文章と自分のリハビリ ⑤(2022年 8月末〜9月アタマ)
只今、こころの充電中につき。
一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。
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① ゴミの捨て方をオシャレに解説
そもそも、スーパーの洗剤売り場にちかよっただけで気持ち悪くなる体質なので、自分も住居も基本無香。一時期エッセンシャルオイルに凝ったこともあるけど、長続きはしませんでした。
ということで、《香水》だなんてお題をだされても、そもそもネタがないんです。
やむなく、スマホをひらき、検索の枠に《香水》と打ち込んでみたら、「香水 捨て方」と候補が出てきたので、おもしろがって開いてみたら……上記のような捨て方が記載してありました。
香水は、下水には流してはいけないそうです。ひとつには、成分が配管を傷める可能性があるから。ふたつめには、あとでにおいが立ち上ってきてエライことになる可能性があるから、だそうです。
という結びは、完膚なき別れ、という意味合いとともに、「この捨て方だと、下水から上がってきたニオイがしばらく部屋中にこもる、なんて悲劇は起こりません」という意味にもなっています。
こんな短い文章ですが、あとから読み返してみると、自分の考え方や現状がしっかり反映されていることも興味深かったです。
まずは、主人公は、そもそも香りのオシャレに興味がないこと。
つぎに、にもかかわらず、男性からのリクエストには応じてしまったこと。古い歌で「あなた好みの女になりたい」っていう歌詞がありましたけど、「男性の好みに合わせて自分を改造するのが、女性の愛情表現」って感覚は、自分にもありました。だけどいまとなっては、さすがに時代遅れの感覚ですよね。
だから、香水を捨てる、というのは、自分の感覚をイマドキのジェンダー感覚に切り替えていくことの象徴。生活の各所で、「10年前ならOKだったけど、さすがにイマドキそれはないよね」と自分の感覚が変化していることに気がついた……だなんて経験をしているのは、私だけではないと思います。
それから、香水の瓶。私は中味には興味がないですが、瓶の方には心がひかれます。この文章でも捨てずにとっておこうかと思ったんですけど……それでは「香水の正しい捨て方の解説」にならないのでやめました。
そんなこんなで、結果的にですが、「香水を捨てることで、相手本位ではなく、自分本位の生き方を取り戻す話」に仕上がっていました。これも、いまちょうど自分の課題として「ちゃんと自己主張する」ということを意識しているので、リンクしてきます。
香水の捨て方に興味がひかれてツボにハマったのと、ちょうど夫へのイライラが募っていて「こんなヤツ、別れたろかッ!」と怒り Max だったせいもあり、スラスラと仕上がりました。やはり、強く書きたいと思う気持ちは、すぐれたエンジンです。
② 生いていく、ってつまりこういうこと
この日は8月31日だったので、2学期からの登校にちゅうちょを感じる子どもたちにむけてのメッセージとして。数年前に note でも、「#8月31日の夜に」というキャンペーンをやってたのを思い出して、ひとりキャンペーンとして書いてみました。
お題の《不完全な僕》と不登校をかけあわせたとき、僕が不完全であることに、2つの意味があるのが見えました。
それが ① の「社会で働くためには知識も経験も不足しているから、子どもは学校で学ぶべき」という、大人からのジャッジや要請。
それと ② の「子どもはそもそも未完成の存在だから、学校に通う、という社会からの要請に適応できなくなるケースだってある」という、そもそも論。
この2つの側面を、「不完全な僕だから」と「僕は不完全だから」と書き分けてみたのですが、適切だったかどうかはいまだに自信がありません。いまあらためて、「僕が不完全だから」も候補に入れて検討しなおしてもよいかな、と考えてるところです。
この文章の訴えのキモは、
という2つのセンテンスです。
不登校というつまずきをのりこえられる子どももいれば、一生引きずる子どももいる。背後に体質や発達障害などのどうしようもないものを抱えていたら、なおさら、大人になってからも苦労すると思います。それが ① のセンテンスでいわんとするところです。
