっ、と止まって、きーん、としずまりかえって、ゆるぎなく安定するのを感じ、ほっとします。
ニールセンは、伝えるべき本質を歌詞の世界から抽出するのにたけていたのではないかと思います。そのうえさらに、伝えるべきことをメロディに移すことも抜群にうまかったし的確だった。
ゆえに、言語をこえた伝達力を発揮できるし、結果として音楽的な完成度も高いものを生み出すことができたのではないか、と思います。
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さて、ここからは歌についての知識的なことになります。
この Mit hjerte altid vanker は、ニールセンの音楽についてのデータベースである Carl Nielsen 150år に掲載されていません。なぜかっていうと、もともとは別の歌詞につけられていたメロディだからです。
もともとは、Forunderligt at sige です。このリンク↓の265番です。
この歌はスウェーデンでけっこう人気があるようで、動画数も多いです(スウェーデン語では Förunderligt och märkligt となります)。
デンマーク語で歌うと、しずかで自分の内面にむかって内向きに引き込む力が強くあらわれます。が、スウェーデン語だとなぜか、前向きで外にひろがっていく、開放感のあふれる歌になっちゃうようです。
この動画↑は説明欄に歌詞がのっているので、当たり前だけどデンマーク語とはずいぶん字面も違うことが確認できます……てか、意味がわからないなりに、デンマーク語っぽい字面かどうかがわかるくらいには、私も成長したみたいです。
もちろん、静かなトーンで歌っている録音もあるのですが、それでもやっぱり外向的に聴こえます。Förunderligt och märkligt のあとでふいにデンマーク語の Forunderligt at sige にもどると、落ち着きがありまくりでほっとします。
このケースはニールセンの歌における言葉とメロディのかかわりの密接さを、容赦なく思い知らせてくれます。ニールセンの歌を外国語に移しかえるのって、各言語固有の語感に影響されて、どだい無理なのかもしれません。
で、Mit hjerte altid vanker は、もともとはこんな歌でした……この溢れんばかりの痛みと悲しみにみたされたメロディも、デンマークのクリスマスの定番として愛好されているようです。
忙しいひとは、3:10 から聴いてみてください。
なにげにニールセンの Mit hjerte altid vanker がカノンのように追いかけてきます。
DR PigeKoret (デンマーク放送少女合唱団)を指揮する中性的なイケメン Pillip Faber は、指揮だけでなく、編曲も担当することがしばしばあります。
昔の歌はともすれば同じメロディを繰り返し、単調になりがちなのですが、Faber は転調等々の変化を加え、見違えるような音楽にしてしまいます。それでいて、原曲の精神に忠実なところは、鬼才としかいいようがありません。
今回の編曲も斬新なのに違和感なくて……びっくりしすぎてアゴがはずれそうでした。
誰がどうして「Mit hjerte altid vanker の歌詞にニールセンの Forunderligt at sige のメロディをあてたらいいかも!」……と試みてこうなったのかは、私の語学力ではわかりませんでした。Wikipedia の記述によると、そもそもニールセン自身がそうした、とも読みとれなくはありません。https://da.m.wikipedia.org/wiki/Forunderligt_at_sige
これ↑によると、Forunderligt at sige の歌詞自体が、H.A. Brorsons の Mit hjerte altid vanker を下敷きにして N.F.S. Grundtvig が書いたもの、ということのようです。
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最後になりますが……
今回、冒頭で DR Koncerthuset の動画を紹介しましたが、100年前のクリスマスソングを現代的にアレンジして歌いつぐ努力を、日本でいえば NHK 的なポジションにある放送局、DR が全力で取り組んでいるデンマークがうらやましくてなりません。
DR Koncerthuset のチャンネルには、今年のクリスマスコンサートの動画が他にも多数あがっているので、そちらもぜひ視聴してみてください。
もちろん、努力しているのは放送局だけではありません。ポップスやジャズ、ジャンルをこえて、当たり前のように昔の歌が歌わています。
これ、いわば、「文部省唱歌を若者にも受けるようにアレンジしてNHKが特番を組む」とか、「実力派歌手なら、文部省唱歌のカバーも持ち歌のうち」みたいなものです。
どうせお年寄りしか聴いてくれないから……と昔の歌には手を出しがたいのだと思いますが、新曲ばかりがもてはやされる風潮も、どうかと思います。
戦後、各地の盆踊りが衰退するなか、よさこい祭りが継続され、かつ、全国各地に拡散したのは、振り付けも音楽も自由にアレンジしてよい祭りであることが新鮮だったせいだと思います。そして、「よさこい節」という元歌があり、「正調」という原点になる振り付けがあるから、続く強さがあるのだと私は思っています。
DR がやっているのはつまり、Gamle danske sang(昔のデンマークの歌) のよさこい祭りなんですよね。
もともと、ひとびとから愛されるよい歌がある。それを、いまどきの感覚に翻訳して自由に楽しむ……ね、そうとらえると、よさこい祭りとおなじでしょ。https://youtu.be/QzcBK7Fe870
Glade jul = きよしこのよる、です。
デンマーク語でクリスマスは jul。タイトルを直訳すると、「楽しいクリスマス」です。
よさこい祭りのよさがわかるのだから、日本人だって日本の歌の温故知新ができないわけはないと思うのです。
記事は毎回、こちらのマガジンにおさめています。
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