② は、それでもいかにして社会に適応して生きていくか、ということです。本人の努力はもちろんですが、その努力もふくめて「僕にちょうどいいペース」でやっていくことを周りの人間がゆるせるか、ゆるせないのか。それがいま、社会的な課題として問われていると思います。
ちなみに、この「僕」、2018年放映のドラマ「僕らはみんな奇跡でできている」の主人公、一輝をモデルにしています。もうすこし正確にいうと、最初は、学校にいけてないうちの子どもを通して見える姿を書いていたのですが、途中から、一輝のキャラや、一輝を演じた高橋一生さんの表情や声がのり移ってきた、って感じです。
けっこうハマったドラマだったので、こんな記事も書いてました……なつかしい。
今回の文章は、学校に行きたくない子どもたちにむけて書きつつ、なんらかのつまずきで順調な社会生活をおくれなくなった大人をこぼしおとすことなくどう包摂していくか、ということも問題意識としてはらんでいます。
だから、PICES の「問いを贈ろうキャンペーン」は、まさに渡りに船でした。この文章で直感的、文学的に表現したことを理屈で書こうとしたのが以下の note↓です。
とくに、9月5日の「問い」でとりあげた青木真兵さんの、障害者就労支援のみならず、人生も「就職期」と「ケア期」の2つの局面から見る、という提起は、まさに、「不完全な僕だから」と「僕は不完全だから」と書き分けようとした自分の意図を言語化してくれており、我が意を得たり、のおもいでした。
なんですけど……まだ成熟しきってないアイデアなので、理屈での説明はうまくできていません。
さらにこれ↓は、以前の「#8月31日の夜に」のときのもの。
われながらいいこと書いてる(自画自賛)。けど。肩に力はいってて、ちょっとはずかしい(*ノェノ)キャー
このときは、端的にいうと、学校を休む当事者が、罪悪感なく休むために必要な理論武装を説いてましたね……。
今回は、社会の側は、休んだ当事者をどう受け入れていくのか、という提起を打ち出せているぶん、私の認識も進化できてるかな……?
③ きゅうにSFにしたくなった
LINE はめんどくさくなりそうで、家族用にしか使ってなくて。だから、LINE のことをお題にされても、またしてもノーアイデア!
そこで、いろんなトラブルの結果、こわくて note を開けなったときの経験を踏まえてなにか書こうとおもい、
と書き出してみた瞬間、なんかしらんけど「SF にしたれ!」という衝動がやってきまして。そもそもは「メンタルがヤラれて LINE のアイコンを指でさわれない(精神的な行動の抑制がかかってる)」のつもりだったのが、「なぜか自分だけ LINE が作動しない」という不条理展開に急変しました。
本来なら、LINE が開かない原因究明とか、不具合によって発生したトラブルとかも描くべきなんだろうけど、なにせ、LINE そのものを活用してないからアイデアなんかでない。それに、そこまでながながと書くような場でもないですし。さくっと1ヶ月経過させて、しばらく note を離れてみて実感したこととを少々反映しておしまい、としました。
まあ、精神的な負のエネルギーに反応してアプリが不具合を……っていう後付けの裏設定がないわけでもないんですけどね。
お題に合わせてなにか書く瞬発力が必要な場だからこそ出てきた文章です。自分でも展開が読めなくて、書いてて楽しかったです。
たまにはこーゆーのもいいですね。
④ 自分に約束
おつかれモードに入ると、自分の内面を物語化して排出する、というのができなくなるようです。この日もいろいろあってうわーっ!となってて、カムフラージュできなくて気持ちがもろに出てきてこんなになりました。
これもわざわざ note にもってくるほどのことではなかったのですが、自分の決意表明として。note だと読み返す機会もわりと多いので、備忘録がわりでーす……φ(..)
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うん、5000字をいいかんじにこえました。
今回はここまで。
こんな感じで、われながら気に入った文章と、自己分析的なものを、つれづれに書いています。
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